摂食障害のわたしが母親になって④
前回のつづきです。
娘は、中学校3年間、勉強や部活を本当に頑張りました。
英語が大好きになって、見学会で心奪われた、ある高校に絶対に行きたい!となって、無事に合格します。
周りからは、もう少し上のランクに行けるのにどうして?とよく言われていましたが、意志は固くその高校以外は考えられないと言っていました。
そこは地元からは少し離れていて、それも大きな要因だったと思います。
無理していたんですね。
そして娘の直感はまさに大当たりで、娘と同じく自立心旺盛な友人に囲まれ、本当に楽しい高校生活になります。
わたしにとっても、とても思い出深い3年間でした。
ママ友たちにも、とっても恵まれました。
受験生の親の苦悩を味わうこともできました。
娘がホームステイで外国に行く度に、空港で見送ったあとの帰りの電車で、我慢できずに泣いてしまったり笑、ホストファミリーも何度か引き受けて、言葉や文化の違う子ども達と接することができたりと、わたしにとっても、初めての経験をたくさんさせてもらいました。
全て、娘のおかげです。
しかしまぁ、このまま終わるわけはなく、娘の反抗期が高校3年生に始まります。
わたしの反抗期に比べたら、それはそれは可愛らしいものでしたし、当時は頭を抱えた時もありましたが、今思えば、
『オマエの思い通りにはいけへんからな!』
ということだったので、この時期は必要なものだったと改めて思います。
ストライキ?
彼女が高校3年生の頃、急に勉強することをやめ始めました。
1、2年生の頃は変わらず勉強に励んでいましたが、3年生になって周囲が急に受験モードになったとたんです。
ここから本番!という時に急なので、最初は意味がわからないし、でも大学には行きたいと言うし、じゃあこのままでは行きたい大学には行けないのでは?となりました。
当然ケンカも増えます。
そんな中で、彼女から
『努力から逃げてきた人間に言われたくない!』
と言われてしまいます。
その通り…返す言葉は一切なし…
わたしは彼女が中学生になった時、どうして勉強が必要かの話をした時に、
自分自身のことを全て話しています。
わたしは元々勉強は好きでしたが、中学2年生からの大反乱期に勉強をすることを一切やめました。
高校受験はしたくないと言い張りましたが、両親にそれだけはと懇願されて、一応は受けましたが当然、一切勉強していないので、仲良しの友だちと一緒に受けた高校の理科の試験問題がわからずに、そのまま寝る始末。
当然不合格で、滑り止め?に受けた、校則に厳しい女子校に進みます。
友人には恵まれましたが、厳しい校則を振りかざして楽しんでいる先生たち(一年生の担任の先生は違いましたが)に、
"汚い大人たち、何も気づいてないと思うなよ"
ばりに悪態をついていましたし、嫌悪感しかありませんでした。
反抗期は止まらないし、散々両親を困らせた挙句、2年生の一学期に、高校を辞めます。
その後は、一生懸命仕事をして、本当に周囲の人に恵まれて、何も不満はありませんでしたが、離婚後、一家を支えていくとなると、その事が自信のなさや劣等感につながり、とても苦しかったです。
それもこれも全て娘に話してあるので、やっぱり言われてしまいました…
彼女も、大学には行きたいけれど、このまま、勉強勉強となるのは嫌で、周りも急に受験モードになったことに、なぜか耐えられなくなったと、後に話していました。
言われたくない相手に言われたくないことを言わせてしまった。
というような、複雑な感情をどうしたらいいかわからずに、少し取っ組み合ったのですが、彼女の方が力が強くなっていたので、とりあえず、携帯を使えなくしてやりました笑。
腹いせ以外のナニモノでもない、非常に大人気ない対応をした自分も、等身大の自分でした。
これも良い思い出というか、ネタになっています笑。
勉強しないということで、わたしに反抗していた娘は、その後進んだ大学で、バンドを組んで、喋りが得意なおもしろボーカルとして、青春を謳歌します。
そして、通学するのに時間がかかるので、ひとり暮らしを始めます。
でもわたしは、ここでも鍛える手は緩めず、学費と家賃、電話代は出すけど、生活費と光熱費は自分で稼ぐようにと伝えました。
人ひとりが暮らすのに、どれだけのお金が必要かがわかる良い機会にしてほしかったからです。
きっと社会人になった時に、苦しいことがひとつもふたつも減ると、その時もそう思っていました。
その後のわたしはしばらくの間、何のためにスーパーに行くのかわからなくなるぐらい、ポッカリ穴が空いたようになりました。
娘が生まれた時からずっと、健康を考えて食事を作ってきましたが、もう何も作る気になれずという日々は少し続きました。
が、反面、
『この子、本当にひとりで大丈夫かしら?』みたいな心配は一切ありませんでした。
そうです。本当にしっかりしていたのです。
甘やかす方がずっと楽で、親も良い気持ちになれるよなと思ったことは数知れず。
でも何より、いつか自立しなければいけない彼女が、自信を持って巣立っていくためには仕方のないことだと割り切り、それも貫きました。
心を鬼にした分は"安心"となって、娘がわたしに返してくれました。
現在、東京でひとり暮らしをしている娘は、それはそれは心地良い部屋で暮らしています。
"暮らすのが上手"といった具合です。
今、振り返ってみて、わたしの人生は豊かです。
娘がわたしの元に生まれてきてくれて、本当に豊かになりました。
わたしのお腹にいた時から28年間、娘はわたしの宝物であることは言うまでもありませんが、
彼女にとっては、わたしは良い母親ではなかったかもしれません。
その頃の若いわたしなりに精一杯、育てたつもりですが、わたしが与えてきたものは、彼女が欲しかったものではなかったかもしれません。
それは重々に承知しています。
父親とも離れることになってしまったし、本当にかわいそうなことをしてしまいました。
取り返しのつかない寂しい思いをさせてしまいました。
今もなお、あの時ああすれば良かったな。
あの時のあれは、間違ってたよな。
思い始めるとキリがありません。
そんな時、たまたま観た、母乳育児を頑張る母親を主人公にしたドラマの中で、こんなセリフがありました。
『わたし達(母親)は、どの道を選んでも、罪悪感から解放されることはない。
でもそれは、本当にあなた(子ども)を愛しているから。』
とても響きました。
愛しているから、何をしても良いわけではないけれど、愛しているからこそ感じる罪悪感に、今もなお苦しむのは少し違うかもと思えるようになりました。
それよりも“ありがとう"の方が良いのではないかと。
わたしの子育てのベースは、
愛を伝えることにありました。
今、28歳になる娘を見ていて、それはとても大切なことだったと思えます。
もし、ご縁があってこのnoteを読んでくださるあなたにも、大切な人がいるのなら、
言葉や態度で、その"愛"を伝えてみてくださいね。
真心は必ず届くと思います。
それは相手が子どもじゃなくても、どんな人にでも。
今回はダイエットとは関係ありませんでしたが、わたしの大切な一部を綴ってみました。
またまた理由がわからずリバウンドしていく話は、また次の機会に。