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コラボや数量限定品の乱発は、「ブランド」の概念をコモディティ化させる

コモディティ化だってさ。インテリぶって申し訳ない。

しかし俺の頭脳は地方のアホ私大の夜間学科に一浪して入るぐらいアホなので、知ってる言葉で少しぐらいインテリ感を出させてほしい。サッカー選手だったらインテリ・ミラノに入りたい。違う。インテル・ミラノだ。 ほうら。アホだろう?


俺がアホなのはまあいいんだが、ブランドっていうのはコモディティ化すると終わりに近づく。


アホな俺からコモディティ化という言葉について説明させていただくと、つまりまあ陳腐化。かっこよかったもんが流行り過ぎてダサくなる。強かった技が他の奴にも広まって弱くなる。みたいな。

サッカー選手でいうと、190cmあって空中戦に滅法強い港堀ノ里というFWがJリーグでは毎シーズン20点取ってたのに、190cmのDFがデフォのドイツリーグいったらシーズンで1点も取れないみたいなことを指して、ミナティー(港堀ノ里)はドイツではコモディティ化した。とか、コモディティFWになった。とかいう。


こういうのはファッションブランドなんかでもよく起こる話で、流行れば流行るほど、波が引いた後がコワい。


例えばトラックパンツ。ジャージのズボンね。

多分2016年とかそのぐらいまではまだ、ちょっと先行ってるオシャレピーポーが持ち前のセンスを活かして穿く(はく)ものであった。しかし今はどうか。ちょっともう新シーズンのコレクションでトラックパンツをリリースするブランドはどうかと思う。ダサいと言い切らないのは、定番だったりそのブランドのテイスト的にちゃんとかっこいい場合があるからだけどね。

そう。これぞコモディティ化の好例だ。


情報の均一化がやってきた、ヤァ!ヤァ!ヤァ!

俺は NEEDLES のトラックパンツが、菅田将暉がドラマで着用する前から結構好きだったのだけど、菅田将暉のせいで一時期街中で増え過ぎたのでメルカリで何本も売った。エイサップ・ロッキーが着用してる写真が出回ったぐらいまではよかったのに。でもトラックパンツそのものがコモディティ化してくれたおかげで NEEDLES のトラックパンツも結構減ったのでそろそろまた穿き始めようかなとか思っとる。天邪鬼。


ところで、まさか NEEDLES なんてブランドが若い大学生とかの間で流行るなんて7、8年前は想像できなかった。NEEDLES とか同じ NEPENTHES 系列の ENGINEERED GARMENTS なんかは、当時のメインの客層は渋いおっさんと通ぶった若い服好きぐらいだったように思う。


今夏に帰省先の札幌にある South2 West8 という、これまた NEPENTHES 系列のショップに訪問した際、ディレクターの永岡さんと話したのだが、実際にトラックパンツの購買層を筆頭に、10年ほど前と比較してやはり若い顧客が増えていると教えてくれた。別に俺は関係者とかではない。ただ行って話しかけて聞いただけだ。


どうしてこういう、“通が好むようなブランドやアイテムがライトユーザーにバレる”みたいなことが起こっているか。

情報が均一化したせいだろう。


ちょっと前は、調べるのが上手ければオシャレぶることができた

今や菅田将暉や、彼でなくても芸能人がドラマやバラエティなどで着てる服なんかちょろっとグーグルを叩けばわかる時代なのだ。“叩く”というのはパソコンのキーボードで文字を入力してグーグルで検索することの比喩であり、俺の前前前職の上司がよく言っておった。前前前世か。

で、今や叩く必要すらない。天に向かって検索したい言葉を発すれば万事オッケー。「開け!グーグル!」だっけ? すげえ。

グーグルの進化はいいのだが、俺が大学生だった10年前は、芸能人の着てる服を探そうと思ったら2ちゃんねるのファッション板にある、“着用情報”や当該芸能人のスレッドをひたすらROMるとかがせいぜいの手段だった。しかもメジャーなタレントであれば良いが、少しでもマイナーとか出てきたばっかとかだとスレがない場合も多かった

