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まさかの場所に隠れていたトラウマ


幼少期の辛かった経験はもう
色んな人の力を借り
意味を書き換え成仏してる。
小さなわたしはもう笑顔になった。


体調も良くなり摂食障害も卒業した。
自己対話のワークもしたし、
インナーチャイルド(嘘偽りのないありのままの自分)の
癒しも終えた。


でもわたし、
この先、何をして生きていきたいのか
わからなくなっていた。

栄養×心理を世に伝えたいはずだったのに
どうもワクワクしない。面倒でたまらない。

そもそもいつまで経っても、自分を出すことへの
怖さや恥ずかしさがなくならない。
誰に観てもらっても相談しても
あんたはできる!あんたは大丈夫!
間違いないから行ってこい!


ならこの怖さって行動すれば消えるの?  
いやその前になにしたいの?
なんでこんなに引っ込みたくなるん?
怖いよ怖いよ。
ずっとこのまま引っ込んでたい。


そんな中、ホロスコープ研究家のAkaneさんの発信に釘付けになり、セッションをしてもらうことにした。
魂の導きセッション。
わたしやっと!これでやっと新しい人生を歩き出せる!
期待値100億ぐらいで挑んだ。


そこで判明したのは、わたしは相当パンチの効いたロックな魂を持って生まれてきていること。
人の顔色伺って、本当はこれを言いたいけど、このくらいにしとこう。じゃ全く満足しない魂だと。

へぇ〜意外〜!とは全くならなかった。
うすうす気づいてた。
でも嫌。なんか嫌。ムリ。怖い…


わたしは中学2年生の時に両親の酷い扱いに反旗を翻し、大反乱を起こしていた時期がある。

『おまえらおかしい!普通じゃない!子どもに暴言を吐いて叩いて怒鳴り散らす。説教が延々続く。友達の家みんなそんなんちゃうわい!』

言葉にするとこんな感じ。

おかしいもんはおかしいねん。
これからは絶対に言いなりにはなれへんぞ。

簡単に言うとグレた。大暴れした。

"ロックな魂"は、その時代のことを思い出させるとてもイヤなワードだった。

今わたしのそばにいる人たちは、みんな離れていくとすぐに思った。

なぜこんな気持ちになったのか。
向き合ってみようと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

妹が生まれた時、わたしは7歳だった。


ある日母は、洗濯物を干すから、寝返りをころころとする妹を見ていてとわたしに頼んだ。
でもわたしはその時、お人形を手にしていて、いやや〜と言いながら、手を伸ばして母のお尻の辺りを触ろうとした瞬間、母は激昂した。
ちょうど干していた白いタオルをすごい勢いで取って、くるくるとロープみたいに巻いた。それをわたしの胸に押し付けて、
『そんなに嫌なら、おまえの妹、これで殺してこい!!』と大きな声で怒鳴った。すごい剣幕だった。

ロープ状にしたこのタオルで、赤ちゃんの首を締めろの意味だとわかったのはもう随分あとだった。

わたしは、自分はなんでいやだと言ってしまったのか。失敗してしまったというようなことを俯きながら思っていたことを覚えてる。


泣いたのかその後どうしたのかはわからない。
たぶんこの日が始まりだったと思う。

それからは、そんなことがたくさんあった。


ずっと虐げられていたわけじゃない。
友だちをお家に呼んで、もてなしてくれる母や、
よく熱を出すわたしを献身的に看病する母もいる。
落差が異常に激しく、いつ何時スイッチが入るのかはいつまでもわからなかった。


父は、外での不満やイライラを全部家に持って帰ってきていた。
"女のくせに"が口グセのような、劣等感の塊のような人で、家の中ではいつも威張っていた。
夫婦喧嘩の仲裁に入る小さなわたしに手をあげるような人だった。


小学校1年生の時、髪の寝癖が酷い引っ込み思案のわたしをやんちゃな男の子たちがからかった。
お風呂のあと、髪を乾かさずに寝るからだと気づいたわたしは、それからはバスタオルで髪を一生懸命拭いていた。それが気に入らなかった父は、夜遅くまでわたしに説教をした。
母が『お父さん今日はもう遅いから』と言うと、お決まりの『おまえは黙っとけ!!』で余計、長引く感じだった。

