書物の転形期10 洋式製本の移入7:辞書と民間製本
上海で製作された辞書
辞書の製本は、高度なかがり製本の技術を駆使する反面、その用途に合わせた独特なものでもある。当時の製本技術の高みを見ることはできるかもしれないが、それが平均的な水準とは言いがたい面もある。
辞書は厚冊な上に、繰り返しページをめくられるという過酷な条件に耐える必要がある。本体用紙は厚手の固い紙を使うとめくりにくくなり、書物自体のかさや重さも増えるため、薄くて丈夫かつ柔軟でなくてはならない。本体用紙と表紙の連結部などの可動部分には十分な強度が必要なので、本体用紙に表紙と背をかぶせる「くるみ製本」よりは、表紙の芯を本体用紙の支持体と直接結びつける「綴じ付け製本」が理想であろう。折丁の丁数が多かったり抜き綴じを用いたりすると、頻繁なめくりに耐えられず折丁がゆるんだりはずれたりする。一折の丁数をなるべく少なく取り、丈夫な総綴じで綴じる。ただこれは、厚冊の辞書の場合にどうしても折丁の数が多くなる。総綴じは使用する綴じ糸が長くなり背が大きくなってしまうため、綴じ糸はなるべく細い糸がよい。多数の薄い折丁が細い綴じ糸による総綴じでしっかりと連結されていることによって、本体用紙の背はアコーディオンのように柔軟になる。つまり辞書は、薄く細く柔らかい素材によって厚く丈夫に製本しなくてはならない。高度な製本技術が必要な所以である。
もちろん、このような製本を当初から日本で行えるはずはなかった。
これは正しくは「和英語林集成」といい、美国平文先生編訳、日本横浜刊行、一千八百六十七年となつているが、印刷も製本も上海のアメリカン・プレスビテリアン・ミツシヨン・プレスでやつたものである。
(『東京製本組合五十年史』、非売品、1955)
J.C.ヘボン編『和英語林集成』の初版は1867年、上海のAmerican Presbyterian Mission Press(美華書館)で印刷されたものだが、この文章は製本も美華書館で行われたとしている。同書には日本で出版された版とロンドンで出版された版があるが、木村一は「横浜版」(日本で出版された版)で原装が残っているものとして、赤表紙の半革装幀・茶表紙の半革装幀・黒表紙の半革装幀の三種類を挙げている(『和英語林集成の研究』、明治書院、2015)。なお木村によれば、その他にも表紙や本文、紙質などが異なる複数の諸本がある。ここではとりあえず先の三種類の諸本を「赤表紙本」「茶表紙本」「黒表紙本」と仮称し、内閣文庫蔵本によって製本を確認してみたい。
赤表紙本(内閣文庫、E005504)は赤のクロス表紙に緑着色の背革と角革。丸背に花布を持つ。縦27.1㎝×横18.1㎝で、本体用紙は縦26.1㎝×横17.2㎝。木村前掲書によれば折丁に印刷されている折丁記号から4折判(四丁立ての折丁)としているが、折丁と綴じ糸の露出を確認した結果も四丁立て総綴じであった。支持体は三本で、表紙の芯はミルボード(Millboard)であろう。これはRope-fibre Millboardとも呼ばれるもので、古いロープなどの繊維を混ぜた板紙であり、第二次大戦頃まで使用された(Bernard C. Middleton. A History of English Craft Bookbinding Technique. 4th ed, Oak Knoll Press, 1996)。表紙は綴じ付け製本されており、背の天地両方に寒冷紗による表紙と背芯の接続補強がなされている。見返しはマーブル紙である。
『和英語林集成』初版(赤表紙本)、内閣文庫蔵(E005504)
同上、背
同上、扉
同上、背の内部。背紙にアルファベットが印刷された反古紙が使われている。天地に白の寒冷紗で表紙と後ろ表紙をつなぐ補強をしている。
同上、背の内部
本書が美華書館で印刷されたことは確実だが、製本はどうであろうか。木村は注でヘボンの1867年5月23日付横浜からのラウリー宛書簡を紹介しているが、「上海から私が持ち帰った僅か二部のうち、一冊でまだ製本してないままのものです」(254p)とある。上海で製本した分と未製本の分があることが分かるが、同じ注にある1867年8月付書簡では「政府だけでも三〇〇冊を買い上げました」とある。幕末期に三百冊を製本する能力が開成所その他にあったとは考えられず、これは上海で製本したと考える方が妥当であろう。また、ヘボンの未製本一冊分はミッション図書館に寄贈されたが、本来はヘボンが自家製本するためにとっておいたものかもしれない。内閣文庫蔵の赤表紙本は見返しが分離しており、アルファベットの活字を印刷した洋紙が背紙として使われていることが確認できる。先に述べたように板紙の素材も欧米のものであり、本書が上海の美華書館で製本された可能性は高いだろう。
