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短編小説:【真夜中の独り言】《金魚》

学(まなぶ)とはもう付き合って2年になる。
地味でお世辞にも可愛いとは言えない私が、学と付き合えるなんて夢にも思わなかった。
学の周りにはいつもキラキラした人達が沢山いたし、学はいつもその中心にいた。
いっぽう私は、初対面の人と話すのも、大勢で連んであーだこーだ言い合うのも苦手だった。常に1人で自由に、周りに感化されず過ごす事がとても楽だった。

お昼は、もっぱらお弁当か購買のパンだったが、学食も講堂も人の笑い声で溢れ、中庭でさえ1人で静かに過ごす事もできなかった。
キャンパスを歩き回ったりもしたが、なかなかいい場所にも恵まれず、仕方なしに講堂の1番後ろの隅で気配を消して食べる他なかった。
そんな時、ひょんなことで教授の研究室に呼ばれ、この小さな裏庭を発見したのだ。
この裏庭は、タバコを吸う時にこっそり使えるようにと教授が手を加えたものだった。
周りから見えないように入口には植木鉢で目隠しされ、2人がけ程度のベンチがひっそりと佇んでいる。窓枠の下には胸の高さ位の大きな水瓶が置いてあり、教授はそこで金魚を買っていた。
研究室北側の茂みを切り開いて作られているので、木漏れ日が指す程度の日差ししかなく、湿っぽく苔も生えているような所だ。しかし、それがまた何とも落ち着くのだ。
教授は、根っからのヘビースモーカーだったらしいが昨年、体を壊しようやく禁煙に成功したと言っていた。しかし、ベンチの脇には、錆くれて水の溜まった灰皿用のカンカンが、また使われるその日を今か今かと心待ちにしている。
私は教授に頼み込み、この庭がある事を秘密にするからと約束し、使わせて貰うことになった。
教授は渋い顔をしていたけれど。

本来なら、学と一緒にここへ来てお昼を食べるのだろうけれど、私の大切な場所を壊されたくなくて、1度もここへ連れてきたことはない。更に言えば、この場所にいる時間を邪魔されるのも、自分の時間をあんなにガヤガヤした所で過ごすのも嫌なので、付き合って2年間、学と一緒にお昼を食べたことも無い。

学の事は好きだが、学の周りにはびこっているあの金魚たちはどうしても好きになれなかった。
良くからかわれるし、特にリナにはいつもキツい物言いをされる。
学に酷い振られ方をした挙句、付き合っているのが私だという事を知り妬んでいるようだった。

やはり、この場所は落ち着く。
湿っぽいが空気は澄んでいるし、何より人が居ないのでとても静かだ。そんな私の時間に、水を差すかのようにLINEの通知が来た。
学からだ。

[ どこにいる?財布忘れたから昼ご飯奢ってくれ。]

またか…
最近、良く財布を忘れたと言ってはお昼を奢らされる。
仕方なく返信を返す。

[わかった。今どこにいるの?そっちに行くから少し待ってて。]

そう返信し、いそいそと弁当箱を仕舞う。中身はまだ半分以上のこっている。ペットボトルのお茶を脇に挟み、植木鉢の1つを少しづらした。顔だけを出し、外の様子を伺う。
よし、誰もいない。
少しできた隙間に体ををねじ込み外へ出る。
植木鉢を元に戻し、足早にその場から離れた。
見つかってしまってはたまらない。私だけの大切な場所だもの。

学はリナと雄心、他に名前の知らない女の子2人と講堂に居た。

[あ!来たきた。こっちこっち。]

学はドアの前で立ち止まって居た私に気付き手招きをしている。
正直、行きたくない。リナが居ると、嫌な思いをするのは分かりきっている。
案の定、リナの表情は見る見る間に邪悪な化け物に変わっていく。学の方へ行こうとした瞬間、後ろから誰かに肩を叩かれた。

[大丈夫?]

振り向くと小春が心配そうに覗き込んだ。内巻きの細い髪を耳にかけながら、微笑む顔に思わず見とれてしまう。

[入らないの?行こうよ。]

そう言うと小春は私の手を取り学の方へ歩いていく。
大学の中で彼女の事を知らない人は居ない。小春は可愛い。小さくて華奢な体に、薄桃色の花柄のトップスと白いフレアスカートが良く似合う。

[小春!!そんなキモイやつ連れてこないでよ。]

リナは大声で金切り声を上げこちらを睨みつけた。

[たまにはいいじゃない。1人で可哀想よ。嫌ならリナが違う所へ行けばいいんだわ。]

小春は小さな頬をぷぅっと膨らませリナに言い返した。
大人しそうに見えて、言いたいことは何でも言う小春は、漫画に出てくるヒロインそのままである。

リナは小春に言い返されグゥっと唸ると、もう一度こちらを睨みつけ大人しくなった。

[あ~、俺腹減りすぎて限界。]

