見出し画像

【小説】イエローバレット

「生田ジーナです。よろしくお願いします」

かわいい声だと思った。俺は異性を目一杯意識しながらむっつり生きる健全な男子高校生だが、一切の下心無しにかわいいと思えるくらい見事な声だった。
リボンは山吹色に近いイエローで、セーラー服から伸びる手足は季節外れに真っ白だった。
これほどまでに彼女を“女の子”として観察していたのは、教室で俺とあともう1人くらいだろう。他のやつらは皆、翡翠色に発光する彼女のロボヘッドに夢中だったからだ。

「生田さん、一緒に体育館行こう」
転校生がクラスの女子たちに連れられて体育館へと向かう。今の時期は女子がバスケ、男子はプールだ。
「すごかったな」
更衣室に続く渡り廊下で道田が話しかけて来た。
「ああ、すごかった」
「初めて見たよ、あんなにすごいのは」
蒸し暑くて薄暗い更衣室で、むさ苦しい野郎どもがいそいそとパンツを脱いでいる。これほどまでに見苦しい光景が戦争以外にあろうか。
「話しかけたら返してくれるかな」
道田がトランクスを脱ぎながら言う。道田に出会うまで、このタイプのパンツの着用が学生に許されているとは思っていなかった。
「どうだろうなぁ」
「お話しできたらそれだけで感動なんだがな」
「間違いない。でも…」
「でも?」
「あえて遠くから眺めていたいような気もする」
「さすがプロの変態ですなぁ」
我々は水着の腰紐を縛りながらゲヘヘヘヘと笑った。

この道田こそ、転校してきた女子高生型アンドロイドの“女子高生”の部分に心奪われる俺以外で唯一の変態であり、共に生産性も有益性も将来性も無い不毛で阿保で下衆な青春を血塗れで行進する同志であり、俺の無二の親友である。

見たい。見たいなぁ、道田。
生田さんの素顔、見たいなぁ。

俺は馬鹿なのでよく知らないが、アンドロイドとはある程度人間に似せて作られなければならないらしい。その条件を満たして初めてアンドロイドと認められ、高等教育を受ける権利などが与えられるのだという。
ということは、あの馬鹿でも分かるくらいハイスペックなロボヘッドの奥には生田さんの素顔があるはずであり、俺と道田の見立てではなまらめんこいはずなのだ。

我々はどうすれば生田さんの素顔を見られるか考えた。変態2人寄らばなんとやら。我々は極めて論理的にひとつの結論に辿り着いた。

プールを覗くしかない。

まず、我々は女の子を観察することにおいて同世代の中でも一個抜きん出ている自負がある。しかし、観察することに長け過ぎてもはや接触する必要がなかったため、女の子と話した経験が小学校低学年で止まっている。
つまり、生田さんと何らかの方法で仲良くなって素顔を見せてもらうという手段は取りえない。そもそも、ロボヘッドを装備しているアンドロイドさんに「ロボヘッド取ってみてくんない?」と頼むのはなんだがイケナイことのような気がする。

目標との接触が不可能であるならば、あくまで我々が得意とする外部からの紳士的観察によるほかない。生田さんがロボヘッドを外すタイミングで、生田さんに気づかれないようそのご尊顔を拝むのだ。

おそらく2人ともが瞬時に思いついていた。思いついていたが、怖くて言い出せなかった。
バレるのが怖かったのではない。目の前にいる戦友がついて来てくれないかもしれないのが怖かったのだ。
しかし、本当に嫌だったのは、自分が友をちょっぴり疑ってしまっていることだと気づいた時、迷いは吹っ切れた。
「プール覗こうぜ」
道田は一瞬目を丸くし、すぐにいつものニヨニヨ顔に戻った。
「言わせてすまねえな」
2人はがっちり握手を交わした。誰に見せるためでもない、この世で最も美しい友情である。目的はこの上なく汚らわしいが。

今週の木曜日から女子のプールが始まる。その時間は当然男子も体育があるので、学校にいてはプールを覗けない。
我々は当日の学校をサボることにした。出席日数に問題はないが、マコちゃんの音楽が受けられないことだけが辛かった。ごめんマコちゃん、俺たち、男になってきます。

作戦当日、制服で家を出て、スマホで欠席連絡を入れる。学校の最寄りから一駅離れたところにある公園で道田と落ち合った。
学校の近くに、屋上からプールが見えそうなアパートがある。そこから双眼鏡を使って生田さんの素顔を覗き見ようというわけだ。
けしからん変態建築物め、おじゃまします。

鉄骨階段を登ると、緑色に舗装された屋上に出た。住民が育てているのであろう謎の観葉植物たちが真夏の日差しを浴びてむやみやたらに元気そうだった。
屋上の縁に腹ばいになる。尋常ではないほど蓄えられた熱が腕を焼いた。こっそり顔を出すと、やはりプールがチラッと見えるではないか。あとは管理人に見つからないうちに生田さんの素顔を拝めばミッションコンプリートである。学校をサボった甲斐があったというものだ。

勝ちを確信した我々は双眼鏡を覗いて生田さんを探し始めた。とはいえ、生田さんの素顔を見たことはないので、正確に言えば見たことのない顔の女の子を探した。
「いやぁ…これはこれは…へへ」
さすが道田、俺が一目置く男なだけはある。生田さんの素顔を見るついでに、普通に女の子たちの水着を堪能しているのだ。けしからん、俺もやろう。

