父親と生まれて初めて心を交わした墓参り
父親の墓に行ってきました。
十数年前に死んだ父。
墓は、自宅から近いです。
自転車で15分ほど。
歩いて30分ほど。
息子を見せになど、たまに行く程度。
過去5回くらい墓参り。
それが、そんなものなのか、
少ないのか分かりませんが、
今回は初めて
心を交わしたかもしれません。
【アルコール依存だった父親】
父親は、アルコール依存でした。
4歳頃、ベランダに閉め出されたり、
筒状に丸めた新聞紙で叩かれたり、
大きな心の傷が残っています。
僕が中学生になった頃、それは僕の方が体格的に強くなった頃といえるかもしれませんが、父親を見下すようになりました。死ぬまで、普通の会話もなかった。
父に対する感情は、
完全に切って生きてきました。
【父親の子ども時代】
父親の子ども時代を想像すると泣けてきます。父は、8人兄弟の7番目の子ども。7番目って凄すぎですが、戦後の時代です。
7番目ともなれば、上の子に比べて親の愛情も多くもらえなかったかもと想像つきます。兄弟の中でも、苛められてたんだろうなと思います。
まだまだ長男が一番大切にされる時代。代々続いているのか分かりませんが、材木屋でした。商売人の家だったので、余計に後継ぎとなる長男が可愛がられたかもしれません。
父は、虚弱体質で、気の弱い人でした。気の弱さは、幼少時期の環境もあるんじゃないかと思います。
そして、父もハイリーセンシティブパーソン(HSP)だったと思います。敏感で、傷つきやすい。人混みが苦手。僕と一緒です。
【愛情からの行為】
そんな父が、母と出会い、僕が生まれました。
愛されて育てられました。
そんな中、しつけだったのか、
強い男になって欲しいとの思いなのか、
厳しくされることがありました。
それは、愛情からの行為ではあっても、
子どもの心は傷を受けます。
『何でそんなことするの??』
『僕のこと愛してないの??』
心が変形してしまう。
完璧な親なんていません。子どもに愛情いっぱいでも、何らかで心に傷を付けてしまうことはどんな親でもあると思います。
【子どもが大好きな父親だったのに】
父は、本当に子どものことが大好きな人間でした。我が子のことを思っての行為が、自分の愛する子の心を傷つける。悲しいこと。
傷ついた心によって、僕は思春期の頃、
父親に包丁を突きつけたこと2回あります。
大好きで、愛している子どもから、
包丁突きつけられる、、、
こんな悲劇。
父は、酒を飲むことで、悲しみの感情を切り、世界からも離れて生きている感じでした。
ボソッと
「子どもの頃は、よかったのに、、」
と父が言ったことあります。
世間からも、子どもからも、
遠ざかってしまった父。
【30年大切にされてたプレゼント】
父は、僕が成人になったら、一緒にお酒を飲むことを楽しみにしていたかもしれません。それも叶うことはありませんでした。
悲しみ、絶望の中で、死んでいった父。
死んだ後、父のバックの中からは、僕が幼稚園の頃に弟と一緒に書いて父にプレゼントした絵が出てきました。大切にしまっていたんです。約30年も、、
そんな父親を僕は存在がなかったかのように生きていました。何十年も。父が死んだときも何とも思わなかった。
父の悲しみを感じたくなかったのかもしれません。今は、やるせない気持ちでいっぱいです。
【父と大人になってから初めての会話】
父の墓参りには、ワンカップのお酒を持っていきました。小さい頃から父が酒を飲むことを憎んでいたので、今までだったらあり得なかったです。
今は、父が、悲しみ、絶望の中でアルコールで現実逃避していたのが分かります。感情を切っていないと生きていけない。
墓には、お花が供えられてました。母からです。月に一度は行ってるようです。十年以上経った今も、妻から大切にされている。本当に繋がりのある夫婦でした。お酒のことで、喧嘩ばかりでしたが。
僕もワンカップのお酒を墓に供えました。
「小さい頃、本当に怖かったんだよ、、
父さんの辛さ、悲しみ、どんなだったんだろう。
よかったら、応援してね。」
そんなこと話しました。父親にあずけてしまっていた感情、情熱を受け取りました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?