芥川龍之介『歯車』感想
ゆやあんゆよおんゆやゆよおん(挨拶)
今日は芥川龍之介の遺作、『歯車』の感想を書こうと思います。
芥川龍之介が主役の舞台「エラトステネスの篩」を見たその日に衝動的に読みました。青空文庫にあったし。ウィキペディアにあったとある記述が気になったし。「エラトステネスの篩」すごく良かったし。
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「歯車」の大きな話の流れは正直、とても支離滅裂でした。しかしシーンを抜き出すと、どれもとても強烈で胸が苦しくなるような作品でもありました。
気がつくと主人公のそばに現れるレイン・コート。意味深に聞こえてくる言葉たち。インフェルノ。死。絶えず回る半透明の歯車。皿の縁に蠢く蛆虫。親子丼。オール・ライト。ドッペルゲンガー。
作品の中で強烈だったものを少し抜き出しただけですが、主人公……というよりは芥川龍之介の苦しみが伝わってきませんか? こんなにも苦しみに満ちた作品を読んだのは初めてでした。
レインコートの男がいつも自分のそばにいるような気がしている。と思えばよく吸うタバコが売り切れていて普段吸わないタバコならあると言われる。そして主人公はタバコの銘柄からより深いものを見出す。と思えば結婚式で学者と話をする。はじめは芥川龍之介の話を興味深く聞いていた学者も、だんだんと機嫌が悪くなっていく。と思えば義理の弟がレインコートを着て事故死してしまう。
こんな風に場面がめぐるましく変わっていくのは、まるでこの世の変化やうねりについていけない心のしんどさを描いているかのようでした。そして、あえて日常から苦しみを無理矢理引き出そうとしてるかのように全てを苦しみと関連付け、思考の闇に落ちていく。そんな文章がひたすら続いています。
作中で激しい頭痛とともに「半透明な歯車」が出てきますが、これは「閃輝暗点」という偏頭痛の予兆を描写したのではないかと言われています。芥川龍之介自身がその症状を患っていたのでは……という説です。このように現代医学から解釈できる点もあるようです。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死しまいそうな気がしたものですから。……」(青空文庫『歯車』:新字新仮名より引用)
これはラストシーンで主人公の妻が言ったセリフです。このラストシーンは芥川龍之介の妻・文の追想記によると事実だったそうです。
この作品を書いた年、1972年の7月24日に芥川龍之介は服毒自殺を行いました。「彼を助けられなかった」と、多くの文学仲間たちが嘆きました。
そういったところから、私は「『歯車』は芥川龍之介の苦しみを書き連ねた私小説なのでは」とぼんやりと考えています。だからこそラストシーンは、芥川龍之介と妻のやり取りそのままだったのでしょう。苦しみとは別に心に残った思い出のように思えます。
ですが、もう彼はいないし、本当のことは何も分かりません。私も研究者どころか文学に詳しいわけでもないので、あくまでも妄想じみた空想です。でも、そういう風に色々考えてみるのも文学の面白さの一つだと私は考えています。
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みなさんも、ぜひ『歯車』を読み芥川龍之介が何を思って書いたのか想像してみてください。
青空文庫の『歯車』は下記アドレスからどうぞ!
歯車 (芥川 竜之介) https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card42377.html
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