バスタオルをお母さんが洗うのがどれだけ大変かということと、子どものくせに見た目を気にするなんてどうかしていると散々だったので、ドライヤーなんて使えるわけがない。


5,6年生の頃、友だちと、手の小指の爪にピンクのペンで色を塗った。楽しくてなんだか嬉しかった。
その小指に気づいた父が、『水商売の女か!』と激昂して、思いっきりビンタをされて床に転がった。
ものすごく驚いたのを覚えている。
その後も遅くまで説教していた。

そういった説教はよくあって、今思うと、酒の肴だったような気がする。

いつもピリピリした緊張感のたっぷりの家だった。


中学2年生になったわたしは、この家はフツーではないことに気づく。ついに目覚めてしまった。

『おまえら頭おかしいんじゃ!!』
ふたりがいかにおかしいことをしているかをぶつけた。

母は全く覚えていないと。
なんて酷いことをと、ごめん悪かったと泣いていた。

父はそれがどうしたと、自分は何も間違っていないと言い張り、思い通りにならないわたしを『ぶち殺すぞ!』と怒鳴り殴った。


その後母は豹変する。
好き放題するわたしに対してさえも、物分かりの良い、優しくて献身的な母に。
そしてわたしの顔色を伺う母に。

***

中学生のある日、母も公認の仲良しの友だちが、地元から少し離れている、いとこのお家に泊まり行くから一緒に行こうと誘ってくれた。
友だちのお母さんが、心配ないのでと、母に連絡をしてくれた。

行った先の温かな家庭。
そこのお父さんもお母さんも笑顔でいる。わたし達にも優しくて、家全体が柔らかい。
今日一晩だけでもここに居られるのが嬉しかった。


でもそれは叶わなかった。
やけに電話がよく鳴ってるなとは思っていたけど、それは父だった。


仕事帰りに迎えにやってきた。
わたしはそこのおばさんに帰りたくないと言ったけど、おばさんはとても困った顔で、それはでけへんかなぁと言った。


父はそのお家の方々に挨拶もそこそこだったことを失礼やなと思った記憶が残っている。
まるで娘が誘拐されたみたいに。
優しいふたりに対して申し訳ない気持ちでいた。


殴られるかと身構えたが殴られはしなかった。


車に乗るやいなや、
『なんで俺が、あいつらに電話してすんません言うて住所聞いて迎えに来なあかんねん!なんで謝らなあかんねん!なめてんのか!なんで俺が頭下げなあかんねん!!なんで俺が!!』と怒鳴った。

わたしはその時、涙がこぼれたのを覚えてる。
でも『じゃあ迎えにけえへんかったらええやろ!』と言い返した。
妙に悲しくて、走ってる車のドアを開けて飛び降りようとしたけど、見覚えのないその場所が怖くて開けかけたドアを閉めてしまった。
そして数年前のことを思い出す。


わたしが5年生のころ、母が倒れて救急車で運ばれたことがある。
小さな妹は泣きわめくし、このまま死んでしまうと思って恐ろしかった。
結局大したことはなく一晩だけ入院することになった。


母がいない初めての夜。
早く妹を寝かせようとお布団を敷こうとしたけど、当時のお布団は重くて、押入れの上までは、まだ背がとどかなかった。

父にお布団を敷いてと頼んだら、

『なんで俺がそんなことしなあかんねん!!』と怒鳴った。
『それは女の仕事やろ!!なんで俺がせなあかんのじゃ!!』と。
まだ怖さが覚めていない5年生のわたしが、父に言われた『なんで俺が!!』を、無力を感じている中学生のわたしも聞いていた。

***

わたしは反乱を起こす前まで、わからないことをわかるのは楽しいと感じるマジメ子だったから、勉強は楽しかった。だからいつも成績は優秀だった。両親はそれを自慢に思っていたようだった。

だから一切の勉強をやめた。

答案用紙が真っ白でも合格すると噂の女子高に渋々通ったけど、ヘンな場所だった。
校則違反のパーマを隠すために編み込みをしてる女子生徒の後に立って、権力を振りかざしながら、それはそれは楽しそうに、その編み込みをゆっくりゆっくりほどいていく気色悪い男の先生とか、指導という名の憂さ晴らししてるアホな先生らを見て、ほとほと嫌気がさしていた。

