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11月のレシピ本応援のお願い

喜八郎の料理本実現に向けて、月に一度だけ投げ銭のお願いをしています。

いま、「料理本」という形式にとどまらず、喜八郎の遺したものをふたたび形にしていこうという企画が進んでいます。
こんな私の勝手な願いを応援してくださって、このnoteを読んでくださっている皆様には、本当に感謝しかありません。

そこで、今日はちょっとだけ私の話をさせてください。

私がフランス料理の世界に入ったのは、単純に「料理が好きだったから」です。和食でも中華でも家庭料理でも、単純にもっと上手に料理が作れるようになりたかったし、料理を仕事にしてみたかったんですよね。

じゃあなぜ「フランス料理」だったかというと、飲食店での仕事を探していた時、たまたま大好きだったフランス料理店で働けることになったから、というだけの話笑

右も左も分からないままフランス料理店の厨房に入り、フランス語を覚え、どうしても本場の料理を知りたくなってフランスに渡りました。
リヨンで一年働いて、二年目に南仏からパリに移り、そこで知り合ったのが喜八郎でした。

当時、私はパリの二つ星の厨房で、彼はルーブル近くのカフェで働いていたんですが、高みを目指そうという志とフランス料理への探究心は、圧倒的に彼の方が上でした。

「あ、料理では絶対この人に敵わないな」

って、すぐに悟ったんですよね。

私だって、料理が好きで料理人になったはずなんだけど、
その頃には正直、仕事が大変すぎて、料理が好きだったかどうかもわからなくなっていたし。
でも彼は、中卒でこの世界に入って、私以上に大変な時期もたくさんたくさんあったはずなのに、とにかくひたすら「料理が好き」という気持ちを持ち続けていたんです。

これって、すごいことだと思いませんか?

私は帰国&出産を機にレストランでの仕事をやめましたが、その大きな理由の一つは、「この人には敵わない」という人に出会ってしまったからだと思います。

それは決して悪い意味ではなく、「この人になら自分の想いを託せる」ということでもあって。
結局、ソムリエに転向してからも、私の想い描く料理を完璧なまでに形にしてくれたのは彼でした。

そういう相手に出会えたというのは、ある意味とても幸せだったんだろうなと、今になって思います。

まあ要するに、私は喜八郎の作る料理がすごく好きだったんですよね。
今でも時々、無性に「喜八郎の作ったあれが食べたい!」となったりして笑
彼の料理を食べたことのある方の中には、共感してくださる方も多いんじゃないかと思います。

食の記憶は、鮮やかすぎて残酷ですね。

彼のレシピや哲学を遺したいと思うのは、単なる私のエゴかもしれませんが、少しでも共感してくださり、お付き合い頂けたらとても嬉しいです!!

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