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2021年、改めて五黄に倣う

みなさんこんにちは。気学Style 西島です。

2月も明日の日曜で終わりです。なぜか今年は、なんとなく日曜があけて月曜〜火曜あたりまで2月のような感覚がしております。
ですがカレンダーを見返してみても当然ですが2月は28日まで。
色々とあったように思える2月ですが、もう終わってしまいます。

「2月は逃げる」と申しますがまさにそのような感じですね。

2月、私の星一白水星は陥入していたわけですが、個人的な感覚として陥入している間はどうも人とのやりとりが億劫に感じられます。メールやSNSの返信が普段よりもワンテンポ遅れてみたり、人と会うことになんとなく気後れしたりする感覚があり、一方でそんな感覚に大して自己嫌悪感が出たりとややこしい時期である感じがあります。が、その2月も間も無く終わるということで心中少しほっとする感覚もございます。

逆に、この陥入の時期にこの先の動きをしっかりイメージできたかと言いますと少し心許ない部分もございますので、暦の上では数日残っている2月にあって、じっくりその辺りを詰めてみようと思っております。

また、こうした中にあっても感謝の感覚を鈍らせることなく日々進んでゆきたくも思います。

五黄土星

このnoteを書き始めましたのが昨年3月なかば。
およそ6日ごとの投稿サイクルで続けて参りましたが気がつけば間も無く一年が経とうとしております。

そんなnoteの最初の投稿は五黄土星に関するお話でした。

あっという間に過ぎて浮こうとする2月にあって、改めて五黄土星という星のことが頭に思い浮かびます。

五黄土星といいますと、気学など学んでおられる方は「五黄殺」という凶方位を想像する方が多いかと思います。簡単に述べますと、

五黄土星のいる方位にゆくと良くないことがある

というのが五黄殺ですが、これは五黄土星が「死」というものの担当であることに関わっております。

また、その一方で五黄土星の性質としてとかく「強運」であるという話もございます。
かように五黄土星は非常に特徴的な星のように見え、独特の印象を与えます。
(実際皆様の中で五黄土星という星はどういう印象でしょうか。)

五黄土星の性格に関する解説を色々と目に致しますが、表面的な性質・定義のされ方が様々に語られても、その根源にあるのはやはり「死」・「生」という少し重めなキーワードでしょう。

五黄土星という星、あるいはそのコンセプトを把握するにあたってこの部分をしっかり把握しないと、五黄さんは単なる「すごい人」もしくは「変人」になってしまいます。

エヴァンゲリオンと進撃の巨人

以前にプペルについて投稿をした折、原作者とその星の関係などについてまとめてみておりました。

その表の中で、自分で改めてまとめてなるほどと思ったのがこの両作品です。

前回作った表をもう一度貼ってみます。

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現在の人気作品である進撃の巨人、アニメで金字塔を築いたとも言えるエヴァンゲリオン、この両作品においてその作者の星が五黄土星です。

それぞれ作品をご覧になっている方もおられるかもしれませんが、簡単にその概要をお伝えしますと、

・進撃の巨人:
出自不明の巨人に人類が脅かされ、その状況を打開しようとする主人公の姿を描く作品です。物語の終盤において、巨人を通じて人種間の闘争を描く流れになってきています。
・エヴァンゲリオン:
一見、ロボットもののアニメではありますが、主人公のエヴァンゲリオンを操縦することへの反抗心・抵抗感から始まり、やがて芽生える主体性などを丁寧に描きつつ物語を進めています。

…という内容になります。

いずれの作品も細かく解説しようとすると軽く投稿数回分になってしまいそうなものです。両作品ともネットフリックスなどで配信されておりますので興味のある方は是非ご覧ください。面白い作品ですよ。

さて、何も考えずにこれらを鑑賞しておりましたが、作者が五黄土星と知って改めてなるほどと思わされました。

死とは?生とは?