家出やなんやをするから、スクールカウンセラーもつけられたけど、は?ほんで?それがなんなん?みたいな態度にアタフタしているその人を見て、笑ってしまった。
勝手に部屋を出てそのまま帰ったら、『あんな生徒は初めてです!』って憤慨していたと、先生がやたら怒っていた。

いやその人、スクールカウンセラーちゃうんちゃう?と今も思うけど。笑


とにかく色んな人に怒られた。
中学時代の大好きやった先生も、好きやった彼氏にも、
『あんな良いお父さんとお母さんに何の文句があるの?』と言っていた。わたしがワガママでおかしいと思われていた。
こんなに酷いことをしてきたんだと話しても、首をかしげるだけだった。


わたしの話を信じてくれたのは、
家に居場所がないような、当時不良と言われる子たちだけだった。一緒にいるとなんだか楽しかった。
わたしたちはやたらよく笑っていた。

でもそれも母に引き裂かれてしまう。

『うちの子がタバコを吸い始めたのはあんたのせいや!あんたみたいな子と付き合い始めたからや!!ずっとええ子やったのに!!あんたのせいや!!』などと、大好きなその子に酷いことを言った。


わたしはその頃、
"初めに悪いことをする時は群れてしない"という、なんのポリシーかわからないけど、そうしていた。
慣れてきたらみんなでしてもいい。みたいな謎の掟が自分にあって、わたしがタバコを吸い始めたのは、その子には全く何の関係もなかった。

あそこの家はどーのこーのと噂話が大好きな空っぽおばさんたちの標的になるようなお家の子だったからだとピンときた。

その夜わたしは家で暴れた。

わたしの大事な友だちに謝れ!!と叫んだのを覚えてる。


その子は、本当の本当に悪いことをする時は、いつもわたしを家に帰らせた。絶対に連れて行ってはくれなかった。どれだけ言ってもダメだった。

そんな子なのに。それなのに。悲しかった。

わたしが怒り狂うと豹変し、声色を変えて泣きながら謝る母が気持ち悪かった。


それからも結局良い子には戻ることはなく、母の困った顔、泣いた顔をたくさん見た。


ドやんちゃ達が集合しているわけでもない、ごく普通の女子生徒しかいないそんな所で、肩で風切って歩いてるその気色の悪い先生たちがいる高校は2年生の最初に辞めた。

これには父も困っていた。

でも、1年生の時の担任だけは違っていた。熱い先生だった。
世話をたくさんかけた。
何度も家に来てくれて、わたしの部屋の窓ガラスに一面にびっちり書かれている叫びみたいな落書きを熱心に読んでいた。
わたしの心の中を一生懸命探ろうとしてくれていた。

学校を辞める時、涙をこらえながら、
『俺は悔しい!悔しいよ!』と机に手を叩きつけながらその先生は言った。
子ども心に、これが本当の先生なんやなと思っていた。
今でもその姿を思い出す。

でも当時は、すぐそこにいる先生が、とても遠くにいるような、何かとても大きなものがわたし達ふたりを遮ってるように感じていた。そしてわたしは諦めていた。

***

それからのわたしは、何年も連んでいた友だちとも離れ、一生懸命働いた。
職場のおねえさんたちに可愛がられ、今までとは違う遊びに連れて行ってもらい、大人の階段を上ったような気持ちで過ごしていた。

数年後、後に結婚する夫と知り合い、初めて本当の恋愛をして、さらに大人の階段を上った気になっていた。

その頃はもう、母とは超仲良しになっていた。
豹変したままの、娘思いの優しくて献身的な母だった。
たぶんこれが、妹が生まれるまでの母だったんだろうと感じていた。
あんなに可愛がっていたのにと、よく泣いていたが、本当にそうだったんだと思う。

