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水滴と水彩。 自分の色、誰かの色。

最近自分を見ていると、言葉と同時にイメージが心の中で再生されるようになった。
今日再生されたのは、絵の具の落とされた水滴ふたつの側面が、そっと触れて混ざる瞬間。
一度溶け合ってしまったら、色を分けることはできない。
でもきっと何か方法があるはずだ。どうしたら分けられるんだろうって、心の中の水滴と絵の具を見ながら思った。

水滴は揺さぶられるもの。風や角度に影響されて、あっちに行ったりそっちに行ったりする。
その中に産み落とされた絵の具。赤、青、緑、黄色、いろんな色。
水滴の中を、ぷかぷかと浮いて漂っている。
色のついた絵の具がぷかぷかしていると、白い絵の具が落とされてきて、混ざりはじめる。それはたいてい、細やかな模様を描く。

ときどき、水滴は風に吹かれて、他の水滴と触れてしまうことがある。
触れたら最後、水に浮いていた色は混じりあい、分けることはできない。
自分の色がわからなくなる。
でも、全部水滴を拭き取ったとき、一番下に残っているのは、一番最初に落とされた色と白が混ざった、淡い水彩色。
どんな色と混ざったとしても、一番底の部分は一番最初に落とされた色の、綺麗な水彩色。
混じりあってしまったとしても、何かのきっかけで水滴という環境でありフィルターであるものを外すことができれば、
最初に落とされた色は、鮮やかにただそこにあって、それを私が見つけるのを待っている。

私の心のスクリーンに映し出されたのは、きっと自分の中の色を解釈するために必要な情報だったから。
水滴は、私自身。

自分の色がわからなくなってしまったとき、他の色と混ざりすぎてしまったとき、私を見れていなかったなってつくづく思う。
自分がどうしたいか、周りの環境を全部とっぱらって私自身と対話ができれば、私で生きることができるんだろう。

だから、焦って、忙しくしなくたっていい。
もっと私とお話ししてよ。もっと私と遊んでよ。
それだけで、水彩は心の底で広がってくから。
心配しなくても大丈夫だよ。

って、私は伝えたかったのかな。
ありがとう。メッセージ、ちゃんと受け取りました。

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