見出し画像

【き・ごと・はな・ごと(第4回)】海の安全と大漁を祈る―森戸神社の潮神楽

横須賀線の逗子駅から葉山行き海岸回りのバスに乗っておよそ15分あまり、めざす森戸神社のひとつ手前でバスを降り、爽やかな朝の海岸を歩く。夏本番を前に海の家の準備に忙しい浜辺の表情と、沖に光るヨットの白い帆を眺めながら進む行く手に、こんもりと海に小さく突き出たビャクシンの森がある。そこが天下統一を果たした源頼朝が、旗揚げ祈願をした三島明神の分霊を勧請した森戸神社であり、本日はそこで潮神楽が奉納されるのだ。

毎年6月16日に行われている神楽は、地元漁師の海上安全と大漁を祈願する祭りである。江戸期文化文政の頃より続けられており、跡切らしたのは、たったの一度きり。大正7年頃のことだというが、それには謂れがある。神楽を休んだ年に出会った大シケで、死亡者が出たり船の被害が続出するなどして、漁師たちが壊滅状態に追い込まれたというのだ。『祟り』に違いないというので、それからは周年欠かすことなく施行しているという。

※      ※

勢いよく天を指すような見事なビャクシンが茂る境内にたどり着いた。が、特別な行事が行われそうな気配は全くない。そのうち氏子の漁師さんが来て「今、竹を切ってるから、この分だとだいぶ遅れるよ」とのこと。神事に必要な竹は当日の朝、近くの山で調達し、矢や御幣、剣、結界用など用途にあわせて準備するらしい。周囲を望むと、確かに、緑に恵まれた丘陵のあちこちに竹林がみてとれる。

※      ※

ようやく、氏子や神職たちが集まってきて、拝殿前で飾り付けを始めた。山飾りというもので、山の神、火の神、水の神を呼び寄せるものであるという。2メートル余りの細い竹の棒を四隅に立て、さらに高い背丈の竹を真ん中に立てる。縄を張ると、なるほど山のかたちだ。縄に付けられた5色の紙飾りが潮風に吹かれてカラカラ、サワサワと唄いながらなびいている。七夕の笹飾りのように華やかだ。七夕の竹笹も願い事を伝えるために、神さまに降りてきてもらう依り代としての道具である。正月の門松、地鎮式で立てる4隅の竹、祭りの神輿に立てる笹、ドント焼きに立てる笹、また、さらにこの日、湯釜の置かれたカマドにも2本の竹が立てられたが、それらはみな同様の意味が込められてのことだ。

※      ※

竹は古くから霊力とか呪力があるとか言われ、儀式につき物の植物であることには違いない。だが、その理由はなんだろう? 竹取物語は人々が竹に抱いてきた神秘的なイメージが、この植物の特質と深く係わりの或るものだということを気づかせる。手のひらサイズで見つかったかぐや姫は、たった3ケ月で大人になるが、竹の子も3ヶ月で成長を終える。そのパワーは破竹の勢いといって崇める対象になろう。また、彼女が入っていたのは竹の筒である。これも古来よりわが国には、笛のごとく空洞のあるものには精霊が宿るとの神話がある。つまり母親の体内と同じく生命の再生のシンボルとされてきたわけだが、竹筒の中も空洞である。これだけでも、竹が威力があって神秘的なものと思われる条件は整っていると思われるだが・・・他にも殺菌力があるとか、節があるとか、真っすぐに割れるとか様々な特質が神秘性に拍車をかけているらしい。

※      ※

ほどなく社殿にて神事がスタートした。参列者は地元の漁師さんが殆どで、見学者が多く押しかけることもなく実に密やかだ。祝詞とお祓いが済み、烏帽子と狩衣姿の神職4人が、太鼓と笛を奏しながら舞いを演じ始める。素朴にして幽玄なムードである。ここの神楽は湯立てを中心とした伊勢神楽の流れを汲むものという。湯立では湯釜にたぎらせたお湯の中に差し入れた笹を振り、そのしずくでケガレを祓い清めるものである。これも、また竹なのであった。宮司さんによると「これは天照大神が岩戸に隠れたときに、アメノウズメノミコトが踊った。あれに由来してるんですよ」とのことだ。アメノウズメノミコトが笹束をもって神懸かりになり、あられもない姿で踊り狂ったら、居並ぶ神様たちに受けてヤンヤの喝采、その笑いに満ちた騒ぎが気になって天照大神が顔を覗かせた・・・という古事記にあるアノお話しである。

能舞台でもなぜか狂女は皆、手に笹竹を持つ。湯立ての笹も、もともとは神を宿らせるものである。ここでのハナシではないが、聞くところによると、よく昔は笹振りをする巫女や、しぶきが振りかけられた参列者から憑依するものがでて、予言などを口走ったものであるという。この日の神職も笹振りするとき、相当にテンションが上がったようにも見えたのだが・・・? 残念なことに御神託が降りるところまでには至らなかった。

湯座、弓祓い、山の神と天狗の面を被った二人舞いへと続き、フィナーレで供物の飴が撒かれると、古代へ誘われた(いざなわれた)ようなひとときの終焉を迎えた。

取り払われた山飾りは、漁師さんの手によって海に流された。海に生き海を思う彼らの祈りを受け止めるかのように、竹は静かに波間を揺れていた。

風になびく山飾り
湯釜の湯を御幣の柄でかきまわす
仄明かりの拝殿で舞われる神楽
笹振りをする神職
剣舞
海に流される山飾り

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞—平成9年(1997年)7月15日(火曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

当サイトからの無断転載を禁じます。
Copyright © Setsuko Kanno


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?