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努力は本当に報われるのか

努力したら報われると思ってはいけない。


いきなり結論を書くが、これは僕の剣道の師に言われたことである。ちなみに、日本一になったことのある方である。


なぜか。


努力というと精神論的な話になりがちだが、僕はスポーツ以外での精神論が好きではないのでできるだけロジカルに考えてみたい。


努力はみんなしているし、して当たり前だからである。


スポーツの大会に出る選手は、皆、優勝を目指して努力している。しかし優勝できるのは一人である。どれだけ努力しても、最後の一人以外は必ずいつか負けるのだ。


では、報われなかった努力は無駄な努力だったのだろうか?


目標を優勝にするから報われないのであって、ベスト8くらいにしておけば、努力したら何とかなりそうである。これなら努力が報われるのではないか?


こう考えるかもしれないが、これも間違いである。優勝するための努力をしてる人と、ベスト8になるための努力をしている人が競ったら、どちらが勝つだろうか。


他の選手が優勝の為の努力をしているのに、自分だけベスト8くらいになる努力しかしてなかったら、ベスト8になる前に負けて当然である。繰り返すが、努力は、みんなしているし、やって当然なのである。


優勝を目指して努力したからベスト8まで進出できたのであって、少なくともその努力は無駄ではない。


なぜこの話をされたのかというと、報われるために努力していると、いざ報われなかった時に、その後努力するのをやめてしまうからである。


優勝を目指してベスト8で終わった時、その結果にどの程度価値を見出すかはそれぞれだろう。ベスト8なんて無価値、と思うのであれば、その努力は無駄かもしれない。ただこの場合、単純に努力が足りなかった可能性が高い。やれることを全部やりきっての結果だったら、大抵の場合は納得がいくものだ。


「努力しても報われない」と「努力しても無駄」はまた別の話なのである。


努力が、違う形で役に立つこともある。武道をやるとよく言われるが、武道の鍛錬で培った精神力や礼儀は、その後の人生でも役に立つ。つまり無駄ではないのである。僕はインターハイには出られなかったが、同期は出場したし、その同期と同じ稽古をしていた。つまり府大会で優勝するための努力をしていて、僕は優勝はできなかったがその経験は後の人生で大いに役立った。努力は無駄ではなかった。


努力したことが、いつどこで役に立つかはわからない。だから、ある目標のために努力したら必ずその目標で報われると思ってはいけない。しかし、努力したことは無駄にはならない。だから、安心して努力して欲しい。


少なくとも、努力しなかった場合よりは、あなたの人生は豊かになることは間違いないし、長い目で見れば、それが「努力が報われた」ことになるのである。



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