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【き・ごと・はな・ごと(第5回)】古代へのロマンを誘う古刹の蓮華

来たい会いたいと思いつつ、いつもタイミングを逃していた光明寺の蓮華にようやく会えた。

鎌倉材木座にある光明寺は通称「海の寺」、材木座海岸を間近にたたずむ浄土宗大本山である。創建時の蓮華寺、院号の天照山蓮華院という名を見るにつけても、いかにも蓮との縁がありそうな古刹であるが、此処、小堀遠州の作と伝わる庭園には毎年夏になると、2000年前ともいわれる古代の蓮の実から生まれた大賀ハスが咲くことで知られている。

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ジリジリと焼け付く7月半ばの昼下がり、「材木座海水浴場」の看板を尻目に、暑さだれした猫たちが寝転ぶ人影少ない境内に足を踏み入れた。本堂で手を合わせ庭園へ目をやる。視界に飛び込んだのは、瑞々しく光り輝く蓮の葉が池を覆い尽くして茂る姿だった。細くもたげた茎の先の花びらは八重で、色は可憐なピンク色。

蓮の花は早朝に咲き昼には閉じる、それを繰り返してだいたい4日目あたりの午後に散るものだとか−それ故、今どき(1時半)は蕾みが多いが、観音像が手にするような合掌姿も、なかなかに味わい深いものである。

借景の山から流れる風が涼やかだ。鯉が泳ぎ亀が遊びトンボが飛び交う。野鳥が一瞬、瑠璃色の羽を広げて山際に消えていった。花弁がハラリと落ちてゆるやかに水面を走る。・・・・・目の前で繰り広げられるのは、まさに極楽浄土の小宇宙。泥水から出でても汚れなき清らかな姿が仏教のシンボルとされ、慈愛にも譬えられることに理屈抜きで納得してしまう。仏の功徳を蓮華の花びらの紙片に託して撒く散華という儀式があるが、あれも、わかるわかる!という感じだ。無我の境地から目覚めてふと見ると、咲いている蓮の数が増えている。堅い蕾みが桃のように膨らんだのも気のせいか? 午後には蕾む筈だが?、こんなことがあるのだろうか?・・・命のあるものの不思議さを見せられた思いだ。

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光明寺の大賀ハスは、故大賀一郎博士が1951年に千葉県検見川の2000年前の地層より発掘した3粒の種の子孫である。同時に掘り起こした丸木舟を検証した結果と照らし、蓮の種も2000年〜3000年前のものとみなされた。3粒のうち発芽したのは一粒のみ。そこからさらに育てたものを分根し、その末裔が光明寺始め、あちこちでその命の花を咲かせている。各地に大賀ハスを送り出した千葉市中部公園緑地事務所では、時に大賀ハスが古代ハスと呼ばれてしまうことに困惑する。「ときどき栽培方法などの問合わせがあるんですが、そんな時にアレ変だな・・・と。大賀ハスと古代ハスとは違います」。

蓮は地下茎での交配が活発である。その為、他品種の同居する光明寺は、今はどれとどれが大賀ハスとは断定しきれないという。ちなみに千葉公園は大賀ハスのみの純粋培養だ。早生種で開花が早く通年は6月下旬〜7月末というところだそうだ。

2万年ほど前の地層からも葉の化石が発見されるわが国では、かなり古くからの蓮の自生が明らかだが、栽培ハスの多くを占めるのはインドを原産とし、中国を経て僧侶たちの手で運ばれたものだ。その後、寺院を介して広まったというから仏教伝来のルートそのものである。そのご本家インドでは蓮は古来のバラモン教、さらにヒンズー教においても神的なもののイメージを象徴する植物として、他の追随を許さない。宇宙の源の水から最初に生み出されたのが金色に輝く蓮の花であったとされている。つまり創造の源。宇宙の扉。命を生み出す母の子宮でもある。神々が乗る蓮座を始め、聖なるものを表す装飾に欠かせないのは仏教と同様である。また古代エジプトでは儀式に多用されている様子が壁画やミイラの棺からも分かるし、ギリシャ神話にも登場する。これらは睡蓮との説が強力だが、どこか根底に通う文化思想に共通項がありそうで興味深い。

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数珠、食用や染料など、さまざまに活用できる蓮だが、茎の繊維で布を織ることも可能だ。その蓮糸で曼陀羅を織った中将姫の物語りは、浄土思想と蓮の繋がりを如実に語ってくれる。−中将姫は奈良朝時代、藤原鎌足の曾孫の豊成と品沢親王の息女、紫の前の娘として生まれた。幼くして母を失い継母の陰謀で殺されかけるが、危うく命を助けられ、その後一生を仏に捧げようと当麻寺に入る。ある時「蓮の花を百駄集めよ」とのお告げを受け、その通りにすると、今度は一人の尼僧が現れてそれを5色の織り糸にする。さらに織り姫が現れ、その助けで織りに没頭する姫が、ハッと我に返ると、浄土を描いた一丈五尺四方の大曼陀羅が出来上がっていた。 尼僧は阿弥陀、織り姫は観音だったのだ−。夢のような話だが、この曼陀羅は奈良の当麻寺に現存している。織り糸の一部には本当に蓮糸が顕微鏡で覗けるという説も聞く。

偶然なことに、光明寺の宝物にもこの伝説を描いた絵巻物(当麻蓮糸曼陀羅縁起・国宝)とお当麻曼陀羅図(重文)があるのだという。常時公開ではないが、鎌倉国宝館での公開もあるとのことである。ぜひ拝見したいものだ。

ハスの群生する庭園
静寂な小宇宙
浄土?風情
赤とんぼが飛び、あめんぼが泳ぐ
蓮の花をモチーフとした光明寺の香炉
景から渡る風が心地よい
老若それぞれ趣を競う蓮華たち

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞—平成9年(1997年)8月15日(金曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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