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紆余曲折あった大学生活でした

※この文章は大学生活で沢山失敗してきた自戒の意味を込めて、長ーく語ってるだけです。学びの要素はほぼ無いので読みたく無い人は読まないで

先日、卒業論文と最後の期末テストが終わり、順調にいけば半年を残し大学を卒業する事が決まりました。就活も落ち着いてきたので大学生活の振り返りとしてつらつら述べていきたいと思います。

高校3年生、受験期。

大学生活について話そうとしたのですが、高校3年生から振り返らないと整理されないな~と思ったので書いておきます。

ありがたい事に両親のお陰で中高一貫の学校に通わせて貰うことができ、高校でサッカーと勉強に明け暮れ、充実した学生生活を過ごしていました。

しかし、高校3年に上がる際「大きな挫折」を経験しました。
それは中学3年時、特進クラスが創設されてから3年連続で入っていたところ、一般クラスに落とされてしまった経験です。

特進→一般に落とされることは私が所属していた高校では珍しいケースに近く当時所属していた文1αクラスから文1に落とされるのは僅か2名。クラス43人の内落ちるのが2名なので確率的には約5%。現役の大学受験まで1年の、恐らく一番大事な期間を通常クラスで過ごすことになりました。

それまで3年間特進クラスで仲良くしていたクラスメイトとも関わりが持てなくなり、教師のレベルも下がり(教師の質というより教える内容が以前と比べて物足りなかった)、同クラスに友人は部活の繋がりくらい。内情を知る一部のクラスメイトからは「なんでここにいるの?」的なイジリ。大抵のイジリは全然OK。ただ、当時は愛想笑い出来ない程絶望感に苛まれていました。

高校まで打ち込んでいたサッカーも2年時に生涯付き合っていくだろう大怪我を負い、引退したこともあって猶更クラスの降格は受け入れがたいもので、学校も行きたく無くなり、何日か遅刻したり欠席したりしてました。

高校時代の内申点は高く公募推薦も狙える位置にいたのですが、上記の何気ない出席を見られ上智、横市の推薦がオジャンになり一般受験しか出来ない状況。感情が限界になり学校の心理カウンセラー?みたいなのを使っても効果は出ず自分を騙し上手く振る舞いながらセンター試験に臨んでいきます。

センター当日。本番で力を発揮できず、特に英語で大コケし(後日成績開示見たらリスニング併せて63%の正答率) 国立志望校レベルを落とす始末。地方大学で合否判定載りそうな基準で選ぶと広大、信大、埼大辺りで地方いけるのもちょっと楽しそうだなと思った記憶があります。

結果、二次の埼大は最寄り駅からキャンパスまで異常に遠いという理由で行きたく無くなり一限の数学だけ受験し体調不良を訴えて途中棄権。唯一受かった中大で浪人するか否かの選択を迫られますが両親に迷惑をかけたくない思いで進学を決意しました。

本気で退学しようとした、大学1年

2019年4月に入学したのでコロナ渦になる前の1年間は大学に行くことができました。大学1年時では旅にハマりスペイン、インド、中国、ベトナムと海外に足を運んだのですが…一方のキャンパスライフは酷かった。

恐らく、大学入学時に「何をやりたいか明確な目標を持てなかったこと」「人見知りが酷かったこと」の2つが上手くいかなかった原因だと思うのですが学業では第二外国語のスペイン語しか興味を持てず後の経済の必須単位は、面白く無さすぎ!つまんね^^と思いサボり気味に。

新勧で人脈作りに失敗し、共に所属していたフットサルサークルの溜まり場が隣同士で気まずいという理由で顔を出さなくなり雀の涙ほどしか大学1年時で友人を作れず、異性とは全く皆無の世界。現実逃避しまくりまして、
TOnderとかタ〇プルとか出会い系入れまくって話し相手探してた記憶があります。恥ずかしながら(笑)

経済学科の卒業単位が133なのですが1年時はうまくいかなかった経緯もあり、前期5/後期8の計13単位しかとれずGPAは0.5。いや、留学も無理やん。大学の恩恵を受けられない程成績がカスで、出会い系で会った人からは投資話や詐欺みたいのにちゃんと引っかかって、時には良い思いもしたのですが4年間で卒業はもう無理だな、と。大学行かない代わりに夜勤で日銭を稼いだ蓄えがあったので、大学退学して単身海外で出稼ぎにも行こうかなと思ってました。

前述の、良い思いとは2月に参加した武者修行プログラムを紹介した人に出会えた事。当時コロナ序盤で参加できるかギリギリだったのですが運もあり無事参加できました。Day9で祖父の急死。ダナン空港に黙って向かって帰ろうとしたり、最終プレゼンで戦力にならずまともに発表できなかったり...まだまだ当時を振り返ると青すぎる、甘すぎる、迷惑かけたなと思っているのですがある意味このプログラムが大学生活の転換点だったと今になって思います。