父は今まで以上に、仕事のプレッシャーやストレスで、お酒を飲んでは、母を罵倒するようになっていた。
相変わらずわたしはブチ切れてケンカをしていた。
殴られても殴り返したし、絶対負けるか!と思っていた。
『はよ寝ろこのおっさん』と言わんばかりに、母とふたりで目配せをして、父が寝た後は、おしゃべりをたくさんした。
母がかわいそうでたまらなかった。


後に結婚をする5歳年上の夫との付き合いを始めてすぐにわたしは、彼を家に連れてきて両親に紹介した。
父とは時々、取っ組み合うけれど、以前に比べたら落ち着いていたし、コソコソするのが嫌だったからだ。

それから父は、夫を我が息子のように可愛がった。
たくさんたくさん助けてもらった。
本当は両親に愛されていたのだと感じていた。

そして数年後、娘が生まれてからは、
孫娘いのちのおじいちゃんに変身して、それはそれは宝物のように愛してくれた。
人はこんなにも変われるものかと不思議だった。


昔のあの小さい頃の辛い記憶なんぞは、どこか遠くに行ってしまっていた。

残っていたのは、
思いっきりやり返したな。ってことだけだった。
好き放題大暴れしてたわたしが、いっぱい泣かせて、いっぱい困らせて、いっぱい恥かかせたってことだけだった。

あの困った顔。あの辛そうな背中。
これは結構強めに記憶にあった。

思い出すと恥ずかしかった。
子どもとはいえ、熱くて単純であと先考えずに行動してた自分が。
大人になってふと周りを見渡すと、みんな結構賢く生きてるやんって。

アホやったー
やりすぎたー
かわいそうなことしてもうたー
青春をムダにしてもうたー
勉強しとけば良かったー
中卒のオカンで娘かわいそー

守るものができたとたん、あの頃のわたしは鳴りを潜めた。
娘に恥をかかせないように、グレてた事はバレないように。

だって、あの頃のわたし
サイテーやから…


***

娘が3歳の頃、最高潮にかわいい頃。
父が突然、くも膜下出血で倒れ、そのまま植物状態になる。

ある月曜日の朝のまさかのまさかの出来事。

その前日の日曜日、わたし達家族はたまたま、実家近くにある、娘のお気に入りの公園で遊んでいた。

夕方近く、母から
『お父さんがごはん食べにおいでって言ってるよ』と電話があった。
これは『わしの孫を連れてこい』と同義語だった。
近くにいたのに、なぜかその日わたしは、気が乗らずに、今日はええわと断った。するとまだ、
『ちょっとだけでもええからおいでって言っているよ』と。なのにわたしは来週行くからと言って電話を切った。

その翌る日の突然の出来事。
その日から父は目を覚ますことも、話すこともないまま、4ヶ月後に55歳で亡くなった。

なぜあの日、娘を連れて行かなかったのか。
自分の気分で断ってしまった。
父が最期に、どれほど娘に会いたかっただろうと。
何度も誘った気持ちを考えると、本当にたまらなかった。


母と妹とわたしは、4ヶ月間の心の準備期間も虚しく、お通夜の間もずっと泣いたまま喪主の席にいた。


すっかりええおじさん達、大人の男の人が声を出して泣く姿もたくさん見た。

わたし達が大勢の人たちに囲まれていたお通夜のその席。眠る父の前で、あるおじさんが、少し怒ったような顔で『あんたが長女か』と訊いてきた。
わたしがそうだと答えると、その人は、

わたしが思春期のころ、色々問題を起こしている時に、いきつけの小料理屋でよく父と一緒になっていたらしい。
わたしが高校を辞めた時、父は珍しく吐くまで飲んでいたと話した。あんなお父さんは見た事がないと。
父がこんなに早くに亡くなったのは、あんたがあんなに苦労をかけたからだと、その人は真剣に怒っていた。

さっきまで泣いていたわたしはその時、とても冷静だった。
(なんやこのおっさん。この席で娘に言うことか。まぁええわ。今日のところは黙って聞いといたるわ。)
と思ったのを覚えている。
わたしは『はいそうです。すみません。』と、その人が納得してやめるまでそう言った。


