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頬白

鶯はホーホケキョと鳴く。
当たり前だと思われるだろう。
しかし本当にホーホケキョと鳴いているだろうか?
暖かくなれば彼らはあちらこちらのこずえの上でその歌声を披露している。よく耳をすまして聞いてみてほしい。

ホーーー、ホケキョッ

そう、確かにウグイスはホーホケキョと鳴いているのだ。
しかしこれは「鶯はホーホケキョと鳴くものである」と我々が強く信じて疑わないからである。本当はウグイスはホケキョとは言っていない。
このホケキョとは仏教の経典『法華経ほっけきょう』のことであり、このように鳥の歌声を人の言葉に例えて聞くことを「聞きなし」と言う。
様々な鳥のさえずりが「聞きなし」にされているが、なかでもウグイスの聞きなしは聞きなしの中の金字塔と言えるだろう。なぜなら法華経は数ある仏教経典の中でも古来もっとも重んじられてきたものの一つであり、その経名を高らかに歌うこの鳥が、どれほど古人の好意を集めてきたかは言うまでもない。

他にもほの暗い森に住むサンコウチョウは「ツキホシー」と歌うことからその名も三光鳥となったし、草原でいかにも騒がしく囀るオオヨシキリに「仰々ギョウギョウしい仰々ギョウギョウしい」と言わせたのも秀逸である。
それからやっぱりセンダイムシクイがいい。これはウグイスをひと回り小さくしたような愛らしい野鳥であるが、若葉の森を枝から枝へと飛び交いながら、「チヨチヨビー、チヨチヨビー」と盛んに歌うのである。このチヨチヨを「千代千代」と聞きなして千代ムシクイというみやびな名が与えられた。

それでは今日の春の季語「ホオジロ」は果たして何と鳴くのであろうか。これも有名な聞きなしの一つであるが、ホオジロは「一筆啓上仕り候」と鳴くのである。「いっぴつけいじょうつかまつりそうろう」。
まさかと思われるかもしれない。その通り。ホオジロは決して「一筆啓上仕り候」とは言っていない。どんなに頑張って、百歩譲って聞いたとしても、かろうじて初めの「一筆」が聞き取れるくらいである。「イッピツ」と鳴いたあとは、チュリリチュリリとお茶を濁してしまうのだ。
日本民俗学の父柳田國男やなぎたくにお翁いわく、こういった聞きなしは、おそらく寺子屋帰りの子どもたちが考えたのであろう、と。覚えたての手習いの文句を鳥にも言わせてみたくなったのだ。およそ聞きなしの多くは子どもか老人が思いついたものだと、柳田先生は考える。何故なら忙しい大人はそんなことを思案している暇はないのである。

河原に茂った背の高い草の上に一羽の頬白がとまって、風に揺られながらのんびりと歌っている。私は果たしてこれが「一筆啓上仕り候」と聞こえるものかと、眉をひそめて何度も何度も繰り返し聞いている。
無論そんな私は暇である。暇なだけあってお金はない。お金はないが、こうして鳥の囀りに眉をひそめられる時間をお金よりもずっと貴ぶのである。
ホオジロはそよそよと風に揺られながら、いつまでもいつまでも歌いつづける。こうしてあと一時間も聞いていれば、そのうち彼は「一筆啓上」と言うかもしれないのだ。

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