見出し画像

【ダウン症】すぐ受け入れられるかどうかは人による〜私と障が者の関わりを振り返る 2024.09.08

ダウン症の子どもが生まれた時に、私には特に「暗黒期」はありませんでした。驚きはしたものの、この子を施設に預けたりとか生まれてこない方が良かったりとか、そういうことは全く考えませんでした。これは私の障がい者とのこれまでの関わりが関係あるのかもしれません。私と障がい者の関わりを振り返ります。

「暗黒期」とは、もちろん学術的な用語でもなく、定義があるものではありませんが、ダウン症の親の間では一般的に使われて、生まれた子が障がい児だというショックで、激しい落ち込みや鬱気味、鬱病になったりする状態を指します。その期間を抜けるのに、人によりますが、2年とか、長い人だと5年とかかかる人もいるようです。


○小・中学生〜支援級の同級生など

私の通っていた小学校に支援級がありました。そこにはダウン症だけでなく、おそらく自閉症と言われる人方々もいらっしゃったかと思います。まだ障がいについて詳しく考えていなかったので、具体的にどのような障がいだったかは分かりません。

最初に記憶があるのは、その小学校に通うダウン症の男の子黒木くん(仮名)の記憶です。

私の家の目の前は田んぼで(東京だけど)、通学路が田んぼの向こう側(40mくらい先)に見えます。そこを黒木君が通る時に私の母が、「黒木くんおはよう!!」と手を振り、それに対して黒木君が「おはよう!」と言って返事をしているやり取りを覚えています。

次に、母の昔からの同級生で障がいを持っている方がいました。この方は知的障害者ではなく、身体障害者、少し喋り方が不自然なところはありましたが、おそらく知的障害はなかったかと思います。
お子さんもいらっしゃる方でした、この方と母は普通におしゃべりをしている姿を子供ながらに見ていました。

小学校では支援級の人と交流がありました。遠足や宿泊学習などの行事を一緒にしたり、給食の時に支援級からやってきて、班の中に入って一緒に給食を食べるなど、普段から交流がありました。

同じ学年には2人の障がいの方がいて、男の子のまーちゃんとと女の子のあーちゃんがいました。中学3年生までずっとその子達と一緒に上がっていきました、中学校でも同じような形で交流があったので、小学校1年生から一緒だったとすると9年間同じ時間を過ごしたことになります。

同級生の妹もダウン症でした。5歳差だったので、小学校6年生の時に1年生として入学してきました。私の学校には、全校遠足というのがあって、違う学年の児童と一緒に班を組んで縦割りで遠足で歩くというような形になっていました。その同級生の妹のちーちゃんは、私と同じ班で遠足で一緒に歩いたことを覚えています。とても可愛らしい妹さんでした。

それから、中学校はバレーボール部に所属していましたが、その顧問の先生は支援級の担任の先生でもありました。だからと言って何かあった訳ではありませんが、近くに障がい児の子達がいたような記憶はあります。

○大学生〜ボランティア活動で

大学に入ってから友達がYMCAのボランティア活動に参加をしていました。大人の障がい者と定期的にその友達から誘われて障害者の人と一緒に遠足に出かけたり、宿泊で山中湖に行ったりしました。決して積極的に自分から関わったものではありませんでしたが、都度友達から手伝ってと声をかけられて10回ぐらいのイベントに参加していました。自分ではあくまでも「お手伝い」という認識での関わりでした。

○身も蓋もない話

こうした経験があったから、障がい者に対して偏見はないんだというつもりもなく、振り返ると身近に障がい者との接点が自然とあり、全く接点がない人よりは心理的なハードルが低かったのかもしません。

こればかりは、「重い障がいを抱えた家族がいてその苦労を身近で見てきたから絶対に受け入れられない」という人もいるだろうし、身近にいたかどうかだけではなく、その人の性格によるところも大きいのではないかとも思います。

結局、身も蓋もない話になってしまいました。

最後に、高校生の時はあまり障害者の方と関わりを持つ機会がありませんでしたが、ただ、友人から、「父さんと母さんが、私を生む時に「たとえ障がい児だったとしてもしっかり育てよう」って話をしたことがすごく嬉しかった」という聞き、そのエピソードが心の奥底に残り、私は子どもを授かる度に覚悟が決まっていたような気がします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?