そう考えると、キム着(木村拓哉着用)ブーム全盛期の2000年前後なんて、当時のファッショニスタはどうやって情報を得ていたのだろうか。メンノンとかSmart とか COOL とか BOON とか GET ON とかよくわからんけどそういう雑誌を血眼で読んだり問い合わせしたりしていたのかな。


とまあそんな感じで、10年前ぐらいまでは情報を得るためにちょっと手間がかかったが、珍しかったり渋いブランドの服でも、ちょっと調べるのを頑張ればたどり着けた。

ちょっとブランドを知ってれば通って感じを演出することができる、チョロい時代だった。


知るのは簡単に。手に入れるのは鬼ムズに。

一方、上でも指摘しているように現代は情報均一化の時代。

グーグルで簡単に芸能人の着用ブランドや売れているブランドを知ることができる。ユーチューバーやインフルエンサーもブランド解説動画なんかを出しており、そんなに訓練を積んでいない状態で結構感度高めなブランドにリーチすることが誰にでも簡単になったのだ。


情報が流通することは一見いいことだ。ファッションに興味がある人が増えることで全体の底上げが期待できる。

と、思いきやそんなことはない。情報均一化がもたらしたのは、マーケティングが上手くて金とコネがある企業に偏った、一部のブランドの顧客の総取りだった。


みんなが同じ情報を持っているということは、相対的にファッションの価値は下がる。

オシャレ、ニアリーイコール差別化を図ろうとしているのに、みんなが同じ服を持っているんでは意味がない。

ではどうやって差別化を図ろうか。最も短絡的な方法が、数量を絞ったアイテムや、コラボ物や限定商品を手に入れることだ。


この構図が鮮明になり、資本とそれに起因するマーケティング力で市場に最適な商品を、ちょうど飢餓感を煽れる程度の数量投下することが可能な GUCCI や BALENCIAGA、Louis Vuitton といったビッグメゾンが大成功し、ストリートのミクスチャー精神の大義のもとに、市場にある感度が高いブランドとコラボを連発できる、 Supreme、NIKE、adidas といったヤリチンブランドが、コラボアイテムで鬼のように集客する。というようなことが起こっている。


そのようなアイテムは少ない量でこそ価値があるため、市場ニーズを満たすほどの数は出回らない。


ブランドという概念自体がコモディティ化してしまう

このように、人気のあるブランド、売れているブランド、感度が高いとされているブランドは誰でも知っているのに、金額や数量のせいで手に入れられないユーザーが大量に発生する。


こういうことが増えると、プレ値がついても買える金がなかったり、コラボ商品の抽選日にサイトにアクセスする時間や店頭に並ぶ時間がない人は、ブランドファッションそのものから身を引かざるを得なくなるのではないだろうか。


なぜなら、そもそも全然手に入らないし、仮に苦労してブランドアイテムを手に入れたとして、数量が限られていて完売するほどなのだから、トレンド性が高く絶妙に「今手に入れなくてはならない!」と感じさせるアイテムなのだろう。

それは翻って、定番アイテムとは逆にポジショニングしており、おおよそ何年も着ようと思えるアイテムではないはずなのだ。


となると、苦労して手に入れたのにすぐにメルカリやセカストなんかで売ってしまい、また次のレアアイテムを買いに走る事になる。こんなことを何年も続けられる人間はそう多くはないだろう。そうしていずれ、コラボや数量限定で囲い込んだ顧客がブランドから離れていくのだ。


こういう状況が続くと、ブランドという概念そのもがコモディティ化し、いずれは意味をなさなくなるかも知れない。


このロクでもなくやはりロクでもない世界の目を瞑ってはいけない部分を目を見開いて見た結果を記してゆきます。