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ヘ長調の緑と嬰ヘ長調の緑は違うというはなし

 私の故郷は間違いなく田舎に属するだろう。

 周囲を山で囲まれ実家の部屋の窓からは柿畑を見下ろし徒歩5分で水田の広がる文字通り田園風景の広がるような緑にあふれたところだ。
  こういうのどかなところに住んだことのある人ならわかると思うのだけれど、山並みや田畑は季節の流れに合わせて装いを変える。五月のキラキラと輝く新緑、真夏の濃すぎるくらい濃密な繁茂、やがて風の涼しくなるにしたがい赤や黄色に色づいた葉は間もなく散り冬を迎える。どの季節にも意味のある時間が流れる。
 なかでも五月の新緑が大好きだった。中学校へ向かう道のわきで柿の小さな葉が萌黄色に輝く。水を張ったばかりの田んぼは空の表情を映す鏡であり、その時々の空の色に合わせて輝いていた。


 中学校の教室からも山並みが見えて湿度に応じてその輪郭はおぼろになったりくっきりと浮き上がったりした。母校は4階建てだったので4階が最も見晴らしがよかった。

 こんなに音楽室からの景色が印象に残っているのはここで「故郷」の練習をしたからであるのは間違いない。私の通ってた中学校の合唱コンクールではすべての学年で課題曲が文部省唱歌の「故郷」であった。1年は二部合唱、2年は三部合唱、3年は四部合唱と学年が上がるごとにパート数は増えていった。この中学校に通うと毎年「故郷」を歌うことになるのである。  
 合唱コンクールの練習にあたっては音楽室に山台を組んで本番のように並んで歌うことになる。山台に立つと目線の先には窓があり、すなわち山々を視界におさめながら歌を歌うことになったのである。

やまは青きふるさと 水は清きふるさと

 中学校で3年間歌った「故郷」はヘ長調であった。つまりへ音(ファ)の音を基準とした音の世界である。ヘ長調というのは伝統的に田園的なのどかな雰囲気やノスタルジーと結びつけられることが多い。中学生の私も確実にその空気を感じていた。あの青い山並みを見ながらヘ長調の世界に浸ることで、兎を追ったことがなくても小鮒を釣ったことがなくても、ここが”ふるさと”なのだと強く意識するようになった。
 この時の経験のために数多の編曲のうち「ふるさと」はヘ長調が一番しっくりくる。単に聞きなれたからというだけでない。ヘ長調には潜在的にノスタルジーをかき立てる力をもっているのだ。ヘ長調のメロディーを耳にするたびに故郷の常緑樹の深い緑が脳裏に浮かぶのである。

 やがて大学に入学した折に合唱を始めた。そのうちにまた別の「ふるさと」という曲を歌う機会を得た。矢澤宰の詩による組曲「光る砂漠」からの抜粋である。
 幼少のころから病弱で夭逝するまでの人生の大半を病室で過ごした詩人が自分の命と見つめあい(そうするしかなかったのだろう)紡いだ言葉たち。作曲家の萩原英彦は工夫を凝らした音楽で応えた。アルカデルトのAve Mariaのモチーフの逆行形をいたるところに配し、ダイナミックな和声で音楽を彩った。
  その組曲の最後に配された曲が「ふるさと」である。たゆとうような音楽と生命のダイナミックな動きを感じる躍動的な音楽とが対比的な楽章である。この結論ともいうべき楽章の冒頭部分は嬰ヘ長調、つまりファ♯を基準とした音楽の世界である。簡単に言えばあまり一般的ではない調性だ。なにせ楽譜に表すとシャープが6つもつくことになる。
 しかし嬰ヘ長調のもつ独特で神秘的な響きは多くの作曲家を引き付けてきた。ヘ長調と半音違うだけだが、それだけでやや明るい青みを含んだ緑色となり輝きを増す。すこし非現実的ですらある色あいだ。
  そのため萩原英彦の作曲した「ふるさと」の冒頭が嬰ヘ長調であるのは非常に納得がいく。矢澤宰は人生の大部分を病室で過ごしたため故郷に戻ることもままならなかったようだ。おそらく故郷の記憶というのもあまり多くはなかったかったはずだ。矢澤の語る「ふるさと」というのは幼いころより慣れ親しんだ具体的な場所としてではなく、より抽象的で彼の心の中で描かれる自身の根源のようなものだろう。
  だからこそ作曲家は嬰ヘ長調を選択したのだと思う。確かに「ふるさと」の冒頭は半音さげてヘ長調で演奏しても実にしっくりくる。ヘ長調にするとかなり具体的な”わたしの故郷”が立ち現れる。   
  しかし嬰ヘ長調である。 

ふるさとは 
ただ静かにその懐に
わたしを連れこんだ

 そう歌い始めると途端にまぶしい新緑が私の脳内に広がる。それは故郷で見た五月の色よりもはるかに明るく幻想的な輝きである。この音楽で描かれふるさととは詩人がわずかな記憶を頼りに彼の内面に作り出した世界であり、彼の心の中にしかありえなかった場所だ。そして魂の還る場所だ。そして、思うに心象風景としての故郷を描き切るためには嬰ヘ長調である必要があると私は確信している。ヘ長調では地に足が付きすぎているのだ。

 半音の差は大きい。たったの半音違うだけで個人的な経験に深く根差した故郷の山の緑を思い浮かべるか、ある意味理想化された非現実的で神秘的な緑を思い浮かべるか変わってくる。調性にはある程度人間に共通の魔法に近い力が備わっている。

 と自分は勝手に信じている。

 

 

 

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