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【き・ごと・はな・ごと(第34回)】東京下町に神宿る松

懸念していた2000年問題も、何とか落ち着きひと安心であるが、元日にパソコンに入った祝メールには19001年1月1日、おめでとう、と記念すべきコンピューター誤作動の日付けがくっきりと記されていた。1万7000年先へタイムトンネルを潜り抜けたような妙な心地がした。そのころの地球は、そして人類はどうなっているのだろうか。

西暦2000年に生きる私たちはこの世にはいまい。今ある花木は?。19001年にあの松はどうなっているだろう。松は門松、松飾りなど正月は元より寿ぐものに欠かせない樹木。不老長寿に譬えられるが、やはり命あるもの。子孫繁栄を考慮して見積もると凡そ20代目が枝を伸ばしていることになる。あるいは全く未知の植物体系に生まれ変わった地球には、あの松に限らず、松というものすら古代植物図鑑の中でしかお目にかかれなくなってしまっているのかもしれない。普段なら考えも及ばない未来へ心を馳せたのは、狂った数字を突き付けられたおかげである。あの松とは東京都江戸川区・善養寺の『影向の松』のことである。この松はとにかく不思議な松なのである。遠景からはとても一本の松の姿には思えない。初めて見たとき、私はてっきり藤棚だと思った。いや、松と見て取れるものは、あるにはあるのだが、その手前に並んで藤棚があるのだろうくらいにしか思わなかった。深緑の針状の葉の茂りといい、黒々と乾いたような鱗状の幹肌といい、近付けば、どこから眺めてもご立派な松である。だがクネクネと一抱えもある枝が宙を泳ぐ樹相の下に入ってさえも、それらが丸っきりの一本の松だなんて、説明されるまでマルで気付かなかった。都の天然記念物に指定されている『影向の松』は樹齢600年と推定される。幹周り3・5㍍、高さ約8㍍と、ここまで書けばごく普通の松のようだ。しかし地上から1、8㍍位の場所で枝が大蛇か龍のごとくわだかまり、捩れたりタワんだり撥ねたりしながら、東西30㍍、南北28㍍に這い延びる異様は他に例を見ない。それも人口的に作為したのではなく、もともとこの松が四方に広がる枝ほど新芽の成長が早いという特異な体質をもつ所以だとか。クロマツと赤松の中間をいく特質を備える純粋種で実生で育っている子供も、また同じように横に大きくなっているのだそうだ。

この樹を明治期の文人、大町桂月は『東京遊行記』に次のように記している。「・・・一大老松の横に広がる者あり。凡十間四方に及ぶ。支柱100を以て数うべし。これを影向の松という。立てる星下りの松に、座れる影向の松を加えて、東京付近、松の奇観は、この寺に尽きたり・・・。」『星下りの松』とはかって明星が落ちてきて光り輝いたという伝説をもち山号、星住山の由来ともなった松。当時、高さ30㍍・樹齢600年ほどだったが昭和十五年に台風で枯れてしまい、今あるのはその2世。スマートに上にゝと伸びている『星下りの松』を鶴、『影向の松』をと亀と眺め、そのめでたさを讃えるひとも多いとか。さて、先の記にあるように四方八方に広がる『影向・・・』の枝振りはタップリ太く、地面からニョキニョキと多数の支柱を立てて枝の重みを支えている。枝下繁茂面積はおよそ800平方を占め、四国香川県・志度町の『岡の松』が西横綱なら、対してこちらは東横綱の威名を誇るものだそうな。

境内の裏手は江戸川だ。向こう岸は千葉県になる。近在には映画・寅さんでおなじみの柴又帝釈天がある。東京とはいえ下町人情が残るこの界隈は実にのどかだ。長生きにもってこいの条件かなとも思うのだが、この松、いっとき衰弱が進み深刻に枯死が心配された。20年ほど前のことだ。老松と聞こえていた松だから巷では「いよいよ寿命、もう天命かな」とも囁かれた。が、診察の結果、弱ったのは老齢化のセイなんかではなくて、水脈や土質など周囲の環境変化が主な原因と判明。植木職人など玄人が認めるに、現在の樹齢六百年前後は壮年の働き盛り。松は千年という本来の寿命からして、まだまだ手当をすればこれから当分はガンバレル筈という。「だいぶ元気を取り戻してホッとした。なんとか長寿を全うしてもらいたい」と、松を気づかう檀家のご婦人が「ほら・・・この位」と嫁いで50年の間に伸びたという枝の長さを両手で示す。

その頃からみると気のせいか、境内がやや狭くなっているともいう。目分量で巾を計ると手の巾約50㌢。これを四方八方に掛け算して・・・・・そんな風に枝が加速度を付けて広がっていったら、いずれ境内は透き間なく松で埋め尽くされはしまいか。そうしたらどうするのだろう。ふと沸いたわたしの頓狂な疑問を受けて、その頃までには、いくら何でも、もう・・・・・枯れてしまっているのじゃないでしょうか。そこまで考えたことなかったと、その方は眼を丸くして、同時にチョットがっかりされてしまった。確かに、松は一万年とはいかない。でも、いいのだ。『影向』とは神仏が姿を表すというイミである。神々しい松が今ここにいてくれている、そのことがまさに寿ぐこと。うつらうつらと日だまりに丸くなる猫のように、ただ、無心に恵みを受け止める、それだけでいいのだ。

☆善養寺へのアクセス・・・
JR総武本線小岩駅前~瑞江方面行バス。江戸川病院下車。すぐ。

横綱級の貫禄
1本の松の下に道が・・
みごとな樹勢
横からの全景(正面に不動尊、右に星下りの松)
斜め上から(正面は本堂)
不動尊の軒下まで伸びる枝先
若い息吹き
元横綱栃錦、春日野親方(1981年当時)から渡された横綱推挙の碑。
明治37年発行の景観地図(善養寺提供)周囲の松はないが中央に影向の松、星下り、本堂など境内の並びは現在とほぼ同じ。
2011年9月21日、国の天然記念物に指定された。

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成12年(2000年)1月15日(土曜日)号
*本文掲載後、暫く樹勢回復工事がされていたが、去年2011年にみごとに完成した。国の天然記念物に指定されたことも併せ、写真は2012年3月6日に改めて撮影したものを掲載している。またアクセスも今回改めて付記。

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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