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音楽と拍手と日曜日

拍手

体を使ったとても原始的な心の表現。


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そこはたくさんの人が集まるホール。

拍手が地面で弾けるスコールのように響き、
それがどこかの部族の太鼓のリズムみたいに観客を酔わせていた。

その間、やまない余韻が手以外の出口を失ったように私の体に満ちた。




そんな経験をしたのは、県の交響楽団が開いた定期演奏会。
普段YouTubeで聞く音楽は、長くてもせいぜい1曲5分。そんな私が聞きなれないクラシックの2時間公演を聞くのは中々しんどい瞬間もあった。

周りで船を漕いでいる人と、眠気の波にさらわれそうになりながらも、演奏に引き込まれ時間は過ぎていった。



曲の最後、体が現実に弾き出されるような音が全ての楽器から放たれる。

余韻で張り詰めた静寂。

そして拍手。拍手。拍手。

言葉にできない感動や、音に刺激されて湧きあがった「生きている」という実感も、ただ手を叩くことで伝えた。
そうできることが嬉しかった。

周囲と感動を共有することに喜びを感じる自分に気づくと、「ああ人間なんだ」とつくづく思う。


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そういえば、美術館や書道展を見に行くのとはまた違う経験だった。
同じ芸術の発表の場でも今日はこんな拍手が巻き起こる。

しかも、それがあまりに鳴り止まないものだから、指揮者が苦笑しながら、「もう伝わりました、ありがとう」と手で合図する。会場との言葉を介さない対話。
その光景がとてもあたたかかった。

身体に響く音楽や目の前で表現する姿は、人の中の何かを刺激する。

結局、舞台裏から2回も止めに出てきた指揮者を見て、奏者たちも演奏中決して見せない砕けた顔で笑い合っていた。観客が自らの手を使ったお返しの演奏も、思いがけず何かを生んだようだ。

こんな素敵なことが、音楽の世界でいつも起こっているんだろうか。


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実は定期演奏会の良心的な鑑賞料よりも、その前に食べたランチ代の方が高くついてしまった。演奏会を聞きに行くなんて、普段と違うことをするから嬉しくてつい財布の紐が緩んでしまう。
中世だったら貴族の趣味だけど、こんな庶民でも〇〇デーの映画代くらいで表現しきれない思い出ができた。

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