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足るを知るオーディオ

音楽が好きだし、オーディオが好きです。

今の気に入っている機器を長い時間をかけて徐々に揃えて来ました。

お金がないので、ケーブルを付け替えたりだとか、カートリッジが、電源がどうとかこうとか、その深みにハマることはできないですが現状に満足しています。ラックやスピーカースタンドも最近ようやく買いました。それまでは床に直置きや石の上に載せて聴いてました。

僕の機器選びは、見た目の印象でピンと来たモノ。その1点できました。(と、もちろんお財布事情(TT))もちろん安い買い物じゃないので決めるときは相当な勇気と、どこか投げ槍な感覚にもなる混乱した精神状態です。

いろいろな機器を聴き比べたことも若い頃はありましたが、最近はもうこの「ピンと来た」で一発勝負。これがアラ不思議、思ったようなイメージの音なんですよね。
見た目や、直感は自分の感性と製作者のデザインの感性が同期してる訳だから案外、その後の聴覚へのフィット感にも大きく影響するものなのかなと思います、最近は。
眺めてるだけでも嬉しいですもんね。気に入って選んだ機器は。

しかし、やっぱりオーディオはあるお値段以上じゃないとやはり思ったような良い音が出ないという事情だけは変えられないので、揃えるまでには合計するとまあまあそれなりにかなりのお金をかけてしまう訳で。
その上、同好の士をたまたま家族に迎えるということもなかなかあることではなく、大きな課題として家族の理解を得るということがあるのです。これがなかなか難しい。この何でもネット、スマホで済んでしまう時代に、音楽を聴くというこの1点にこんなに金をかける意味がわからないと言うわけです。「いやいや音質がどうのこうの…」と反論したところで興味のない人間には何を言っても、場所を取り、金を食い、家族サービスの時間を食いと全く情状酌量の余地なしなんですよね。
仕事から帰って家事雑事をし、家族が寝た後の残った僅かな時間を眠たい眼を何とかこじ開けながらスピーカーの前に座り、喰らいつくようにレコードやCDを聴くのです。

この家族中誰にも理解されない趣味を息長く続けるには、どうしたら(*_*)…
そう。足るを知ることと今は思っています。
オーディオ機器そのものへは何の不満もなし。
スピーカーは長く使えば使うほど最近ますます繊細で好調だし、アナログプレーヤーは調整や手入れをしていればご機嫌、CDプレーヤーはコンパクトで上位機種ではありませんが、最近の搭載部品の凄さからかよく研究された心地良いサウンドが鳴ります。セッティングは、部屋の壁からの距離、角度など座る位置から逆算してミリ単位まで厳密に決めてからは、不満がありません。
事情で海外に転居した時期があって、その間オーディオなしで暮らすことにどうしても耐えられず、やむなく船便(赤道直下、喜望峰回りの)で数ヶ月かけて送ったがビクともしなかった。(オーディオ機器は過酷な移動にも滅法強いんだなあと^_^)

そして、機器以外で時間的にも十分とれない現状で足るを知るためには、とにかく聴いている間の集中とイマジネーションを全開にすることです。僕は特に音楽から豊かなイマジネーションを受け取るには心を全開にしていないと降りて来てくれず、無の境地、さっきこの世に産まれたかのような真っ白の耳で音楽に向かうことが必要になります。どんな聴き古した曲も今日初めて出会う音楽として接すること。クラシック音楽ならいろんな理屈がくっついているものですがそれも考えず、とにかく音が語るものだけに集中する。スピーカーに向かう間は解説文や歌詞、スマホなどは絶対に見ない。アルコールが入っても無理です。これはある種、修行のようで忙しい日常の終わりには結構な努力を要することなのですが、うまくいくと、時には全く知らない曲なのに手に取るように曲が把握できるような感覚を得たり、逆に聞き慣れた曲なのに初めて聴くような驚きを伴う新鮮な体験をすることがあります。目の前にはスピーカーもなくなり、演奏者もなくなり、ただ音と音楽があるだけという感覚になります。
今僕はこの体験に病みつきと言っても良いかも知れません。
これは限られた環境で足るを知る、1日を満足して終える良い方法になっています。

いろんな苦労がありますが、好きなオーディオ機器で好きな音楽、新しい音楽に出会う喜びには代えられず、今宵もぐったりしながらもひっそりこっそりとスピーカーに向かうのです。

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