vol.22「ゼロから創り上げていくことがすごく楽しい」うぐいすの森キャンプ場・清家寛人さん
「これからどうしよう…」と悩んでいる時、帰省して地元の友だちと飲んだんです。
その時、僕は酔っぱらって「紀北町に帰りたい」と泣きながら言ったみたいです。
自分ではよく覚えていないけど(笑)
そのとき、友だちが「帰ってきたらええやん」と言ってくれて…
31才の時に、紀北町に帰ることを決めました。
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今回の「しごとカード」インタビューは
紀北町島原(きほくちょう・しまばら)にあるうぐいすの森キャンプ場マネージャー・清家寛人(せいけ ひろひと)さん。
清家さんは大学卒業後、紆余曲折を経て「紀北町をもっと盛り上げたい」という思いを胸に、31才の時にUターンしました。
夢の挫折を経験したからこそ自分の思いに気づけたエピソードや、今の仕事との出合いや楽しさを語っていただきました。
1.先生になりたい
ーーこれまでの経緯を教えてください。
清家さん(以下、敬称略) 僕は1984(昭和59)年生まれ。
紀北町島原(きほくちょう しまばら)の志子奥(しこおく)で生まれ育ちました。
志子(しこ)小学校(現在閉校中)、赤羽(あかば)中学校と進み、伊勢市にある皇学館(こうがっかん)高校に進学しました。
ーー高校で紀北町を出たんですね。
清家 はい。その頃の僕は「田舎はいやだ」と思っていて…(笑)
当時、姉家族が伊勢に住んでいたのでそこから高校に通いました。高校卒業後は、大阪にある大学に行きました。
ーー大学の専攻は?
清家 僕は先生になりたかったので、数学を専攻して教職をとりました。
ーー先生に?
清家 中学校生活が楽しくて先生も面白かったんです。それで中学生の頃から「先生になろう!」と思っていました。
ーーでは、大学卒業後は先生に?
清家 そう思っていたんですが、教員採用試験に受からず…
紀北町に戻って、講師として学校で働きました。その後も何度か採用試験にチャレンジしたのですが、受かりませんでした。
ーーその後は?
清家 「自分には無理なんだ…」と教員への道は一旦あきらめました。
そして、何度も試験に落ちたことが恥ずかしくなって町を出ることにしたんです。
ーーどこに行ったのですか?
清家 県北中部に行きました。教員という夢を諦めて、何をしていいかわからなくなってしばらく悩みました。
でも「やっぱり先生がいいな!」と思って、高校生対象の塾の講師になったんです。
ーーなるほど
清家 でも、塾の先生と学校の先生は違いました。
僕が教えていた子の中には難関校を目指す子もいて、大学受験をサポートするには自分の限界を感じてしまい、数年してやめました。
2.帰ってきたらええやん
ーー塾講師を辞めたあとは?
清家 僕は教育関係の仕事に対して、完全に心が折れてしまいました。
「これからどうしよう…」と悩んでいる時、帰省して地元の友だちと飲んだんです。
その時、僕は酔っぱらって「紀北町に帰りたい」と泣きながら言ったらしいんですよ。
よく覚えていないけど(笑)
その時、友だちが「帰ってきたらええやん」と言ってくれて…
31才の時に地元に帰ることを決めました。
ーーUターンするときの気持ちは?
清家 僕は紀北町に帰ると決めた時に、こう思いました。
紀北町はすごく良いところだから、紀北町をもっと盛り上げたい。ひとをたくさん呼び込みたい、って。
ーーUターン後は?
清家 紀北町に帰ってからはホテルで働きました。
ーー前職からどんな流れでキャンプ場へ?
清家 僕の保育園からの幼なじみがアウトドアが好きで、元々、弊社社長と知り合いでした。
その繋がりから、社長が地元でキャンプ場を開くという情報が入ってきました。
(キャンプ場のオーナーさんも紀北町島原出身)
ーー地元のつながりだったんですね。
清家 そうなんです。
だから、僕は開拓時からその幼なじみに連れられて、このキャンプ場に何度も足を運んでいました。
そして、オープンが近づいてきた頃、社長から幼なじみに「ここで一緒に働いてくれるような人はいないか?」という話がありました。
そこで、幼なじみが社長に僕を紹介してくれたんです。
ーーそう繋がったんですね!
清家 社長とお話ししたら、社長も「紀北町にひとを呼び込みたい」という思いがある人でした。
このキャンプ場も紀北町に人が来るきっかけになってくれたらいいなという思いで始まっています。
ーー同じ思いをもつ人との出会いですね!
清家 はい。それも嬉しかったし、キャンプ場をゼロから創り上げていくということにワクワクして、転職を決めました。
ーーゼロから?
清家 このキャンプ場は5年くらい前に社長が「キャンプ場をやる!」と決めて、ここまで登ってくる道を切り開くことから始まっています。
社長自ら免許をとって重機を動かして、林間サイトも開拓しています。
ーー社長さんが自ら開拓?!
清家 そうなんです。エネルギー溢れるかたです。僕がキャンプ場を訪れる度に「ここをこうしたんや」と嬉しそうに語ってくれました。
ーープールのような池もありますね。
清家 はい。紀北町には海のキャンプ場や川のキャンプ場があり、ここは山のキャンプ場です。
山のキャンプ場でも水遊びは提供したいけれど、目の前を流れている川は泳げるような川幅ではない。
「なにか出来ないかな?」と考えて、山の湧き水を利用した滝や池(プール)を造りました。
3.町に来てもらうきっかけの1つ
ーーオープンした時の気持ちは?