道田が左でグヘグヘやってるので、右端から順に生田さん捜索と水着鑑賞をすることにしたその時、6コースの最前列で体育座りをしながら、こちらをじっと見つめる女の子と双眼鏡越しに目が合った。
女の子は顔を水面に向けたまま、目線だけをこちらに寄越していた。丁寧に膝を揃えた長い足と、それを抱える細い腕は太陽の光を反射してより一層白く輝き、その目はいつか見た綺麗な翡翠色だった。

「道田、一番右だ」
「えっ、おぉ…!…おぉ!?」
「見られた、撤退だ」
カンカンと音を鳴らし鉄骨階段を駆け降りる。自転車に飛び乗り道田の家に向け走り出した。

「バレたかな」
「いや、腹ばいだったから制服も見られてないし、双眼鏡で顔も見えなかったはずだ」
「つまり、覗かれたことには気づいていたとしても、俺たちが覗いていたことはバレていないと」
「その通りだ」

未だエアコンの効き切らない道田の部屋で、先ほど冷蔵庫から失敬したガリガリくんを2人で食べながら、道田が重々しそうに口を開いた。

「でもよ、もし、もしもだよ。あの距離で覗きに気づける性能のアンドロイドさんなら、誰が覗いてたってことも分かるんじゃねえか」
盲点だった。俺たちは彼女を女の子として見るあまり、(おそらく)高性能なアンドロイドであることを完全に失念していたのだ。

変態、策に溺れる。しかし、すぐ蘇る。
「でも、かわいかったなぁ」
「あぁ、本当にかわいかった」
「もしかしたら案外普通の顔なんじゃないかと思って心配してたんだよ」
「あぁ、モンハンのデフォ顔みたいな?」
「そうそうそうそう。整ってるけど、みたいな」
「いやぁでも」
「かわいかったよなぁ」

先ほどまでのこの世の終わりみたいな空気がどんどん明るくなっていく。空気が明るくなると考え方も楽観的になる。もし生田さんに追及されたらシラを切り通すことに決めて、それからはスマブラをして遊んだ。

帰り道、生田さんに遭遇した。
自転車で右折すると、20メートル前方に美しい曲線を描くロボヘッドが見えた。わざわざ学校の近くを通らないよう遠回りしたのが仇になった。お家、この辺なんですね。
それからハンドルを切り返し進路の変更を試みるまで1秒もかからなかったと思う。やはり人間の本気というのはいざという時のために温存されているらしい。かなり不自然な動きになってしまったが、隣を横切るよりははるかにマシだ。このまま逃げおおせよう。

そう思った刹那、バキュンと鋭い音が鳴り、ありえないほど速くて信じられないほど熱い何かが右耳を掠めた。その何かは激しく発光しながら一直線に飛んでいき、およそ50メートル先で消滅した。
馬鹿な俺でも分かる。それはもしかしなくてもエネルギー弾だった。実際に見たのは初めてだったが、エネルギー弾以外の何物でもないという確信があった。つまり、俺は今、同じクラスのアンドロイドの女の子にエネルギー弾を発射されたわけだ。

もし少しでも左にズレていたらば、俺の頭部は一瞬で蒸発していただろう。全身の筋肉が固まって動けない。逃げなければ。殺される。
その時、後ろから右肩に手を置かれた。
終わった。道田、逃げろ。

「八島君」
「…はい」

女の子の手が俺の体に触れている。女の子が俺の名前を覚えてくれている。いつか聞いたかわいい声が、俺の名前を呼んでいる。俺の人生で5本の指に入るほど浮かれたイベントが発生しているというのに、なぜか震えが止まらない。ていうか何この手めっちゃ熱い。

「どうだった?」

覗いたかどうかの確認をすっ飛ばしてくるとは恐れ入る。しらばっくれやがったら影も残さねえからなというメッセージか。
質問に、いや拷問に答えなければ。いや、しかし…。

「…どうだった、というと…?」

生田さんは何がどうだったのかと聞いているのか。あ、さっきのエネルギー弾のことか。だとしたら俺の回答は「死んだと思いました」だ。いや、これでは主観的すぎるな。「火力・射程共に十分だと思います」。これでいこう。

「やっぱり変だったかな」

変か変じゃないかと言われたらめちゃくちゃ変ではある。なんとなく高性能なアンドロイドさんなんだろうと思ってはいたが、まさかエネルギー弾を搭載しているとは微塵も思っていなかった。しかし、俺が知らないだけで最新のアンドロイドには標準装備されているのかもしれない。

「むっちゃん以外の男の子に見せたの、初めてで…」

あぁ、だとしたらそのむっちゃんさんはもう…。

「むっちゃんには、危ないからあんまり外で見せちゃいけないよって言われてて」

あぁ、よかった。むっちゃんさん生きてた。そうですね、危ないからあまり撃たない方がいいですね。全力で同意です。

「是非、忌憚のない意見を聞かせてほしいの」

これから殺す相手に武器の性能について意見を求めるとは、かわいい顔してえげつねぇこと考えやがる。

そう、かわいかったんだよなぁ。

「綺麗でした」
「…え?」

「眩しくて、儚かったです」
「…そう?」

「生田さんになら、殺されてもいいです」

言い終えたその刹那、バキュンと発射音が鳴り、胸元にエネルギー弾一閃。
前のめりに倒れそうになったが、後ろから抱えられ、仰向けに生田さんにもたれる形になった。

あぁ、いい匂いがする。俺が非業の最期を遂げようってのに、空もやけに綺麗だ。
あとは、俺を覗き込む生田さんが素顔だったら、最高だったな。

エンドロールは思っていたよりも短く、走馬灯とやらを見ることはできなかった。ただ鼻に当たったリボンの柔らかさだけが、ずっと心地良かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?