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【き・ごと・はな・ごと(第6回)】夏の風物詩、ホオズキ市のルーツ探訪

鬼灯の口付きを姉が指南哉 一茶

ホオズキの赤く熟した実を揉みほぐし、実汁と種を出して、息を入れて膨らまし、口に含んでプフッ、プフッと音を出す・・・そんなホオズキ鳴らしのことを話すと、50代以上の女性は皆懐かしいという。だが40代ともなると、経験のない人がかなりいるようだ。

江戸時代の俳句や川柳には、ホオズキを吹く庶民の様子が、まるで夏の風物詩の如く浮かび上がってくるのだが、ルーツを辿ると有に平安朝まで溯れることが栄花物語を読むことでも明らかだ。「そんな遊び聞いたこともない」と、タマゴッチ世代の子供はつれない素振りだが、千年以上の歴史を誇るこの遊び、せめてカタチだけでも伝えたい

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7月24日、神楽坂のホオズキ市へとでかけた。ホオズキ市といえば浅草寺(7月9、10日)と相場が決まってるが、他にも愛宕神社(6月23、24日)、小石川の源覚寺(19、20日)、神楽坂(22〜24日)と、結構あるものである。そして、この日は、夏の東京を彩るホウズキ市のまさに最終日であった。まつりイベントとして行うホオズキ市は毘沙門様の門前に数軒足らずだが、粋筋らしい浴衣姿もチラホラ見えて、なかなか風流である。緑に茂った葉枝に鮮やかな朱の袋を付けた鉢植えが、江戸風鈴を鉤けた手付きの竹籠に入って並ぶ様は、目にしただけで、すーと汗が引いていく。

雪駄、半纏、ねじり鉢巻きでホオズキを売るイナセなお姉さんに声を掛ける。「これって厄よけにするの?」「そう、ほらヨーロッパのカボチャ、あれと同じ、あっちのクリスマスでは魔よけ用のお飾りにしてる。効き目があるのは子供の疳の虫とか虫下し。子供の頃、ばあちゃんに食べろ、食べろって追いかけられて逃げてまわったもんだよ。お女郎さんは子供堕ろすのに使うの。安産のお守りにもなるんだって。それから黒くなっても捨てちゃダメだよ。厄よけになるのは、それからなんだから」。−枝から一つ袋ごと外して、赤い絹糸を結わえて箪笥の把手などに吊るしておくと、そのうちに、ふしぎなことに、葉脈だけが蜘蛛の糸のように残って提灯のようになる。それが魔よけとは初耳だった。「窓からの日差しが当たると、キラキラ銀色に光ってきれいだよ」と、いう彼女の指南通り、嘘か誠か、ともかく試すことにした。

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ホオズキ市といえば浅草寺の「四万六千日」と、まるで代名詞の如く言われ、すっかり江戸情緒のイメージで捉えていたのだが、実のところは明治に入ってからのことという。それまで雷除けの呪いとして出ていた赤トウモロコシが急に不作となり、それに代わる縁起物として出るようになったのが−(同じ赤という連想か?)−江戸期より虫切りなど薬用にいいと珍重されていたホオズキだ。ホオズキ市の発祥の地は芝の愛宕神社で、そもそもは、その地にまつわるホオズキの謂れに端を発している。

愛宕神社は家康が開幕の折り、火伏せの神を勧請したことで始められた。当時、神社の鎮座する愛宕山の周辺には自生の千成ホオズキがたくさん見られたのだという。神社の麓に仲間長屋という一角があった。そこにひどい癪に悩んでいたおかみさんが住んでいて、あるとき夢枕に愛宕さまが立ち、ホオズキの実を黒焼きにして食せよといったとか。さらに、子供の疳の虫にもイイヨと言ったとか?・・・ともかく、さっそく試すと、たちどころにして直りその噂はあっと言う間に広がった。それから神社では毎年の千日詣での日にホオズキを縁起物として並べるようになったとか。慶長年間辺りからのこととも伝わるが、残念ながら震災、空襲の焼失で資料を失いハッキリとは言い切れない。だが、天保9年発行の東都歳時記に「—朝より夕迄、貴賎群衆して稲麻の如し。境内にて青酸漿を售ふ。諸人是を服して癪或は小児の虫の根を切るというー」と、その賑わいぶりが書かれていて、既に、その頃までには充分に、愛宕山のホオズキの風評が江戸で定着していたことが想像できる。戦後、暫く中断していたが、20数年前より再開。茅の輪が設えられた境内に並ぶホオズキには、全てお祓いが施され、古式ゆかしき装束の巫女さんたちにより参拝者へと手渡される。季節柄、露に洗われた木々の緑に囲まれて爽やかな趣であるそうだ。

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ところで愛宕神社が祀る火伏せの神は火産霊命(ホムスビノカミ)というのだが、これはカグツチの異名を持つ火の神である。神話辞典などを見ると、このカグは、カガともいい燃え盛る火のこと、チは神さま、霊(タマ)のこととある。古事記、日本書紀でヤマタノオロチの目をアカガチの如くとしてあるが、これは赤カガチともいい、これはホオズキの古名である。つまりこれも赤く燃え盛る火の霊(タマ)だ。またヤマタノオロチは竜神で雷神、火の神とも繋がるのだから、愛宕神社の縁起物がホオズキとなるのも必然であるとも言えるのでは?・・・・たぶん当時の人達も、こんなふうに想いを巡らせて、あれこれと縁起やご利益を結び付けていたのかもしれない。

浅草寺のほおずき市
ほうずき屋台が並ぶ浅草寺の賑わい
神楽坂のほうづき市
愛宕神社のほおづき市
小気味よく捌かれるていくほおづきの鉢(愛宕神社)
みごとに完売!(愛宕神社)

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞—平成9年(1997年)9月15日(月曜日)号
*写真-1,2,4,5,6枚目は、2010年に追加取材し撮影したものです。

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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