見出し画像

私の気持ちが分かる人なんていないし、いても若林正恭くらい

きっと人間のタイプを二つに分けた時、私は社会に適合しない側の人間だと思う。

3人を超える集まりは正直苦痛だし、一人で生き方を考えたりその日の反省をする時間がないと生き心地があまりしない。
社交的であるべき場面ですごく不貞腐れているし(気疲れするし帰りたい気持ちが溢れ出るから)なんなら疲れがピークになると黙り込むし、一つ一つ納得しないと先に進めないし、みんなが右だといえば左のことについて興味が湧く。嫌なものは嫌で繕っても顔に出て、人の話を結構忘れる。

正直生きづらいとよく感じるけど、生きづらいなんて言うと引かれるし結局誰もそこまで真剣に考えてない。

ひん曲がった価値観があって、考え方も結構人と違うからあんまり「否定」という行為はしたくないし、みんな違ってみんないいを馬鹿正直に口にする。会社でこういうこと(本当に思っていること)を言うと笑われたり「だめだこりゃ」と呆れられたこともある。会社と言う組織において口答えする存在はあまり嬉しくないらしい。

きっと世の中の人はそういった不満を多かれ少なかれ抱いているよという意見もあるかもしれないけれど、つまり私はそれがそう処理できるレベルではないという訳である。


社会や組織という纏まりで、とても生きづらい。


どうかわかって欲しいという主張はできないけど、生きづらくてどこかにいい場所がないか探している自分を無視するのもできない。


私は私を見捨てることができない。


人生を諦められないしまだもう少し生き生きと生活したいだけなのに、どうしてこういつも同じようなものを選択して、同じように悩んでいるのだろうか。不思議で仕方がないけれど、誰も教えてくれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?