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親が子どもの行為を人に恥ずかしいと言うとき

子どもが何か失敗をしたり悪いことをしたとき、私も含めて親が「恥ずかしい」と誰かに向かって言う。

「うちの愚息がこんなことをしてしまって、とても恥ずかしい」

たしかに、実際に恥ずかしいと感じる。でもよく考えてみると、恥ずかしいのは「親が」感じていることだ。失敗をしたり悪いことをした子ども自身が恥ずかしいと感じているかどうかにかかわらず、親は人に向かって「恥ずかしい」と言う。

親が恥ずかしいと言うのは、子どもが失敗をしたり悪いことをしたことが原因だ。けれど、恥ずかしいと親が感じているのは、それを見ているほかの大人たちに対してだろう。親と他の大人との間にだけ「恥ずかしい」という感情があって、そこには子どもはいない。

たしかに、子どもの失敗や悪いことをまるで自分がしたことのように感じて「恥ずかしい」と言う場合もあるだろう。でもそうではなくて、そんなことをした子どもの親として、自分自身が「恥ずかしい」と言う場合のほうが多いのではないか。

そこには、子どもがこんなことをしなければ、親として自分はこんな恥ずかしい思いをしなくても良かったのに、という感情がある。そして、子どもがこんなことをして申し訳ないとか、迷惑をかけたとか、親としてやるべきことができなかったというよりも、子どもに親としての自分の感情が傷つけられた、極端に言えば、子どものそんな行動で親が顔に泥を塗られた、という感情があるのではないか。その結果「恥ずかしい」という言葉が出てくる。

「いやいやそんなことはないよ。それは考えすぎだよ。親は子どもの失敗や悪い行為に対して、その責任感から恥ずかしいと感じるのだよ」とおっしゃる方もいるだろう。

たしかに、親が子どものことを真剣に考えるあまりそんな感情を持つこともあるだろう。でも、子どものことを考える前に、自分の感情だけで「恥ずかしい」と人に言うこともあるように思う。私はある。

さらに言えば、他の大人に「恥ずかしい」と言うことで、親としての責任をエクスキューズし、傷ついた自分の感情をなんとか収めていることもあるのではないか。嫌な言い方をすれば、「恥ずかしい」と言っておけば、親の責任を追及されることもないし、傷ついた自分の気持ちも少し収まるのだ。

まあ私のようにひねくれた人間は少ないのかもしれない。けれど、子どもが失敗をしたり悪いことをしたりしたときに出てくる「恥ずかしい」という言葉、そしてそれにともなう親としての自分の感情。

それを冷静に深いところまで眺めてみると、親としての自分の弱さやいやらしさが少し見えてくるように思うのだが、どうだろうか。


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