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ありのままの自分でいるということ

よく思うことがある。それは明らかに日本より自分基準であるということ。

それは自己中という意味ではなくて、周りの目線ではなく自分目線でふるまうということ。

それを噛み砕いていく。


日本は年相応、外見ということが重要視される。

何かあれば、

その歳でやるの?いい歳なのに。
足が細いね、可愛いね

そんなものは何も意味をなさない。むしろ差別に当たることもある。


今の自分の振る舞いは若いなって自分でも思う。みんながご近所さんかのようにお客さんと話す。日本人顔なのでお客さんが実際に何歳に見えているのかはわからないけれど、気を使うことはない。いい意味で。

でもそれがいい。何も考えずにありのままの自分でいることができる。

日本にいた頃はhave toでやることも多かったので、自分が自分でなかったと思う。でも今はこれが本来ありたかった自分だとわかる。


でもこれが成せる理由はいくつかある。

1つは英語が拙いという面で、いかに身振り手振りを合わせて相手に伝えるかが結構問われる。もちろん言葉だけでは難しい時は、手で動作をつけることで伝わりやすくなるので、よく動いている風に見える。相手もしっかり聞いてくれるし、ネイティブでないからこそ気にしないのかもしれない。

2つ目は反応が大きくなったことで、気持ちを表現する時はかなり大げさな反応をする。それを続けることで、いつの間にかその反応が心の底から思えるようになった。すると、表情が豊かになった。色んなことが連鎖して向上していった。

3つ目は歳は何の基準にもならないということ。もちろんある程度定年前とかの話ではなくて、20~30台は正直関係ない。アジア人なんかは年齢は頑張っても歳下に見られるし、履歴書に生年月日がないように聞いて初めてわかることは多々ある。フラットな関係で入れるからこそ信頼関係が生まれるんだろう。

4つ目は環境。カフェだとお客さんとの会話も多く、特にバリスタだとコーヒーを作りながら話すことなんてざらにある。だからお客さんを楽しませれるように明るい話をしたり、下げるような言い方をしても最後はいい方向で終わるような話を持ちかける。そういうやりとりが楽しくて仕方がないんだ。


ありのままでいるだけでもストレスというのは軽減される。環境が変われば当たり前と思っていたことがおかしいことだと気付いたりする。

当たり前というのは自分では気づけなくて、周りの影響で当たり前でなくなる。だからこそ、ありのままの自分に気づけた。


とはいっても根は真面目なのは変わりない。
けど日本にいた時には見せなかった表情は多分たくさんある。

だから毎日自分と向き合って、さらに自分が自分である日を築き上げていく。

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