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明けましてありがとう。今年もよろしくありがとう。

サンキュ.

2022年12月31日。京橋の事務所で残務処理を済ませて、200枚の年賀状を投函するために東京中央郵便局へ。

東京中央郵便局

年末案件で、年賀状を書く時間は無かったものの、12月28日に仕事納めを迎えると、まだ間に合うかな、、、とためらいながらもネットで注文。12月30日にハガキが到着 → 宛名印刷 → 一言メッセージを書いて、12月31日に無事に投函(ふー)。

「今時、そんな大量に年賀状を書く人がいるのか・・・」と妻に飽きられつつ、

環境対策・温暖化対策・CO2削減などのエコ的な理由で「本年から書状でのご挨拶はご遠慮させて頂きます」というお知らせも届く中、

それでも私はなんとなくあえてオールドスタイルを今年もやってみた。

脇道にそれるが、年賀状について

  • 「年賀はがきスタイルはやめて、今年からSNSでのご挨拶にさせて頂きます!」という方も多くなりました。一定の市民権を得つつある。ちなみに宣言後に、喪中のハガキが届くこともある。そこはハガキなんだと左手で持ったまま思う。

  • 私の年賀状が届いたようで、年賀はがきを送らないスタイルの方からお礼のLINEが届く。ご丁寧で嬉しい。私が年賀状に書いた一言コメントに対して、LINEで返答を下さるが、、、1週間前に自分が書いたコメントが思い出せない。SNSなのに時差を感じる。

  • 地域でお世話になっている高齢者の方からは、「今年83才になり、本年をもって書状でのご挨拶を終了させて頂きます」という宣言もよく頂く。自分もその年齢になると年賀状を書く体力、気力が失われるのだろうか。「人間関係をもう広げる必要がなく、むしろ縮小させたいという気持ちもある」とある方から聞いたこともある。そのむしろに、お返しのむしろで恐縮だが、だんだん足が悪くなったり、外で会うことが難しくなるからこそ、年賀状というSNSを大いに活用した方がよいのでは、と思ったりする。

  • 写真付きの年賀状を頂くとやはり嬉しい。自筆の一言コメントも嬉しい。自分が嬉しいことは、なるべく相手にもしたいと思う。子どもが大きくなると、写真のモデルから卒業されてしまうが、来年はやはり写真付きの年賀状にしようと思う。

脇道から戻って、

年賀状の一言コメントを書いている時、その時点では12月であるものの、到着する1月を想定した内容となる。

昨年もお世話になり、ありがとうございました。
今年も宜しくお願い申し上げます。

この気持ちを骨子にしつつ、シェフのきまぐれのように近況を添えて。あっ、年明けからいきなり「ありがとう」という書き出しでもよいのでは、と思ったりもする。

それはさておき、年末はやはり1年の感謝をする時でして、

毎年、12月28日の仕事納めの日には、中央区の福祉仲間とお疲れ様会をしている。コロナになってからはいわゆるお酒を飲んだ忘年会はできないので、主にお喋り会。一人一言コーナーではどんな1年だったかを振り返ってもらうインタビューをするが、今年は(ボツとなったが)隠れ企画として、ミュージックフェアをいきなり行う予定であった。インタビューしつつ、そのまま打ち合わせのないまま1曲歌ってもらうと言う、年末の乗りでしかできない企画。

ちなみに、誰かが先陣を切る必要があるので、こういう時は自ら皆さんに乗り越えて貰う屍の役を担当する。一応、私が用意していたのはドリカムの「サンキュ.」という名曲。

失恋してしまった女の子に、友人が寄り添っている状況が描かれている。昔は、この友人は男性か、女性かという論争もあったようだが、ダイバーシティの昨今、改めて歌詞を噛みしめてみると、いかようにとれて、それがまた美しい。やはり名曲。

昨年もたくさんの方を励まし、たくさんの方から励まされた。多くの方に寄り添って頂き、私も時間の許す限り寄り添った。

1年間、職場で辛い目にあいながら、できるを事を頑張り、耐えに耐えている方がいた。この件については、何のアドバイスも、勇気を与えるような激励もできなかったが、寄り添う事だけはできた。転職が実ったと言う嬉しいニュースを頂いて、自分のことの様に喜びながら帰宅すると、娘が「サンキュ.」を歌っていた。ママとカラオケごっこしている中で、懐かしのナンバーとしてたまたま選ばれたらしい。実は、10代の頃にドリカムファンだった私は、この曲を歌える。懐かしいなあ、と口荒んでいると、公園のブランコの情景に包まれた。 