学は不機嫌そうな顔をしながらお腹をさすっている。
いけない。早く何か買ってこなくては。急いで財布を出そうとした瞬間、横から白い腕と茶色の紙袋が伸びた。

[これ、良かったら食べて。]

小春だ。
茶色の紙袋には、学の好きなサンドイッチが売ってあるカフェのロゴが書いてある。

[さすが小春!!俺の事よく分かってんじゃん。]

学は小春から紙袋を奪い取ると、中に入っていたサンドイッチを取り出し食べ始めた。
ローストビーフが沢山挟まったサンドイッチを頬張りながら、学は小春に微笑みかける。
小春も満更でもないようだ。

負けた気がした。私の中の劣等感が顔を出す。
こんなに好きなのに、学に合わせてあげられなくて、更には頼まれたことすら満足にできない。大切な自分の時間を過ごしていたとはいえ、他の女の子に学を取られては元も子もない。
その光景を見たリナがこちらを見て嫌な笑みを浮かべる。

[ちょっと~、イチャイチャしないでくれる??お似合いなのはみんな分かってるって。]

冷やかすようにそう言うと、小春が頬をを赤らめた。

[そ、そんな事ないよ。]

小春はすぐさま否定に入るが、雄心や他の女の子もニヤニヤしながら[本当にお似合いのカップル]
などと冷やかしに入る。

小春は慌てて弁解しているようだが、とても嬉しそうだ。
つくづくリナにはウンザリする。学の彼女が私だと知っておいて、本当に嫌な事ばかりを言う。
小春だってそうだ。私が居るにも関わらず、学の昼食を用意していたり、からかいの言葉に反応して私の前でそんな態度を取るなんて。学の彼女は私で、学の1番は私なのに。
学はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、涼しい顔をしてサンドイッチの2つ目に手を伸ばす。
フォローする言葉すらかけてくれない。私はいたたまれなくなって、その場から離れてしまった。

こんな時こそ、あの裏庭に行くしかない。こぼれ落ちそうになる涙を必死で抑えながら研究室へ急いだ。
研究室横を通り過ぎいつも通り入口の植木鉢を退かす。
目の前に私のオアシスが広がる。
中へ入った途端、涙が溢れた。
止められない。悔しい。惨めだ。追いかけても来ない学が愛おしくて憎らしい。
ベンチに座りひとしきり涙を流すと、少し冷静になってきた。

悪いのはリナじゃないか。学は私の事を愛しているし、私も学を愛している。そこに横槍を入れて邪魔をしてくるのはリナだ。
小春だって、リナがあんな風に言われなければ、ただのいい子で終わるはずだ。
リナが邪魔だ。あの女さえ居なければこんなにも嫌な気持ちにもならずに済んだのに。
しかし、リナが居なくなったからと言って小春まで消える訳では無い。どんなに学がいい子止まりだと思っていても、周りをちょろちょろされては目障りだ。

学を独り占めしたい。
誰にも渡したくない。

どうしたものかと、うんうん唸っていると教授が窓から顔を出した。

[どうした?ひどい顔して。]

泣きすぎてぐしゃぐしゃのままの顔を見て教授はビックリしている。
誰も私の事を、気にとめたりしないけれど、教授なら分かってくれるのでは無いかと思った。
こんなにも素敵な庭を作るのだもの。
私は、教授に事の経緯を話すことにした。

話す間、教授は終始水瓶の金魚を眺めていたが、私の話を邪険にしている感じもなく、むしろ何も言わず受け止めてくれているようだった。

[学と一緒に居られるならなんだって出来るのに。]

教授が否定せずに話を聞いてくれていたので思わずそんな言葉が口から漏れた。
しかし、教授はまだ金魚を眺めたままだ。

[すみません。こんな子供みたいな話し聞いてもらって。]

なぜだかモヤモヤしていたものがストンと取れたような気がしてそう言うと、金魚を眺めていた教授が顔を上げて優しく微笑んでくれた。

[いつでもここに来ていいからね。]

そう言うと教授は研究室に戻って行った。
教授の背中を窓越しに眺めながら私は心に誓っていた。
リナに何を言われても、小春とどんなにお似合いでも、私達は愛し合っている。ずっと一緒に居よう。
そう心に決めると何故だかワクワクした。
まずは、リナと小春が邪魔だ。


次の日から私はリナと小春をどうするか考えた。やはり私の気持ちは変わらない。2人とも居なくなった方がいい。どうやって殺そう。
図書館や本屋に通っては、人を殺すための知識を詰め込み、家ではネットであらゆる記事を読んだ。自分で手にかけるより、事故死や自殺に見立てた方が良さそうだが、なかなかに難しそうだ。

1週間がたった頃、リナが私に話しかけてきた。
普段、絶対に話しかけて来ることはないので少し驚いた。
リナは険しい顔をしたまま、こっちへ来てとだけ言うと歩いていく。私だって普段ならリナに着いて行ったりしないが、これはチャンスだと思った。

南棟の古い校舎の屋上は、いつも鍵がかかっている。しかし、今日は芸術科の作品を乾かす為に鍵が開けっ放しにされていた。
屋上には芸術科の生徒が作ったであろう作品たちが、所狭しと並んでいる。
リナは屋上へたどり着くやいなや、私の胸ぐらに掴みかかった。

[この、ストーカー女!!学と小春をどこにやった!!]

