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回想 第四章 171

第171回
 ゆらゆらと揺れながら体は遠くむかしのことを思い出していた。
 それは体がまだ若いころ宣教のため訪れた辺境の町で、砂けむりがもうもうと舞う人通りの激しい道を歩いていたときのことだった。両側には様々な物が売られた露店が並び、商人たちが声をからして客の足を止めようとしている。そこに十二、三歳の孫娘を連れた老父と老婆が現われた。彼らの身なりはとても貧しく、汚れて擦り切れた布を体にまき付けているだけの粗末なものであった。老婆は何か大きな病気にかかっているようで体が麻痺していて自分で歩くことができず、手製の安定感に欠けた車椅子に乗せられていた。老父はゆっくりとした足どりで老婆に負担をかけないよう慎重に車椅子を押し、その横で娘は見るものすべてがめずらしいようで歓声をあげながらあちこち老婆のために指をさしながら話しかけていた。三人の様子から、彼らはどこかの地方から、おそらく病気の祖母を元気づけるために、にぎやかなこの町まで見物にやって来ているようだった。
 娘は両手を打ち鳴らして見るものすべてに感激しているようで、車椅子を押す祖父の手を引っ張ってはある露店の店先まで連れて行き、蝶の卵で作った首飾りを祖母の顔の前まで持っていっては見せてやったり、また別の店まで連れて行っては祖母に象の耳で作られた鏡を指さしたりしていた。まるでそれらを見せることによって、自分とまったく同じくらいの驚きやうれしさを祖母も味わってくれていると信じて疑わないかのようだった。しかし老婆は孫に何を見せられても、弛緩した表情で何も理解できないでいた。右腕しか動かすことができないらしく、娘が寄ってくるたびにまのびした顔に右の手のひらを寄せて、聞き取れない声で奇声を発するだけであった。それでも娘は一向に気にすることもない様子で、屈託なく楽しそうに笑い声を上げると祖母の顔をやさしく慈しむように撫でるのであった。そしてときおり祖母の口元から流れ落ちる唾液を、いとも自然に、自分の体にまとう布のまだ比較的きれいな部分を使ってぬぐってやったりしていた。
 三人のまわりにいるたくさんの人だかりは、怪訝そうな目を娘と老婆に向けては、眉をひそめたり、忍び笑いを隠したりしていた。しかし娘の介護は実につつましく自然な振る舞いであった。娘には充分に祖母の病気が理解できているはずであった。何を話し掛けても反応がないことがわかっているはずなのに、幼いころからの親友のように接し、まわりからの下世話な好奇心の目も気にならない様子だった。
 朝焼けの中ゆらゆらと揺れながらこの光景を思い出していた詩人は、あらためて心を打たれた。幼さを残しながら、大人へと成長している娘が美しく見えたのだ。この娘の看護には幼年時の無邪気さだけではなく、成長しきった人間の持つ慈悲の心があったのだ。そして感受性豊かな年頃の娘が、他人の目を恥ずかしがることもなく、老婆を慈しむ強さが美しかったのだ。
 うっ血した顔がボールのように膨れ上がっていたが、熟れた果物にナイフを入れたときのように、目じりからひと筋の涙がつたい落ちた。

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