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木管フルート(木製モダンフルート)について思うこと

 フルートを専門に勉強し、何10年も吹き、様々な演奏を聴いてきた。これは過去に木製モダンフルートについて書いたものである。


 フルートは木管であるべきなのだろうか?もともとは木管だったし、その音色こそがフルートであった。だが20世紀以降の作品には木管よりも金属管がイメージされたものも多いだろう。最終的には作曲家のイメージした曲想や、その時代の演奏様式、他の楽器とのブレンドにおいて最も適した音色で奏され、笛の音色の役割を果たすのがフルート奏者の本分なんだろう。

 最初の写真にあるような現在盛んに使われる(古楽器のトラベルソではない)木製のモダンフルートはその音色を実演で聴く限り、金属、木管のどちらの豊かな響きを出し切れず、何とも歯がゆいどっちつかずの一人よがりな音色に聞こえて仕方ないことが多い。金属管では素晴らしい音色だった人が木管に替えたことでとても残念な響きで演奏している様子をよく耳にするのだ。各メーカーから流行に乗って盛んに木管のニューモデルが発売されているのもこの状況を後押ししているのだろう。

 金属管で十分に音色の魅力を引き出せている奏者があえて木管にすることで大きく魅力を失うことがある。第一線の奏者で木管の良さは知りながらも、決して演奏会で使わない人が多いのも頷ける。

 パトリック・ガロワやジャック・ズーンのように両方を研究し尽くし、完全に別物としてどちらかを捨ててでも乗り換えている奏者で木管の別次元の魅力を引き出せている人も稀に存在する。(ズーンは自分で制作もするようだ)オーケストラ奏者でもエミリー・バイノンのように、曲によって木製と金属を使い分け、木製でも遜色のない素晴らしい響きを客席まで届けられる名人もいる。

 つまり木管モダンフルートから現代の演奏会において金属管と遜色ない音色の魅力を引き出し、聴衆に届けるためには奏法の相当な研究と高い技術が必要だということである。

 楽器の選択というものは奏者本人の感性に委ねられており、どんなに良いマイクで録音しても自分の音を完全に客観的には聴くことができないので、本人の感覚や好みに周りは口出しできず、今のような状況になっているのだろう。

 おおかたの音楽ファンにはさほど大きな変化に感じないのだろうが、オーケストラを例にとると、一昔前の演奏で和音の上部を縁取りし、またヴァイオリンと重なり、他のソロ楽器に絡みながら素晴らしく響き渡っていた金属管の音色を聞き慣れた耳には、現在の平凡な木管使用の演奏を聴くと物足りない思いをすることが多い。周りの楽器とのブレンドは良いのだろうが、広いホールや他の楽器を突き抜けて響くパワーにどうしても不足する。音量がないわけでなく、音の指向性や広がりかたの違いなのであろう。まるでパイプオルガンの鍵盤を一つ鳴らしたような倍音に乏しい音で和音を埋めているだけのようにしか聞こえず、フルートとして役割不足と感じることが多い。

 この原因はどこにあるのか。やはり素材、構造の違いによる指向性の狭さ、金属管との響きの違いが現代楽器(ピアノも含む)とのアンサンブルにおいてマスキングを発生させ、客席への響き方に影響すると考えるしかないだろう。

 これがピリオド系のオケやアンサンブル内でのフラウト・トラベルソ使用の演奏になると、周りとのバランスにも優れ、本来の木管の音色の魅力とともに、その曲中での必然性が俄然はっきりと表現される。木管独特の倍音成分が消されずに響くのだ。これは会場の広さにもさほど左右されない。トラベルソというものは音量的には全く遜色なく鳴るのだ。

 軽々しく流行の木製モダンフルートに手を出して、お客に物足らない思いをさせている多くの演奏を聴くにつけ、現代楽器のアンサンブルの中で木製モダンフルートを選び演奏していくには相当の技術と客観的に響きを研究する尋常ならざる努力が必要なのではないかと常々思うのである。

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