しかしこれは、後々ものすごく効いてきた。
父の辛そうな姿は容易に想像がついた。
この映像は定番になって、今でもわたしの中にある。


そして父の死後、父がわたしに内緒で、夫の借金の肩代わりをしていたことや、知らないことがたくさん出てきた。ショックだった。

父は孫娘を守ろうと、わたし達家族を守ろうと必死だったのだと知った。
母は父がいなくなった今、これ以上はもう何もできないと、そして、父亡き後もそれが続くと踏んだ母の勧めもあり、わたし達は離婚に至る。

父への感謝と申し訳なさで、わたしはいっぱいになった。

そこから、わたしの全てが変わったような気がする。

『おかしいもんはおかしいんじゃ!』のわたしは、もうどこにも居なくなっていた。

ーーーーーーーーーーーー

グレてた時のわたしは、熱くて単純でロックだった。
人に笑われようが、白い目で見られようか、コソコソ噂されようが、関係なかった。
人目ばかりを気にしてる両親をかっこ悪いと思っていた。


"本当の自分はロック"
50歳を過ぎた今、うすうす気づいていて、胸の奥のマグマみたいなのがゆっくり動き始めてるのを感じてた。

でもイヤだ。あの頃の自分に戻りたくない。

すると、セッションしてくれているAkaneさんが
『ちがうじゃん!その頃のあなたもロックだったけど、怒りでしか、怒ることでしか、悲しみを表現できなかっただけでしょ?!』と。

ハッとした。

でもすぐにいや!ムリ!が出てくる。
あんな自分見せたくない。

『あなたはやり返したと思っているけど、その頃の自分が癒されているわけじゃない。』と言われて、確かに。
確かにノーマークだった。

それでも、その頃の自分のインナーチャイルド(嘘偽りのないありのままの自分)の声も全く聞くになれない。

一度ちゃんと向き合わないとなと思ってもなかなか、頭がGOを出さない。向き合いたくない。

根が単純だから、良いと思ったことは抵抗なく、すぐにするタイプなのに今回は嫌すぎてできない。

せっかく期待値100億で挑んだセッションだったのに、終わった後、どんよりしてしまった。


夜にパートナーが帰ってきて、嬉しそうに、どうやった〜?!と聞いてくれたけど、なかなか話す気にもならない。
でも辛くて、ポツポツ話し始めると堰を切ったように心の声が出てきて、

『わたしがロックな自分に戻ったら、あなたもきっと寂しい思いをするし、嫌うし、みんな(わたしの大好きな人たち)もきっと引く。離れていく。だからイヤや!!』と大泣きして言った。

そしたら彼はしばらく考えて、

『今のきみえちゃんが、あの思春期のきみえちゃんにもし戻れたとしたら、同じやり方で反乱起こす?』と訊いた。
わたしは
『絶対にあんなやり方しない。もっとうまくする。』と即答した。

すると、
思春期のあの頃のロックと、これからの本当のわたしのロックとは全く別なこと。
本当のロックなわたしは絶対に人を傷つけたりはしないこと。
今わたしの近くにいる、大好きな人たちは、そんなんで引いたり、離れて行ったりは絶対にしないこと。

それを整理しながら説明し、そして、
きみえちゃんは本当に愛の人やで。と話してくれた。
心配しなくていいと。

わたしは本当に涙が止まらなかった。
Akaneさんの『それがトラウマになってんだよ』の意味がわかった気がした。

思春期に大暴れする人のパワーはとても強くて、それが自分に向くと結構辛いと言っていた。
親と戦って、次は自分と戦ってるんだよって。

わたしは20歳になる前に、思春期の自分を後悔し始めているので、そこからずっとそのパワーを自分を責めることに使ってきたようだった。


そして極め付けは父が亡くなったこと、
直後に離婚したこと。
そう考えると、全て辻褄が合う。
あれはダメこれもダメ。
いつも自分を監視してきた。
失敗はもう許さないと。

