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【き・ごと・はな・ごと(第11回)】カイロ紀行―曼陀羅花木録(3)

エジプトに行ったら見たいものがあった。水辺に茂るパピルスとハスの花だ。共に古代エジプトを象徴する聖なる植物である。パピルスに関しては、パピルス研究所や植物園くらいでしかお目にかかれなかったことは初回でご報告した通り。エジプトではパピルスの自生は絶滅したに等しいというのが大方の見解でもあるようだ。だが後日、ある業者の口から今でも時折りナイルの河畔で野生のパピルスが生えているヨと教えられた。彼らはそれを採ってパピルスを作っているという。ただし、生えているパピルスを採取することは法的規制により禁止されているので、自分たちは枯れているものを捨ってパピルスを作っているんだヨとのことだ。新たな情報を確認できたようで嬉しくなったのだが、「だから、ウチのは本物のパピルスで紛いものとは違う」と言われたところで、ハタと迷ってしまった。

歴史に名だたるアラブ商人の血を引く彼らからしてみれば、日本人の旅行者なぞカモ同然。女一人の私はさしずめネギ背負ったカモが鍋を引き摺っているように見えたのだろう。ジャパニーズスペシャルマネー(日本人カモ用の高価格)で売り付ける商魂に煮え繰り返る思いをしていた後遺症なのか、今でも彼らの言動を八割差し引いて捕らえる癖が抜け切らないでいる。

だが、つい先日その情報が、まんざらウソでもないかなと思ったのは、野町和嘉氏の写真集「THE NILE」を広げた時である。そこにはカイロより遥か上流、スーダン南部の原住民が、広大な湿地にわさわさと茂るパピルスをなぎ倒してカヌーを漕ぐ姿があった。また、別の頁には四〇〇〇年前のサッカーラの壁画とうり二つ、パピルスを束ねた船が行くエチオピアの風景があり、ハスの類いかと思われる水草までもが写っていた。

古代ナイルの河畔にはハスやパピルスなどそこいら辺にある湿地や沼地に幾らでも生えていたという。周期的に襲うナイルの氾濫の後には、カヤやパピルス、ロータスなどの水草の類いが、水流を塞ぐほどに繁茂して困った程だとも記されている。 採取禁止どころではなく、必死に採らなくては逆に問題なのだから、パピルスに描かれた宮廷絵図・・・・手には花束を持ち、頭や首に花飾り、素肌にはエキスを絞った香油や軟膏を塗り込め、花弁に顔を埋めて香を嗅ぐという、ハス狂乱の暮らし振りがまかり通っていたのも頷ける。野町氏の写真集に見る情景は、まさに数千年前のエジプトの姿を彷彿とさせてくれるものだった。源流とはいえ、このような現状があれば現代エジプトのどこかにだって野生を見ることは充分に考えられることだ。

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さて、上エジプトのシンボルのハスであるが、これも又パピルスと同様、護岸工事の施された河畔で見ることなど、どだい無理なハナシである。アスワンダムのお陰で大洪水は免れるようになったが、氾濫の度にもたらされていた多大なナイルの恵みも失ったのだ。

岸辺を歩いて目に付くのは、穂花をつけたカヤの群生や柳であった。夕暮れ時、これに焼き芋の屋台が鳴き鳴らすラッパの音が重なったりすると、なんだか妙に懐かしく、夕日の中に一人シミジミ佇んでしまうのだ。

仏教のシンボルのハスはその源を紀元前、2、3000年のインダス文明に持ち、さらには古代エジプト文明に溯るとも言われている。シルクロードならぬロータスロードを辿る広域アジア全体に流れる文化には、ハスを神聖な花として崇める精神構図の根底に、なにか共通項を感じさせるものがあるような気がする。

古代エジプトでよく言うところのハスは、実は蓮ではなく睡蓮であるというのが通説である。だが、ギリシャのヘロドトスが表した「歴史」(紀元前450年前後)には、睡蓮とは別種の蜂の巣状の果実を付けるロータス、つまり蓮らしきものの存在が表されている。またある説では、ミイラにロータスの実を詰めたとかいうハナシもあるという。実となれば蓮の方なのでは? ファラオの時代に蓮はナイと決めつけることもないと思うのだが・・・英語のロータスはどっち付かずの言葉なのでヤヤこしいのだ。

この旅で出会った観光スポットの栽培ハスでは考古学博物館前のものは睡蓮、植物園のものは蓮であった。枯れ姿ではあったが実の椀もあったと思うから確かだろう。どちらもパピルスと一緒に、古代エジプト二大スター然の顔をして植っている。これらの写真を在日のエジプトの方に見てもらったら、前者をロータスといい、後者をさして「これはロータスじゃない、これは何か別の草だ」と言い切ったので驚いた。やっぱりエジプトのロータスは睡蓮と見なすのが正解なのだろうか。

思いがけずにハスの香りに出会ったのは、香油を売る店でのこと。香油とは花や植物などから絞りとったエッセンスで、いわばアルコールの入らない香水の素とでもいうもので、古代エジプトでは5000年の歴史を誇る。ブレンドの他ジャスミン、バラ、ユリなどさまざまな花の香りが揃い、一オンスから量り売りしてくれる。ここの目玉がハスのハンナッ(ほんとうにそう言う)といって売り込むロータスの香りであった。

で、このハスはどっち? 観光局は「国花が睡蓮なので、たぶんそっちでは」と答えたが、事情に詳しい筈の女性たちは「えっ、ハスじゃないんですか?!」と揃って喚いた。いまだ決着が付けられずにいる。

古代壁画のパピルス(左)とLOTUS
カイロの街を行く焼き芋屋台
考古学博物館のLOTUSとパピルス
投網する漁師とパピルスの船
植物園。手前は蓮。
近代化したナイル湖畔
植物名を教えてくれた家族 フィーカスの木と

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞—平成10年(1998年)2月15日(日曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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