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あの時ラオスでカナブンを食べていたら私の人生は変わっていたかもしれない

「カナブンなんて食べられない…」

昔、ラオスで揚げたカナブンを「美味しいから」とラオス人にすすめられたとき、わたしは「お腹いっぱいです」と丁寧に断った。

あのときのカナブン、どんな味だったんだろう…

ラオスで「蟲ソムリエ」として活動されている昆虫専門家へのインタビュー記事を読んで、ふとそんな思いが頭をよぎった。

記事の内容は、昆虫食のあれこれ。おすすめの昆虫だったり、昆虫食の多様性だったり、その未来だったり。

記事を読みながら、以前ラオス人と共に、昆虫をつまみながらビールを飲んでいたことを思い出した。

2009年当時。わたしは、ラオスにある日本のNGOが運営する美容学校に、美容師講師として年の半分をラオスで過ごしていた。

授業の合間に、虫の入ったバケツを持って虫売りのおじさんがたまにやってくる。生徒たちは外に飛び出し、虫定めをする。

こんな感じで虫を定める。「これ、私の大好物だ」などと言っている。こんな光景が、ラオスの日常だった。

市場でも野菜、果物、昆虫…となんの違和感もなく売っている。(虫嫌いの人は目を細めていただいて)

先に言っておこう。

わたしは、虫が苦手だ。いや、苦手なんてもんじゃない。虫を見ると身震いし、カラダ中が鳥肌でおおわれ、声にならない声が出る。

ところが、ラオスにいるときはなぜか、虫のことはいうほど気にならなかった。

「蟲ソムリエ」の方の記事に、こんな言葉があった。

この記事を読んでいただいた方の中にも、昆虫食のイメージが揺らいだという人もいるのではないだろうか。何に対しても頭の柔らかさを持って構えたほうが、未来を照らすライトは増える。昆虫だけに玉虫色だ。価値観が自分の中で揺らいでいく感じを、私も楽しめるようにしていきたい。

まさに、ラオスにいたときのわたしは価値観が揺らぎ、ある程度の「昆虫を食す」ことを楽しめるようになっていたのだ。

生徒から虫をすすめられたら、恐る恐る食べた。ラオス人の友人から芋虫をすすめられたら、目をつぶって食べた。

食べてみると、これが意外なほど美味しかったのだ。

日本ではスルメをかじりながらビールを飲むが、ラオスではバッタを食べながらビールを飲んだ。

何に対しても頭の柔らかさを持って構えたほうが、未来を照らすライトは増える。

虫嫌いのわたしが、美味しく昆虫をつまみにし、楽しめていた。ラオス人がわたしの道にライトを当て、世界を広げてくれたのだ。

ただ、1度だけ食べるのを断った虫がいる。それが、冒頭にあるカナブンだ。

当時、休暇になるとラオスの地方を旅していた。

ある休暇で、「シーパンドン」というラオス南部、カンボジアの国境近くの島に行ったときのこと。

2日間だけの宿泊だったが、宿泊先のゲストハウスを経営している家族と仲良くなり、夜ごはんを一緒に食べようと誘ってくれた。

当時シーパンドンは電気が通っていなかったので、夜になると自家発電で電気をおこし、その明かりで料理を作っていた。

もちろん、まわりは真っ暗。

そこで何が起こるかというと、大量の虫が暗闇に差し込む光を求めてやってくるのだ。

そして、集まってきた虫の中から「カナブン」だけを家の子ども達がビンに詰めていた。わたしの肩に止まっていた緑色をしたカナブンも、例のごとくビンに入れられた。

まさか……と思いながら待っていると、少し前にわたしの肩に止まっていた緑カナブン率いるカナブン勢がカラッと揚がり、「これも食べてみな、美味しいよ」と、わたしの前に“カナブンの揚げたて”がポンっと置かれた。

そのとき急に、わたしの虫嫌いがいらんところで蘇ったのと、すでに出ていた食べ物でお腹が膨れていたのとで、カナブンは食べずに終わった。

今、わたしは思う。

「おい。なぜ、あのときカナブンを食べなかったんだ」

カナブンを食べていたとしてもそんなに大きく人生は変わらなかったかもしれない。

ただ、わたしは、おもしろい挑戦をひとつ逃してしまったのだ。

わたしが過去の自分に言いたいのは、カナブンを食べるか食べないかではない。おもしろい挑戦をするかしないか。

わたしがあの時カナブンを食べていたら…。ラオス人が「美味しいから」とすすめてくれた揚げたてホヤホヤのカナブンを食べていたら…

「このカナブン最高ですね~」とラオス人と盛り上がりカナブンを好きになっていたかもしれない。「ダメだ。まずい」と言いつつそれをネタにできていたかもしれない。

カナブンとラオス人がわたしに教えてくれたこと。

それは、おもしろそうと思ったことは挑戦するべきだということ。挑戦するその先に、自分が思いもよらなかった何か新しい未来が待っているかもしれない。

行動した後悔は次に進めるが、行動しなかった後悔はそこで止まってしまう。

食べ損ねたカナブンを思い出したこの機会に、頭を柔らかくし、自分の価値観をもっと広げていきたいと思った。

だんだん何の話をしているのか分からなくなってきたので、今日はこの辺にしておこう。

もし、またいつかカナブンをすすめてもらえたら、今度こそ喜んで食べるんだ。

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