コロナ渦で自分を取り戻した、大学2年

武者修行を経て、自由に外も出歩けない世界に。生活様式も変わり、巣籠りでネトフリのプリズンブレイク周回したりしてましたが、この辺りから段々何かしないと本気で学生生活後悔するなと思い3つの目標を設定しました。

1.大学の単位を取り戻す(最優先)
2.1年時にハマった旅できる人がいるようなコミュニティに所属する
3.大学内で、何か経験が生かせそうな真面目系サークルに入る。

2,3で結果的に前者はTABIPPO、後者はAIESECを選択するわけですがそれよりも最優先事項として大学の授業。ちゃんとやることにしました。

真面目にやった結果オンライン授業という追い風もあり再履枠併せて55単位獲得。何とか4年で卒業できる見込みが見えてきました。

AIESECに関しては、組織体制として支部があり~上に運営事務局があり~と上の階級に行けば行くほど裁量権があるシステムで、私は支部レベルで止まっていたのでそこまで深くはやってないです。ただAIESECに所属して社会貢献欲やチーム作り、海外インターン復活に向けての導線設計、次期代表を決める選挙活動なんかは本気で勉強になったし、人脈も今でも何人か定期的に遊べるような関係を作る事ができ、概ね入って良かったなあ、と。

大学2年時の活動を振り返った上で一番印象に残っているのはTABIPPOでの1年間です。特に最後のカミキタハウスでの3か月ちょっとは言葉で表せられない程最高でした。つらいことも学生支部は多いですがそのような事も全部ひっくるめて、あの時シェアハウス経験してて良かったと思ってます。

休学を決意した、大学3年前期

3年時の生活に関しては下記に載ってます。

ダラダラ書いているので、好きな人だけ見て下さい|しゅーた。|note

まとめると、ミーハー就活して上手くいかず、一旦長期インタンがっつりやろうとしてSaaSベンチャーにジョイン。学生支部2年目と、大学に所属しながらも当時のゼミ教授に頭下げに行って「ゼミ長やってる中、大変申し訳ないのですが後期の授業、ゼミプレゼン大会は絶対出るので休学させて下さい!」と言い、承諾され、ゼミは継続。休学費用を負担し決断を正解にしようとデザインスクールやらプログラスクールやら色々手をつけては失敗しての毎日でした。

休学期間で得たことは、スキルが若干上がったのと、2年目学生支部やって成果出せなかった強烈な悔しさ。この2点かなと思います。

復学。就活真っ最中の大学3年後期と、大学4年

復学してからは、大学卒業のための単位取得と目先の就活の納得内定を目標として定めました。学生支部3年目をやらない決断をしたのでその間就活コミュニティは勿論、長期インタンも変えて、インターン・本選考に向けて日々頑張っての毎日でした。

就活に関してはまた次回、ゆっくり書いていきたいと思います。ただ今までの失敗続きの人生、特に本選考の中での42社連続お祈りといった経験は自我を保つのに必死だった所、結果として納得に近いレベルまでの内定先を確保出来たので無駄ではないというか、頑張ったら報われる可能性はあるなと思える良い機会になったと振り返って感じています。

卒業論文で約23,000字、遅れた単位取得の為の勉強、就活と両立しながらここまで走り抜けました。順調に単位が取れれば来季の2023年度4~9月まで(半年間休学したため卒業が半期遅れ)
は比較的自由に過ごすことが出来ます。

今後の抱負等はまた進路先が確定したら決意表明するnoteでも出してみようかなと思います。


ひとまず2月からはスキー場でリゾバしてます!!

最後に

私が本文章を通じて主張したい事は「行動する中でも失敗続きは必ず糧になること」です。大学生活が上手くいかない分色々な活動に手を出し自己投資に捧げては、環境的にあわない、上手くいかない、挫折する。そんな状態でも悪くはないというか、寧ろ行動し続ける自分を褒めて次失敗しない為にはどうすれば良いのだろうかと未来志向で考えることが出来れば問題ないと個人的には考えています。ただし、勝手に辞めてしまっては相手からの信頼残高が地に落ちるのでそこは事前に言いつつ決断できれば良いかと。

担当教授は今年で定年退職されるのですが卒論に対する講評とゼミ活動通じて労いの言葉を掛けられ、ありがたいと思うと同時に、もう大学含め学生生活も終わりに近づいているんだなと実感しています。

そのような日々の貴重な大学生活を噛みしめ、社会人になる準備期間を有効に使えるよう、邁進していきたいと思います。




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