月の裏側

年明けて2023年。新年の抱負を考える前に、昨年の反省がたくさんあった。

  • 暴飲暴食で、運動不足

  • スマホ・youtubuに時間を浪費し、読書不足

という事で正月休みから、ゆっくりと改善。激変は短期で終わるので、意識的に緩やかに開始。

食事は満腹まで食べず、間食はなるべくせず、ジョギングも少々。読書に関しては、そもそも飢えていたので、努力をせずに楽しく再開。


「六人の嘘つきな大学生」浅倉秋成・著

一気読み。物凄く面白い。著者が構成中にきっと楽しかっただろうなあ、とほほ笑んだりする。

就活を題材に、嘘つきだらけの人間、世の中を描いている。すんごい素敵な眩しい若者が出てきて、すんごい醜な裏の顔を暴かれて、最後に見せられた姿は。。。

嶌という女の子がつぶやくシーンがある。
「月 ー 地球からは絶対に裏側が見えないって。それを聞いてから、意味もなく考えちゃんだよね。月の裏側ってどんなふんなだろうって」

物事には表と裏がある。人間にも表と裏があるし、もっとたくさん色々な面がある。多様性の社会と言いながら、1つの面どころか、1点を切り取りして、強く強く刻印をされるようなことも多々ある。コインの表と裏の関係というか、1つにして2にあらずと言うか、「不二」という概念が必要であり、安心を宿していると感じる。

誰か励まし、誰かに励まされる。それが私の生きる道。呼吸をするごとにありがとう。

今年もそんな日々を送るために、大事なことは相手を信じることだが、その大事なことのために、大事なことは? と考えるきっかけなった1冊。

ところで、この本は伏線の回収が素晴らしい。M-1で見取り図の漫才を見ているようだ。「伏線」と「サンキュ.」で、陰日向に咲くの「ミキ」を思い出した。久しぶりにもう一度読んでみようかな。


「陰日向に咲く」劇団ひとり・著

私はニグヴン

最近、自分と同世代ですごい作家がいるなー、とんでもない取材力だなー、と思うことがよくある。まだ、2023年が始まったばかりだが、とりあず現時点での今年の一押し。


「熱源」川越宗一・著

Amazonより引用。
「日本人にされそうになったアイヌと、ロシア人にされそうになったポーランド人。文明を押し付けられ、それによってアイデンティティを揺るがされた経験を持つ二人が、樺太で出会い、自らが守り継ぎたいものの正体に辿り着く。」

サハリンにはギリヤーク、オロッコ、アイヌなどが居住していた。ギリヤークは「ニグヴン」と自称する。私は「日本人です」「埼玉県民です」のように。ちなみにニグヴンの意味は「人間」。

相手とコミュニケーションを開始する際に、相手の所属先がわかるとまずホッとする。所属が安心材料となり、信用の一歩目となるから。逆に所属先が不明瞭だど、少し不安を覚える。

この歴史小説では、所属先を強制的に変更された人や、はく奪された人が登場する。もちろん、本人も軸足がぐらぐらしている感覚で人生を送っている。相手方も対応に苦慮することが多い。所属がはっきりしないと扱いづらいのだろう。

しかし、サハリンを中心とした舞台で、それでも力強く生きていくという力の源に触れる。凄まじい熱を帯びた。

月には裏側がある。時には所属が不明瞭な、自分の人生とは全く異なる経緯を歩んでいる人もいる。色々な人がいて、色々なことが起こる。それでも「サンキュ.」と言えるような奇跡が日常で1つでも起これば、やはり2023年も素晴らしい。

「熱源」では、「人民の中へ(ヴ・ナロード)」と言う言葉が登場する。もともとは、ポーランド・リトアニア共和国を取り戻す運動で使われた言葉だが、主人公の中では、もう一つ先の別次元の言葉に変容を遂げていく。平易な表現だと、人間の中へ、という感じだろうか。

という事で、今年も始まりましたが、先にお礼を。

明けましてありがとう。今年もよろしくありがとう。


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