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気位があるかないかで生き方が変わる――里子と殿村夫人

こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日、取り上げるのは、共通点がありながら、異なる生き方をした二人の女性です。
共通点とは、顔貌が醜いということ。
何ともお気の毒なことですが、この二人は、「醜女」でした。

「気位の高い里子」と「気位を持てなかった殿村夫人」


里子は、横溝正史の「悪魔の手毬唄」の登場人物。
湯治場の女主人、青池リカの娘です。父は不幸な死に方をしています。
殿村夫人は、江戸川乱歩の「妖虫」の登場人物。
悪党サソリ団による第二の犠牲者、相川珠子の家庭教師で、四十歳の未亡人です。

結論から言ってしまえば、里子は、気位の高いひとでした。
家族と友人の将来を思い、誰にも内緒で、自ら犠牲になる道を選びました。

一方、殿村夫人は、醜いことで、様々な苦労をし、いじめに合いながらも、すぐれた頭脳を生かして、学問を修め、良家の家庭教師として、迎えられるまでになりました。
ただ、その生き方の底には、本当の意味での自尊心、自分を大切に扱う気持ち、「気位の高さ」が欠けていたのです。

回想の 「明智小五郎」

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今では、江戸川乱歩も横溝正史も、読む人は少なくなったように感じます。
私の子ども時代には、江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズがどこの図書館にもあって、それを読んで育ち、そこから、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」や、モーリス・ルブランの「怪盗ルパン」シリーズへ進んだものでした。

今、わずかに面影を留めているのは、漫画の「名探偵コナン」の「江戸川コナン」の名字くらいでしょうか。
TV番組では、二時間ドラマ枠で、天知茂が明智小五郎を演じたのを思い出します。

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「江戸川乱歩の美女シリーズ」と銘打って、それぞれ美しい女優さんにスポットを当て、時に、原作とは掛け離れたものになりながらも、怪しい乱歩の世界を描き出そうとしていました。
天知茂も、原作の明智小五郎とは、イメージは違いましたが、都会的で、格好のいい、渋みのある探偵でした。
明智小五郎は、変装も得意とするので、ドラマでは毎回のように、彼が最後に変装を解くシーンが出てきました。
もう、何でもありの変装っ振りで、子供心にも、「・・・ありえない」と思うようなビフォーアフターすらありました。

最近では、数年間くらいのスパンで、思い出したかのように、「名探偵明智小五郎」ものが作られています。
陣内孝則が明智小五郎に扮したシリーズは、原作に忠実なドラマ化として、好評でした。
今は、満島ひかりが明智小五郎を演じるシリーズが、評判のようです。

回想の「金田一耕助」

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横溝正史も、私の若い頃に、角川映画とのタイアップで、横溝正史ブームが起きたことがありました。
TV番組では、古谷一行が金田一耕助を演じて、人気シリーズになりました。
この古谷一行の金田一耕助ははまり役でしたね。
角川映画では、石坂浩二が金田一耕助を演じましたが、その後も、鹿賀丈史、豊川悦司、片岡鶴太郎 、上川隆也、稲垣吾郎、長谷川博己、吉岡秀隆、加藤シゲアキ等の人々が、映画やTVドラマで金田一耕助になりました。

漫画の世界では、言わずと知れた「金田一少年」シリーズが大人気になりました。

二人の女性の生き方 

 このあたりで本題に戻りましょう。
と同時に、ここからは、「悪魔の手毬唄」と「妖虫」の核心部分に触れることになりますので、未読のかたで、今後読みたいと思っていらっしゃる方は、これ以降は読まないで下さいね。

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里子は、生まれた時から、顔から身体全体に至るまで、半身が赤あざに覆われている、という宿命を負っていました。
これは、若い女性には、あまりにむごい運命です。
里子は、なるべく人前に出ないようにし、出なければならない時は、自分で工夫した頭巾を被っていました。

当然、縁談なども望むべくもない訳でしたが、それでも、里子がしっかりとした自尊心を持っていたのは、母と兄から愛情を受けて育ち、自分を肯定することが出来たからでしょう。

彼女は、連続殺人犯が自分の母だと知り、母が次に狙うのが、自分の幼馴染みだと知った時、友人の身代わりになることを決めました。
母を止めることも、自首を勧めることもせず、ひっそりと犠牲になったのです。
誰にも真意を知らせることなく、自分に出来る方法で、彼女は大切な友人を守ったのでした。

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一方、殿村夫人は、醜いことで、様々な迫害を受けた揚げ句、浮浪者と関係を持ち、私生児を産み落としてしまいます。
障害を持った娘は見世物小屋に売り飛ばされ、浮浪者からも捨てられた彼女は、比類のない自分の不幸は、すべて自分が醜いゆえに起こったものと考え、美しい女をただもう憎みました
そして、それ以降の人生を、美しい女に復讐することにささげたのでした。

醜く、貧しいながらも、抜群の成績を挙げた彼女は、校長先生初め、周囲の好意で高等教育を受ける機会に恵まれました。
もし、そのまま自分の聡明さを頼りに、彼女が生きて行くことができていたら。
彼女の不幸は、母が醜さ故に離婚に追い込まれ、娘である彼女に、愛情を与えるのではなく、この世への呪いを教え込んだことによるのでしょう。

自分によくしてくれた人達への感謝、自分の能力への自信、未来はきっと開けてくる、という希望を持てていたら、彼女は犯罪者などにならずに済んだことでしょう。
彼女の不幸を思うと、せめて彼女がその娘だけは最期に連れて行ったことを、否定したくはないのです。
あわれなその娘だけは、一途に母である殿村夫人を慕っていたのですから。

まとめます。


今回は、横溝正史の「悪魔の手毬唄」と江戸川乱歩の「妖虫」とを取り上げて、そこに登場する、「気位の高いひと」である「里子」と、「自分を愛すること」の出来なかった「殿村夫人」について考察してみました。
作品内に描かれる風俗背景は、もはや古めかしいものではありますが、一度読めばその作品世界に引きずり込まれる魅力を、未だ湛えている両巨星の作品を、あなたも、ぜひ、どうぞ!

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