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【短編小説】炭酸な日

 夜更けのコンビニでお酒だけを買って家へ帰る。今日はそんな日になってしまった。夜でも当たり前に明るいコンビニは居心地が悪かった。今の私には電気の眩しさは多すぎる。だから帰ってからも部屋の明かりは付けなかった。

 真っ暗な部屋の中で、机のパソコンの電源だけが静かに黄色に光って眠っていた。私の物しかない私の部屋は、安心感より孤独な空気が這いまわっていた。パソコンをスリープから起動させて、お気に入りのプレイリストを再生しておく。つけっぱなしのヘッドフォンから微かに音楽が漏れ始めた。スーツを脱いでメイクの崩れた顔を洗って、パソコンのモニターの前にお酒の缶を三本並べる。そう、今日は三本。このアルミ缶の本数だけ、私の中で何かが折れている。そんな風にお酒を買う日が私にはある。

 椅子に座って眩しいモニターと向かい合って、ヘッドフォンを耳には当てずに首にさげる。顎の下で音楽がこじんまりと響いている。首にひっかけたヘッドフォンはペットの首輪みたいに窮屈で暑苦しくて、それでも外しはしないけれど。そんな風に音楽を聴く日も私にはある。

 プルタブに指を引っかけて、炭酸が解放される音を聴く。ぷんとアルコールのにおいが立つ。飲み口に口をつけて、普段より多くの量をひと飲みする。炭酸がざらざらと咥内を撫でながら奥の方へ流れて、舌にだけ苦味が絡み付いて残っていく。一息に飲み続けていると、やがて喉の奥から噴水みたいに二酸化炭素が上がってくる。缶から口を離すと、プルタブを引っ張った時と同じように、私から炭酸が抜けていった。アルコールのにおいが鼻につく。汗ばんだアルミ缶から手が抜けかける。少し強く握ってみると、見かけによらない柔さでべこべこに凹んだ。見かけ倒しな銀色が滲んだ目元に沁みて嫌になる。

 目を閉じて、顎の下で鳴っているプレイリストを聴いてみる。好きだったポップスが癪に障る歌い方で耳に届く。誰かが私の耳を逆さまにしていったからだ。言葉の意味が裏返って聴こえる。あれもこれも全部が全部、逆さまにされて脳をしつこくノックする。まるで取り立て屋のように。

 私は再び缶をあおる。最後の一滴は喉の渇きを加速させ、二本目のプルタブへ指先を導く。

 モニターの中とヘッドフォンの奥で誰かが何かを精一杯主張して、けれどそれらは喉に流し込むアルコールに強烈な偏見のもと編曲されて耳へ届く。はいはいご立派ね。でも悪いけど、今はそういうのは要らない。綺麗事はたくさんだから、馬鹿みたいに本音を歌ってみなさいよ。お酒に濡れて滑らかになった私の口は傲慢で強かで饒舌で、いつもの位置より分不相応な高いところへ立ちたがる。私の中から何かが取り立てられていく。

 こんな日のお酒は私の内部構造をいとも容易く組み替えていく。カードを裏返すみたいに、表にしていたものは裏にして、裏は表へ捲っていく。脳の思考を根底からひっくり返す。そうして天井から落ちてくるのは、ワガママな子供みたいな言い種ばかり。炭酸が抜けていくように、聞くに堪えない暴言が私の喉から弾けて飛んでいく。それで終われば救われるのに、喉の奥がひりひり痛み出して、棘のある言葉はそれを口にした者をも傷つける事実に思い至ってしまう。ああ私はどれだけの人に痛みを与えて、与えられてきただろう。こうして私の中の炭酸は尽きないから、こんな日を繰り返してしまう。いつまでも。

 こんな私でも、いつか立派な大人になれたらいいね。
 床に脱ぎ捨てたスーツに、他人事な慰めをされた気がした。

 私はべこべこのアルミ缶を傾けてお酒を飲む。この世の中で、薄いアルミの筒のような私の人生の中で、決して抜けきらない炭酸を抱えながら暗い部屋でお酒を飲む。後悔や懺悔や怒りを醸造して、痛みとともに喉の奥から吐き出していく。プレイリストの中身を逆さまの耳で聴きながら、私の中で折れてしまった何かの分だけアルミ缶を傾ける。
 そんな日が、私にはある。

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