【紙→WEB編集者】素人?ベテラン?どちらが作ったものに価値があるの?

コンテンツ作りを仕事にしたときに「素人?ベテラン?どちらが作ったものに価値があるの?」という問いが何百回も目の前に立ち現れてこないでしょうか? 私はよくこの問いをつきつけられるなという印象があります。

現状、私の結論→どちらともいえる です。

この問いに向かうときにいつも思い出すのは、新卒で出版社に入社したころ、銀座ママをしていたますいさくらさんの「銀座ママが教える『できる男』『できない男』の見分け方」という書籍がベストセラーになったときのことです。

この本がベストセラーになったことに周囲のベテラン編集者の先輩たちはかなりイライラしていました。

ますいさくらさんを発掘したのが当時の私とほとんど変わらない新卒に近い女性編集者だったこと(真偽は知りませんがそういう文脈をよく耳にしました)、書籍の体裁が見開きで1つのテーマを扱うもので、見出しと見開きの左端部分の結論部分だけを読めば趣旨が伝わる構成を安直だという言葉もよく聞きました。裏にベテラン編集者がいて若い担当者をスターにしているというような噂もありました。

どれもコンテンツの価値やコンテンツがファンを作ったか?という本質的な問いに向き合うときにはどうでもいい話です。

今現在の私は自身はおそらく素人ではないので、ベテランの作ったもののほうが面白い場合が多いと思うことが多いのですが、「素人?ベテラン?どちらが作ったものに価値があるの?」という問いをつきつけられるのは、玄人きどりでつまらないものを作りやがってという表現の逆説でつきつけられる場合が多いです。

何度もこの問いを突きつけられる場面に立ってきて、この問いがコンテンツ作成者に突きつけられるときには特徴があると感じます。

・結論はどちらともいえるけれど、それを問われなければいけない時流の中に今自分がいる
・この問いを突きつける人はその人の結論をもって問いかけている

この問いは、若手コンテンツ作成者にも、ベテランコンテンツ制作者にも危険な問いです。

若手であれば、この問いを問いかける人のスタンスに賛同しすぎると、今後の自分が作り出すコンテンツの価値への問いを相手にゆだねるスタンスになりすぎて自分の軸を失いやすくなります。時流やトレンドの流れは速いです。

ベテランであれば、自分を守りすぎて相手が本来問いかけていることに向き合わないことになります。

この問いが立ち現れてきたら、「なぜその問いをたてるに至ったのですか?」と素直に聞いてみると、本来の問いが現れてくる気がします。

この問いが隠している別の問いをはっきりと机上にのせて、それを1つひとつ解決しながら前へ進みたいタイミングです。そして、この問いを常に胸に抱えながら1つひとつの仕事に向き合いたいものです。

この問いをつきつけられるシビアな場面で、いらいらしたり慌てたりする気持ちになるときは、私の場合はコンテンツ編集者として自分の軸がゆらいでいたり、直近の仕事に自信がもてていないときが多いです。

そういう時こそ自分を立て直すタイミングでもあるかもしれないと自分に言い聞かせ、価値観が変わるときだよ、自分自身を問われているよと自分と向き合うようにしたいと常々思っています。


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