物凄い剣幕で怒鳴られ、何が何だか分からずにいると、頬を引っぱたかれた。
痛みでカッとなり、リナの髪の毛を引っ張った。

[いきなりなんの話ししてんのよ。学は私の彼氏よ!!]

リナは頭を下にさげ、顔だけこちらを向いて睨みつけてくる。

[勘違いしてんじゃねぇよ!!学は小春の彼氏だ!!てめぇが裏でコソコソ付け回してんの知ってんだよ!!]

何を言っているのか分からない。
リナの髪を思いっきり引っ張ると、シャツの襟からリナの手が離れた。その瞬間、体勢を崩したのだろう、リナの履いていたヒールの高いパンプスからボリッと音がした。
前のめりになり、よろけたリナはそのまま置いてあった作品に倒れ込んだ。
運悪く、そこにあった作品は木材と石膏で作られた大きなオブジェのようで、まだ乾いていない石膏に倒れ込んだ為に木材が突き出したのだ。
木材は易々とリナの首と腹に飲み込まれる。
リナから小さなうめき声が聞こえた。
手をバタつかせ、起き上がろうとしたので咄嗟に両手を掴む。
まるで泳ぎの練習をしているかのようだ。
体重がかかったのだろう。そのうち服が盛り上がり、綺麗な絵の具を落としたかのように、赤色が広がる。
背中をキャンパスにして綺麗な絵を書いたみたいだ。

リナの顔を見ると、目を見開き、必死に口をパクパクしながらこちらを見ていたので、おかしくなり口元が緩んでしまう。

[痛いの??話せないの??私は学の彼女よ。学が愛している人は私。]

そう、話しかけるとリナは血走った目をこちらに向け紅葉色に染まっていく。
あんなに憎らしい人だったのに、綺麗な金魚の様だった。
私は金魚が動かなくなると、裏庭に歩いた。

思いがけず願いが叶った。やっと邪魔なのが1人減った。
嬉しくてスキップでもしたい気分だ。
しかし、リナは何を言っていたのだろう。ふと、さっき言っていたことが頭を過ぎる。
ここ1週間、2人を殺すことに夢中になっていて学との連絡を疎かにしていた。
小春と学が居ない??
確かにLINEが来ていない。毎日あんなにやり取りしていたのに。
スマホを取り出し、小春のアカウントに入るが、やはり学からメッセージは届いていない。

裏庭にたどり着くと、珍しく教授がベンチに座っていた。

[どうしたんだい??百面相をしているね。]

教授は優しく私に声をかける。

[教授こそ、珍しいですね。]

そう言葉を返すと、教授は水瓶の方へ歩いていく。

[新しい金魚を仲間に入れたんだ。]

なるほど、それで裏庭に降りてきていたのか。
金魚を見せてもらおうと思い教授に近づく。

[本当は2匹入れたんだが、1匹浮いてしまったので今埋めていた所だよ。もう1匹は大丈夫だ。ほら、こちらを見ているよ。]

教授はそう微笑むと、私に水瓶の中を見せてくれた。
裏庭は薄暗く、水瓶の中も見えづらい。水の中をよくよく覗き込むと、小さな金魚達が何匹も泳いでいる。

どの金魚か聞こうとした瞬間、木の間からの日差しで水瓶の下の方が見えた。
目が合った。その金魚は水の底からこちらを真っ直ぐ見ている。
焦げ茶色の綺麗な瞳。

学だ。

驚いて水瓶から離れようとした瞬間、体がふわっと宙に浮いた。
そのまま頭から水瓶の中に落ちる。
何が起きたのだろう。
水の底に有った学の顔がすぐ目の前にある。学だと思っていたが、その顔はふやけて膨らみ、グズグズになっている。私の知っている学ではない。

鼻と口から空気が漏れる。手と足をバタつかせるが、水瓶の内側はヌルヌルと滑り掴めるものがない。足もただ空を蹴るだけだ。
ガボガボと水が私に流れ込む。
遠のく意識の片隅で教授の声が聞こえる。

[愛の証明だね。もう君たちはずっと一緒だよ。]

きっと私は金魚になれる。
学とこの先もずっと一緒に居られるのだろう。

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