失敗を前提にしてはいけない

先日、苦労など買ってまでしなくてもいいと書いた。

そこでも書いたけれど、目的でも目標でもゴールでもない、対象でさえもない「苦労」をわざわざ探して、それに対価を払って、そこに入り込むことは実際にはできない。

そしてまた苦労と同じく、失敗についても、そこから学ぶことがたくさんあるので、失敗はするべきだという考え方がある。

確かに、失敗から多くのことを学ぶことができるし、まったく失敗しない人よりもたくさん失敗する人のほうが最後には大きく成功する、というのも一つの事実だろう。

でも、苦労が、目的でも目標でもゴールでも、対象でさえもないのと同じように、失敗も、目的でもゴールでも対象でもない。

失敗は、それを避けようと思って最善を尽くした先に仕方なくあるものだ。だからこそ、そこから学ぶことがたくさんある。

留学生の中には、「たくさん失敗すればいい」という言葉の意味を、「失敗をしてもいいのだから、今目の前のやるべきことを少しくらい手を抜いてもいいのだ」と取り違える人がいるけれど、それは違う。

失敗が前提だというのは、失敗を避けるために最善を尽くすことが前提としてある場合に言えることで、失敗をしても仕方がないような方法や手段を使うことを前提にしているわけではない。

だから、失敗をするとわかっているような方法や手段を取ること自体がもう失敗で、そこから学べることは、たくさん失敗をしてもいいというのはそういう意味ではない、ということだけだ。

失敗からたくさんのことを学ぼうと思うなら、絶対に失敗しないようにできるだけの準備をして、最善のことを日々続けていくことが必要だ。

でも、それでも失敗をする。そのときのショック、失望、世界が終わった感じ、そんな感情をまずは引き受けたあと、それまでの方法や手段を丁寧に振り返り、どうすればいいのかを考え、さらに改善を加え、気持ちを切り替えて、また先に進む。

そんな「失敗」から、いろんなことを学ぶことができると思う。


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