五黄土星とは「死」を担当する星であるとお伝えいたしました。

ですが、いわゆる「死神」のような星ではありません。
五黄土星は「死」というものを突き詰めて考える星なのです。

「果たして死とはどういうものなのだろうか?」
五黄土星の方にとって、これは考えに考え過ぎた思考であろうかと思います。

そして、この「死とは?」の極まった先、五黄土星に新しい問いが生まれてきます。それが

「生きるとは?」

なのです。

つまり、五黄土星とは、9つある星の中で最も「いのち」というものを深く突き詰めて考える星なのです。
こうした考え方は先の両作品においてとても顕著です。


・進撃の巨人…

この作品ではメイン・サブといったキャラクターの重さに関係なく、あっけなく、そしていきなりに様々な登場人物が死んでゆきます。

実際劇中において、「この人はおわりまでずっといるよね」という登場人物が終盤手前で呆気なく凶弾に倒れました。これには驚いた人も多かったのではないかと思います。

そういった様々な仲間の死に様を乗り越えて主人公は自分なりの進むべき道・生きる道を見出そうとします。

「死とは誰にでも平等に訪れるものであり、そして死とは日常のどこであっても出くわしうるものなのだ」

…という、死を正面切って見つめる五黄土星の感覚がここにあります。
死は平等に誰にでも訪れ、なおかつ死に関して人は段取りを選べません。
元気だった人がその数分後事故で亡くなることもあるのです。

そして、その数多の「死」の中から、主人公は「生きる」道を模索してゆきます。

これもまた五黄土星の姿勢そのものです。


・エヴァンゲリオン…

最初は心中定まらず、境遇に拒否感を抱いていた主人公が少しずつ使命感を抱き前に歩む姿を描いています。
その過程でもちろん仲間の死という出来事も盛り込まれています。

「敵味方の死」というテーマももちろんあると思いますが、この作品では登場人物のそれぞれの生き様から「生きるとは?」というテーマにスポットがより当たっているように思えます。

また、メインストーリーと並行して、「人類補完計画」というものの存在が語られます。人類の命の形を進化させようとする動きと、これに巻き込まれその計画の中核とされてしまった主人公の「命」に対する考え方の対比という形での「命とは?」という問いかけも存在します。

進撃の巨人とはまた違ったテイストで「生きること・命とは」の問いかけがそこにあります。

いずれもエンターテインメント作品ですので面白いものに仕上がってはいるのですが、単なる冒険活劇とは違った「命」というものへの一段深い思索が織り込まれている作品に仕上がっています。

こうした「生とは?死とは?」を意識させられるあたり、つくづく五黄土星の作品だなと思うわけです。

死があるからこそ、生が輝く

五黄土星は考え、そして至ります。

「人はどこでもいつでも、それこそ次の瞬間にでも死んでしまい得るものだ。」

…と。
そして考えはもう一段先に進みます。

「今一時を大切に生きなければ」

これが、「死」というものを熟慮し尽くした末の五黄土星の結論です。

五黄土星はマイペースな星と言われます。
このマイペースさ、ここまでみて参りますと、実はこれは「今」を生きるが故だと見えてきます。

五黄土星とは、死を突き詰めて考えることにより、生を突き詰めて考えるに至ります。

そして、今目の前の瞬間を全力で生きようとします。
だから、五黄土星が「やる」と決めたら「そこで・その時に」やるのです。

「死」というものに真摯である五黄土星は「生」にも真摯です。
そういう意味では、五黄土星は九星の中で「生きること」に最も貪欲な星であるともいえるでしょう。

「死」という欠点を真正面から見つめることで、「生」というものに力が入る。
そして、その生=命は今を真っ直ぐ生きるように使うべきなのだ。

これが五黄土星の持つ哲学であり、五黄土星の強さの根源です。
進撃の巨人も、エヴァンゲリオンもこれにしっかり則っていると思います。


2月、カレンダーの上ではもう終わりを告げようとしています。

「2月は逃げる」

と冒頭で書きました。よく世間で言われる言葉です。

が、果たしてそれは

「充実して時を忘れて過ごしていたから」あるいは「生きていた」からこそ
逃げたように感じるのか。

それとも、

「ただ、気がつけば時間だけが過ぎていて」あるいは「死んでいた」ために
逃げていったのか。


今月、そして今年の初めにあって五黄土星に改めて学び、猛省しつつ新しい一歩を踏み出すようにいたしたく。

…頑張ります!


次回の投稿は3月5日です。

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