LGBT

最近LGBTについての記事だったりYouTubeだったりテレビだったりで話題になっているのを見る。

僕は大学で心理学をやっていたためLGBTの勉強をしたことがあり、ある程度は理解できる。

しかし、本当に「ある程度」だ。

僕は同性に恋愛感情を抱いたことはないし、女の子になりたいと思いオシャレをしたこともない。(女子高生になりたいと思った時期はある)

そんな至って普通のノーマルな人間がそれらLGBTの類の素質を持っている人間のことを理解しろと言われても正直難しい話ではある。

授業を受けていて知識を得てLGBTの存在だったり悩みだったりを学んでいくうちになんとなく思ったのは

「そもそもLGBTという枠組みがおかしいのではないか」

という話だ。

たしかに、同性の人を好きになった人はいるだろうし、異性のような立ち振る舞いをしたり、実際に性転換をしてる人だっている。

そんな人たちの悩みなんて、その悩みと同等の悩みを持った人間にしか理解できないというのは至極当然なのではないか。

ここ10〜15年くらい前は阻害される人や気持ち悪がられる扱いを受けていたらしく、最近では割と受け入れられている傾向がある。それはとてもいいことだ。

しかし、もちろん受け入れられない人間だっている。

例えば、僕はアニメが好きでできることなら出会った人全員にそういったオタクトークをして花を咲かせたいと思っている。それでも「アニメオタク」とかいうレッテルを貼られて気持ち悪がられることなんてよくあるし、よく聞く話だ。つまり、受け入れられないものに受け入れろと言われても受け入れられないのは仕方のないことである。

オタクとLGBTの扱いを同じような扱いにしたことは申し訳ないが実際そうなのだから諦めるしかない。

LGBT界隈がどれほどのものかは分からないが、そういった同じ境遇の人と出会うことは難しいため、理解できない人が多いと思い込み、自分がそういった素質を持っていることは周りに打ち明けない方が自分のためではあると思う。

ここまでLGBT観点で話したが、問題なのはそれ以外の人間である。

ここで論外なのがLGBTに対しての弄りをすることは絶対にあってはいけないことだ。

今までLGBTの素質を持った人間には出会ったことがない(多分)し、そういったいじめの現場を見たわけでもない。でも実際にそれを理由としたいじめはあるというのは勉強しなくてもほとんどの人が知っていることだと思う。

「弄り」はLGBTに関した話だけではないが、絶対にやってはいけない弄りというのはある。もちろん、仲間内でワイワイ楽しむための弄りは輪を盛り上げるためには必要なことだ。でも、その「弄り」をその人のことを対して知らない人や触れてはいけないものに悪意を持って触れることはやってはならない。

「弄り」と「いじめ」は紙一重なところがあって一歩間違えればその人の心を痛めつけることになる。

僕からすればLGBTだって立派なことだと思う。誰かを好きになったりするのは普通なことだし、なんなら自分の性に抗うなんてすごいことだと思う。僕なんて好きな人ができた試しがないためノーマルでもないし、捻くれてるから自分を変えたいなんて思わない。むしろこんな二次元ばかりに囚われている人間よりよっぽど華やかなものかもしれない。だってリアルをちゃんと生きてるわけだから。

LGBTの人を励ますとかそんな大それたことはできないし、こんなにわかが語ったところでどうしようも無いのはわかっているが、LGBTというテーマということもあり、僕が大学のときにLGBTと向き合ったときの感想や考えを今回は書いてみた。来るかはわからないがLGBTが少しはプラスに捉えることのできる人間が増えてくれることを願うばかりだ。

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