茶表紙本(内閣文庫、E004557)は縦27.1㎝×横18.5㎝、本体用紙は縦26.2㎝×17.5㎝。茶色のクロス表紙に緑着色の背革と角革。折丁、総綴じ、支持体三本の綴じ付け製本、板紙など、すべて赤表紙本と同様であり、見返しのマーブル紙のみ異なる。
『和英語林集成』初版(茶表紙本)、内閣文庫蔵(E004557)
同上、背
同上、見返し
同上、ミルボードの芯
同上、支持体と寒冷紗
黒表紙本(内閣文庫、E007887)は縦26.6㎝×横17.8㎝、本体用紙は縦26.0㎝×横17.4㎝。やや外形の寸法が小さいのは本の背が欠落しているからである。黒のクロス表紙に赤着色の背革と角革。その他の構成要素もすべて赤表紙本と同様である。この本は後表紙のクロスが剥離しており、綴じ付けの構造が露出している。板紙に綴じ穴を三点三角形の頂点になるように空け、支持体の麻を一つの穴から通して裏で二本に分けて残りの穴に通す。
『和英語林集成』初版(黒表紙本)、内閣文庫蔵(E007887)
同上、背(背革部分が欠落)
同上、後ろ表紙。右に支持体を板紙に直接接続する綴じ付けが確認できる。
同上、綴じ付け部拡大。三点の穴を空け、端近くの穴に通してから支持体の麻紐を二つに分けて、残りの穴から通す。
同上、見返し
本体用紙と表紙の接続の構造は最も可動する部分であるため、洋式製本の要の一つである。上記の三本を比べると、赤表紙本と茶表紙本はほぼ同じである。黒表紙本は表紙が残存している一本(内閣文庫、E002720)を確認すると、他の二本とは構造が異なる。印刷本文を製本する際に異なる製本職人もしくは工房が関与した可能性が高いが、それがどのようになされたのかはわからない。
続いて美華書館が手がけた辞書は、高橋新吉、前田献吉、前田正名編『改正増補 和訳英辞書』(『薩摩辞書』、1869)である。内閣文庫蔵本の一冊(E008393)は、縦25.5㎝×横17.5㎝。本体用紙は縦24.7㎝×横16.7㎝。茶のクロス表紙に黒着色の背革と角革。マーブル紙の見返し。四丁立ての総綴じで支持体五本の綴じ付け製本。表紙の芯はミルボードを少なくとも九枚以上重ね張りしたものである。
『改正増補 和訳英辞書』、内閣文庫蔵(E008393)
同上、背
同上、扉
同上、ミルボードの芯
同上、支持体
さらに1871年には好樹堂訳『仏和辞典』(内閣文庫、F007601)。外形は縦24.5㎝×横18.0㎝。本体用紙は縦23.8㎝×横16.5㎝。紫のクロス表紙に紺色着色の背革と角革。マーブル紙の見返し。四丁立て総綴じで支持体五本の綴じ付け製本。天地小口の三方に赤のふりかけ装飾がなされている。
『仏和辞典』、内閣文庫蔵(F007601)
同上、扉
同上、支持体
以上、美華書館による初期の辞書製本は、すべて四丁立て総綴じで「綴じ付け製本」を行っており、基本に忠実な堅牢な製本であるといえる。しかし、『和英語林集成』の二版(1872)、そして『改正増補 和訳英辞書』の増補再版である『大正増補 和訳英辞林』(1871)になると、手間のかかる「綴じ付け製本」から、耐久性は落ちるが簡易で製本の効率がよい「くるみ製本」へと移行する。この二つの辞書は広く普及し、発行部数も多かった。また、表紙の芯もストローボード(Strawboard)を使用しているようである。これは麦藁を混ぜた板紙で、Middleton前掲書によれば、1860年代初めから使われ出した新しい素材である。このように、上海で辞書が製作された時期は、「綴じ付け製本」から「くるみ製本」へ、ミルボードの芯からストローボードの芯へという工業的製本への移行期に当たっている。『和英語林集成』『大正増補 和訳英辞林』のように、売れ行きのよい辞書にそれが反映している。
『和英語林集成』二版、内閣文庫蔵(E008994)
同上、支持体
『大正増補 和訳英辞林』、内閣文庫蔵(E000323)
同上、ストローボードの芯
そして、国産の辞書製本もその移行期の中で始められることになる。(この節つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?