清家 「いよいよひとが来るのかぁ」と思いました。
それまでは開拓したり緑化したり、作業はしていましたが、場内にお客様が来るということはありませんでした。
でも、オープンしたらここにお客様がくる。
来たら、どんな反応をしてくれるんやろ?ちゃんとお客さんが来てくれるのかなぁ…とドキドキでした。
ーー清家さんの1日のスケジュールは?
清家 出勤後、お客様が利用された共有部分の清掃をしながら、場内を歩きます。
ちょうどその頃は、お客様も洗い物などの片づけをされるためにご自分のエリアを出てくるので、その時に少しお話しさせていただいたりします。
ーーお客様と会話するんですね。
清家 はい、会話するように意識しています。
キャンプに来られる方もコテージ利用の方も、チェックイン後は基本的にご自分のエリアで過ごされますので、そういう機会が少ないんです。
でも、このキャンプ場の感想を聞いたり少しお話ししたいので、そのために朝のその時間が大事なタイミングになります。
ーーお客様の反応は?
清家 「静かなところですね」「鳥の声しか聞こえない」「星空がきれい!」というお声をいただいています。
ーーお客様のチェックアウト後は?
清家 コテージの清掃やトイレやシャワー室などの清掃をおこなって、空いている時間に事務仕事をやっています。
ーーこの仕事の喜びは?
清家 紀北町のことをほとんど知らない人が町に来てくれるきっかけの1つになれていることが嬉しいです。
釣り場を案内したお客様が「すごく釣れたよ!」と笑顔で帰ってこられた時、この町の魅力を感じてもらえたと思って僕も嬉しくなります。
そういう小さい積み重ねが紀北町を盛り上げていくために大事だと思うし、少しずつでもそういう活動ができることが嬉しいですね。
あとは、ゼロから創り上げるプロセスがワクワクするし、どんどん変化していくのが本当に楽しいです。
ーーこの仕事をしていて嬉しかったことは?
清家 お客様から良い感想をいただくと嬉しいですね。
ここに来て下さるお客様はいろんなキャンプ場を訪れている方が多いんです。そんなキャンプ通のお客様に褒めてもらえると本当に嬉しいです。
そういうお声を通じて、僕らが気づいていないこのキャンプ場の魅力をお客様から教わっています。
4.こんな時だからこそ出来ることを
ーーこの仕事をしていて辛かったことは?
清家 閑散期がしんどかったですね。
お客様が少ない時期や平日にどうやってお客様を増やしていくか、これらはずっと考えて続けています。
ーー辛い時はどうしましたか?
清家 つらい時こそ「来てくれているお客様を大切にしよう!」とスタッフと話しました。
これから来て下さるお客様のためにここをもう少し整備しよう、キャンプサイトを増やそうという心持ちでいました。
ーーなるほど。
清家 お客様がいたら出来ない作業があるんですよ。
「お客様がいない時だからこそ出来ることをやろう!」と発想を変えて動くことが大切だ、と気づきました。
ーー仕事をする上で大事にしていることは?
清家 キャンプ場の仕事では「来てくださったお客様に喜んでもらうこと」です。
マネージャーとしては、スタッフと一緒に工夫して創り上げながら、スタッフの「喜び」や「やりがい」を育てていくことを大事にしています。
「お客様にさらに喜んでいただくためにはどうしたらいいか?」をスタッフ皆で考えて試す。そして良い反応があれば共有して、皆で喜ぶ。
そんな職場にしていきたいですね。
ーーあなたにとって、仕事とは?
清家 「紀北町をもっと盛り上げたい」「紀北町にひとを呼び込みたい」は、僕が紀北町に帰ることを決めたときの思いです。
そして、この思いを仕事を通じて表現することができています。
紀北町に来てもらうきっかけの1つに、このキャンプ場がなっていく。
そして「ここに来てよかった」と思ってくれるお客様がどんどん増えていく。
そうなることで、自分の仕事が少しでも地域貢献につながっていったら嬉しいです。
ーー紀北町で好きな場所は?
清家 ツヅラト峠かな。自分の家の周りが小さい頃の遊び場だったので。
ーー紀北町に帰ってきてよかったですか?
清家 もちろん良かったです。自分が生まれ育った町なので、すごく安心しますね。
この町が好きなので、どんどん盛り上げていきたいです!
5.そのままでええよ
ーー二十歳の頃の自分に声をかけてあげられるとしたら?
清家 二十歳のころかぁ…
あの頃は「先生になりたい」一本で、悩みなく夢に向かっていましたね。
大学卒業後はいろいろあって、挫折して「先生になる」という夢は諦めたけど、そのプロセスがあったから今があります。
だから、二十歳の頃の自分には「そのままでええよ」と言ってあげるかな。
ーー若い世代のひとたちへのメッセージをどうぞ。
清家 帰ってきてほしいです!
若い子が町を出ていく要因の1つは、「仕事がない」だと思います。
このキャンプ場がどんどん大きくなって雇用を生み出せたら、若い子も帰ってきたり町内で働いたりできます。実際、今働いている子も町内の子がほとんどです。
このキャンプ場を成長させながら、若い子が帰ってきてくれたり、一緒に働いてくれることを願っています。
ーー若い人が帰ってくるよう私も願っています。今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回のうぐいすの森キャンプ場・清家寛人さんのお話はいかがでしたか?
あなたの中にある仕事に対する思いや大切にしていることを感じるきっかけになったら嬉しいです。
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