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表現にぶつかる


私は今までいろんな物事を言葉にして、表面に出してきた。

そのどれもがやや抽象的な内容で言葉にしてきた。


上手く表現できたと思うときは友人に聞いてもらってきた。



だけど、その中で気になる反応がある。それが何それ。ポエムだねっていう反応。

その人が思ったことがそのまま現れているから、否定も反論もしないけれど、なんだか心の中にモヤっとしたものが残る。


ポエム


その言葉に全てを任せて、理解しようとする努力を怠っていないか。そう私は聞きたくなる。


ポエムだねと言ってしまえば、なんだかよくわからないもの。その人の世界観。理解が難しい。そんな一節に対してこれ以上考える必要がなくなると思う。考えることを放棄するための良い単語。それがポエム。私の中ではそう思えてしまう。



私は物書きは皆、自分の血肉を削って言葉にしていると思っている。だから、言葉はその人自身で、血の通ったものなんじゃないかといつも思う。

もちろん私の表現の仕方が拙くて、伝わっていないということもあるだろう。だけど、その人が紡いだその一節をポエムという言葉だけで片付けてしまっていいのか。

私の心にはモヤっとしたものが残る。


私に何か表現をしてくれる人には全力でぶつかりたいと私は思っている。その人が紡いだ言葉を全身で受け止めて、理解しようと努めたい。

人は究極的には理解し合えないと言った友達がいる。

確かにそうなのかもしれない。だけど、そんなことがあったとしても、理解する努力を惜しまず一歩ずつ歩みを進めることが何よりも大切なんじゃないかと思ったりするのです。

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