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忘れたくない大学の猫
「猫に会いたい」
そうふと思って、久しぶりに大学の猫に会いに行くことにしました。
猫に名前はなく、しかし猫好きの大学職員により寝床と三食を用意されているやんごとなき野良猫でした。
ぼっち大学生だったぼくは、昼休みになると裏庭に猫を撫でに行き、そのふてぶてしい顔のわりに可愛い声に癒されていました。
大学生の頃、お金がなかったぼくは(まぁ今もないが)片道10kmの通学路を自転車で1時間かけて通っていました。最近運動不足なので自転車で行こうと思い、愛車ブラックハヤテ号に1ヶ月ぶりに空気を入れて走り出しました。
学校というところは、何も考えていなくても、あるいは何の関係もないことだけを考えていても気がついたら到着しているものです。人間の記憶の仕組みがそうなっていると説明されても、なんせ頭を使っている自覚がないので、自分以外の“ナニカ”が自分を運んでくれているような気分になります。
しかし、どうやらぼくはその“ナニカ”に見放されてしまったらしく、卒業からの2年間ですっかり通学路を忘れてしまっていました。
大学院は学部とは違うところを選んだので、猫がいるその大学には楽しい思い出しかありません。法学部棟で眠い授業を聞き流し、生協の小さな本屋で面白そうな本を物色し、裏庭の猫を撫で、そして自転車で帰るという非生産的な毎日が愛おしくてたまりませんでした。
無意識のぼくを大学に連れて行ってくれた“ナニカ”がいなくなってしまったことに気づいた時、この先ぼくはどれだけの記憶を失いながら生きていくのだろうと考えました。
なんだか、急に帰りたくなってしまいました。
でも、猫と初めて会ってから6年が経っていることを考えると、あの毛玉とあと何回会えるか分からないと思い、重くなったペダルをもう一度踏み込みました。
やっとのことで大学に着き、自転車撤去おじさんの手の及ばない辺境の駐輪場にブラックハヤテ号を停め、裏庭に向かいました。
裏庭の入口に着くと、猫の寝床は3つに増えており、そのうち1つに「○○ちゃん」と紙が貼られていました。
大丈夫、少なくとも生きている。そして、どういうわけか更にキャリアを積んでいる。
寝床にはいなかったので、裏庭を捜索すると、猫は日当たりのいい植え込みの中で昼寝をしていました。
裏庭のすぐ側を通る電車と踏切の音、夕焼けに照らされた猫と、その猫を撫でる恋人。その光景がぼくの大学生活でした。
恋人とは別れてしまったけれど、猫を見ているとそんなことはどうでもよく思えました。どうでもよく思えてしまったのです。そのことが、今まさにぼくの中で彼女が薄れていっていることの証拠でした。
この猫のことも、同じようにどうでもよく思えてしまう日が来るのか、そんなことを考えていると、猫が昼寝から目覚めて僕の近くに歩いてきました。
ぼくが猫の背中を撫で、お尻をぽんぽん叩いてやると、猫はその場に寝転がり、こちらを向いて「んるるわぁん」と顔のわりに可愛い声で鳴きました。
忘れたくないと思いました。何もかも忘れていくぼくだとしても、この猫のことは覚えていたい。ぼくが死ぬ時、この猫を撫でていたこと、その体温と声を思い出したい。
「また来るわ、元気でね」と言って大学を後にし、帰りに猫の写真をプリントしました。今は素敵な写真立てを探しています。
どうか忘れてしまいませんように。
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