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【き・ごと・はな・ごと(第30回)】七夕に寄せて(3)―タナバタさまは何処に?

七夕まつりと名打つ祭りはところによって、そのカタチもさまざまだし日取りも異なる。現行暦の七月七日が一般的だが、次いで多いのが月遅れの八月七日だろうか。いわゆる旧暦によると今年の七夕は八月十七日に当たるそうだ。だが、別の陰暦の読みあわせで八月下旬に執り行っているところもある。早いところと遅いところでは夏と秋ほどに季節感が異なり、これでは夜空の趣も大いなる差が出ようというものだ。梅雨の明けきらない新暦の七夕さまでは天の川を望むことは稀で、これでは織女と牽牛の逢瀬は望めない。かわいそうである。よって、私ごとの七夕は新暦をシカトして旧暦とすることにした。記録破りの豪雨に躍らされたこの夏であったが、この日はきらめく二星と天の川を仰ぎ見ることができた。どうやら、今世紀最後のデートが叶えられた様子。この欄に託したお役目もなんとか無事果たせたようで、ほっとひと安心である。

名古屋駅の東海道本線下りホームには浴衣姿の女の子たちが溢れていた。入ってきた電車の車両も鮨詰めだ。この日、7月24日は名古屋から快速でひと駅目にあたる尾張一宮で七夕まつりが開催されている。ここの七夕まつりは仙台、平塚とならび日本の三大七夕の一つに数えられている。ちなみに同じ愛知県の安城市にも豪華絢爛な七夕まつりがあって、こっちもまた三大七夕の一つ。ふしぎだ。だから何なんだ!といわれてしまえば、それまでではあるが・・・・?。尾張一宮の七夕まつりは毎年七月の第四日曜日を挟んで五日間、会期中はミス七夕のオープンパレード、笹飾りのコンテスト、ライブら数々のイベントが目白押し、商店街も軒並みに七夕セールで客寄せし、その人出は200万ともなるそうだ。駅舎から一歩外へと降り立った途端、ヒラヒラと色鮮やかな吹き流しや薬玉に飾られた笹飾りが迎えてくれる。駅前には仮設のステージが用意されマイクを通した大音響。暑さと人いきれ、おまけにトウモロコシやタコ焼き、クレープの匂いが充満した沿道を人並みに押されながら約20分、ようやく真清田神社の鳥居に辿りつく。ここ一宮の摂社である服織神社で御衣奉献の儀が行われるのだ。今年で44回目を数える一宮七夕は市中あげての『おりもの感謝祭』であるところが、大同小異になりがちな多くの商店街の七夕とひと味違うところ。古くから繊維の町としての歴史を持ち、今も毛織物の生産の多くのシュアが認められる土地柄、戦後、荒廃沈滞した世相から脱却し、いち早く復興をとの願いにより、織物業者や商店主たちが一丸となって始めたものだ。

そして織姫、牽牛の伝説に重ねた祭礼のシンボルとして掲げられたのが、本社、真清田神社のご祭神・天火明命の母君であり、太古から織りの守護神として人々の信仰を集めていた萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)であるそうな。と、いうことで御衣奉献は織物の御加護を感謝する意を込めて、地元の繊維業者が心込めて織り上げた衣を彼の神に捧げるもの。なんといってもみどころはその折りに商工会議所~神社まで時代絵巻さながらに練り歩く御衣奉献大行列。なにが何でもそれを見逃してなるものかの思いで、到着ポイントの服織神社の祭殿前で待ち受けること約一時間、ヒュルリ、ヒュルリと鳴る笙の音と共に一行が静々と現れた。妙なる調べを奏でる楽士たちの後方には純白の浄衣に身を包んだ神官たちが、まず鮮やかな花のモチーフの額に収められた社宝らしき鏡を運び、次に錦の布に覆われた御衣を捧げ持つ。前後二人で駕籠かきのように運ぶ織物の入った荷は麻布の荒妙、絹の和妙、毛織物か。さらに続いて揃いの裃と袴姿の一団、そして銀河の織姫を彷彿とさせる時代装束のミス七夕、ミス織物・・・・行列はおよそ数百㍍もあるゴージャスなものであった。

七夕といえばすぐに織姫をイメージさせ、ならば織り神様が祀ってあるところならみな七夕まつりをするかといえば案外そうではない。また七夕神社とその名もスバリの社にしたって、何故か全く七夕まつりに縁のないところもある。また棚機女を祀っている由縁で、当初から伝承されてきた祭礼日に加え、ごく最近になって七夕まつりを始めたというところもある。そんな風だから織姫に関わる七夕ごとひとつとっても、外からでは本来のカタチがますます闇だ。さらに灯籠流しとかねぶり流しとか、いわゆる禊としての七夕まつりもあるのだから混乱してしまう。七夕って何? 全くもって奇ごとである。ひょっとしたらさまざまな行事のなかで七夕ほど人々に親しまれている反面、ハッキリとその正体が掴みにくいものもないのでは。それは、それで、ますます追いかける方としては魅力的になるのだけど。ここ尾張一宮、そして京都、桐生など、織姫さまを祀る七夕が行われているところは、やはり今もって織り産業が健在な土地柄であるようだ。反して東京下町の織姫神社は近ごろ至って鳴りをひそめている。ことしの七月七日、訪れたときも参拝者はわたしの他にヤブ蚊だけ。目と鼻の先の入谷界隈の賑わいが別世界のようであった。ここは浅草にも近い。かってのナヌカビのことならば通りついでにでも、どうか織りの手が上がりますようにと、手をあわせる女たちの姿がきっとみられただろうにと思う。織りなど無縁となった都会人の心に織り姫様は遠い存在になったということか。来世紀、この国の七夕さまはどんなカタチになるのだろう?

七夕飾りに彩られたメイン通り
境内の賑わい
境内の青空に映える笹飾り
織姫様の必需品、糸車と杼をモチーフにしたお守り
服部神社に到着した御衣奉献大行列
鳥居の前には織り糸を売る店が並ぶ

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成11年(1999年)9月15日(水曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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