自分の粗探しが得意になって、人の顔色を伺って、人を不快にさせないように、人に嫌われないようにと振る舞うわたしに大変身を遂げていた。

また誰かを怒らせないように。
また誰かを傷つけないように。


そしてあの頃の、心のままに行動していた自分を恥ずかしいものと捉えているから、
それが[本当の自分は恥ずかしい存在]という観念になっていたのだとわかった。

恥ずかしいわたしは笑われる存在。
細心の注意を払っていなければいけない。
どこにも出て行きたくないわけがよくわかった。

まさかあの頃の自分がトラウマになっていたなんて、
夢にも思っていなかった。
ものすごく大きな発見だった。


***

パートナーと話した後、だいぶスッキリはしたけれど、あの頃の自分と向き合う気にはやっぱりなれず。
珍しくモヤモヤしたまま過ごした。

でもわたしは、モヤモヤすることにもだんだん飽きてくる。

ある日、よし!やるか!となった。
いつまでも逃げれるものじゃないと。
ノートとペンを出し、思春期の自分と向き合った。

でも、当たり障りのないことばかり書き連ねる。
なんじゃこりゃ意味あるんか的なことばかり。


はぁー…どうやらなかなかの強者やな…
んー…でもとりあえず続けよ!
今日の夜もどんよりはもうごめんやと、しぶとく書き出していたら、
だんだんだんだん、熱を帯びてきた!
なんかスイッチが入った!

ブワーって出てくる。
怒りも悲しみもいーっぱい。
文句も100発書いたった。

そして大暴れしているその頃のわたしの奥の奥を探っていくと、最後の最後に出てきた言葉は、

『お父さん。しんどい。もうやめたい。』
『お母さん。助けて。もうやめたい。』
だった。


そうやんな。好きであんなことしてたんじゃない。

わたしはあの家で安心して居たかった。
両親に辛かった気持ちに寄り添ってほしかった。
わたしを理解しようとしてほしかった。

豹変してわたしの言いなりになってほしかったんじゃない。
自分のイライラを子どもぶつけてしまってきたことを、
ただごめんな辛かったやろと、心から言ってほしかった。

もう大丈夫だと頭を撫でてほしかった。
心から抱きしめてほしかった。


なのにわたしは、その事には気づかず
20代30代40代のこの30年間、わたしを責め続けてきた。


その書き出しのワークのあと、わたしは事あるごとに泣いた。
あの頃の自分。
自分で自分を抑えつけてきた30年間。

その涙はわたしを心の底から癒したようだった。
胸の奥から湧き出てくる色んな感情をまずはそのままに出すこと。それを本当に許せた。
そしてその許可は、わたしの心を静かにさせた。
初めての感覚だった。

お風呂で髪を洗っていたある時、
何かがガチャっとハマった気がした。
金庫に付いているダイヤルがガチャと合って、扉が開くような感覚。

"ロックな自分"
そこに還った瞬間だったと思う。

言葉で表すと
とてつもなくホッとして
とてつもなく心強い。
そんな感覚だった。


そこからわたしは、着ていた鎧を脱いだかのように心が軽くなる。いつもホッとしていた。

そしてこの頃から、低血糖の症状がピタッと出なくなる。
いつもと変わらない食事がものすごく美味しく感じて驚いたりすることが多くなった。
食べることに対してのジャッジは本当になくなってしまった。
心の中が柔らかくなった。


そして不思議なことに、思い出すのも嫌だった思春期ロック時代の、正義感いっぱいで真っ直ぐな自分の思い出話をたくさんするようになった。

家族や友だちは、大笑いして聞いてくれたり、その頃のわたしを抱きしめたいと言ってくれたりする。

優等生だった、わたしとは真逆の思春期を過ごした友だちも、希美枝ROCK最高!!!と言ってくれる。

わたしもその頃のわたしを抱きしめたい。
上手に生きれなかったけど、一生懸命に生きていたねと。
わたし本当は、あなたのことが大好きやったよと言ってあげたい。


ーーーーーーーーーーーー


これからは共に歩いて行こう。
恥じることはもう何もない。

笑顔になった小さなわたしも
大暴れしていたわたしも
娘を守りたかったわたしも
自分を責め続けたわたしも

ぜんぶぜんぶ
今のわたしに繋がっている。

わたしに生まれて良かったと
心から思えているこのわたしに。



新しい年。
新しい道。
待ってろよー!
自由になったわたしがそこを歩くからなー!


***
わたしの魂の声を届けてくれたAkane氏に
感謝を込めて。

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