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「現代ならステッカーの貼り方で食っていけるか」

Jun 16,2020
「現代ならステッカーの貼り方で食っていけるか」
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昨今はユーチューバーや各種SNSのインフルエンサーといった職業の人々が台頭してきたこともあり、
"得意を仕事にする"みたいなスローガンが喧伝されている。
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実際に特技や趣味を活かして金銭を得られるサービスなども整備が進み、それ一本で贅沢な暮らしをしている人も一部いるという。
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およそ様々な特技でもある程度金になる可能性があるようで、
わかりやすいところだと、ファッション好きがSNSで客を募ってパーソナルスタイリストとして買い物に同行するとか、
料理の得意な主婦が他人に毎日の献立を考えてあげてレシピを提供するとか、
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そうしたことで、プロのスタイリストやプロの料理科研究家でなくても、得意レベルである程度金が稼げるようになったのは、生き方の選択肢が増えつつあるという意味において喜ぶべきことだろう。
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だが一方で、どんなに得意でもなかなか金にはならないだろうなあ、ということがある。
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なにも、「逆立ちが得意だからといって金にはならない」などと言うつもりはない。
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そりゃあ逆立ちや、あとなんだろう。蚊やコバエなどの家の中に出る虫を殺害するのが上手いとか、ゴミ箱にティッシュを投げ捨てた時のフィールドゴールパーセンテージが95パー超えとか、そんなんは自分しか得にならず、誰の役にも立たないので金にはならないだろう。
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しかし、今日の投稿に選んだ"ステッカー貼り"というのはどうだろう。
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ステッカーを貼るのが上手くても金にならないことは明白だが、ステッカーを貼るのが上手いことは、そこに金銭が発生してもおかしくないぐらいスキルフルなことだ。
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まず配置。
配置が最初にして最大の要点とも言えるが、大きさも形もさまざまなステッカーを好配置に並べるのは、ウェブデザイナーがサイトにバナーを並べるのにも似た作業だ。
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ウェブデザインというのはちょっとしたバナーでも写真と文字の配列や色など、知識や経験によって練られたデザインであることが多いが、
ステッカーの配置は、察するにほぼ即興だと思う。
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だからこそ、そこにセンスが現れる。
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次にステッカーの内容。
貼るステッカーがアパレルブランドのものなのか、スケートブランドのものなのか、もしくはコーヒーショップや企業ロゴということもあるだろう。
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壁に貼られた大量のステッカーを引いて眺めると、全体の構成に感想が浮かぶが、一枚のステッカーに視点を寄せると、
そのステッカーが一体なにを意味をするのか、という点が重要になってくる。
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そして、センスの良い配置ができる奴は、大抵ステッカーの中身もオシャレだったりする。
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ステッカーの中身にまで洒脱さを忍ばすことができるのは、一定以上の教養や文化的背景が備わっているからだ。
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配置や内容まで高度に仕上げたステッカーを貼った壁面は、見ている人を楽しませる効果もあり、人に役立つ機能すら持っているのだ。
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美、文化、機能
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これら全てを備えるステッカー貼りという行為は、もはやアートであるとも言えるだろう。
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大抵は路地の壁面などでゲリラ的に行われるため、どちらかというと迷惑行為の側面が強い現状のステッカー貼りであるが、
雰囲気を出したい商店などは上手い人に金を払って依頼するなどしても良いぐらいだ。
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また個人向けにも、例えばMacBookにステッカーを貼っている人は多いが、ダサい場合も多いので、貼るのが上手い人が個人向けにサービスを展開するのも良いだろう。
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昔、アメリカのどこかの街の路上で、ペンキのバケツをひっくり返し、その辺で拾った棒でドラムに見立てた機材を組み、日がなそのバケツドラムを演奏している貧しい少年がいた。
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彼の演奏は街の評判になり、なんとアメリカのどこかの有名大学が、その少年のドラム演奏に感銘を受け、奨学金を出して少年を入学させたというニュースがあった。
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いつかステッカー貼りの芸術性も認められ、日本の壁も色とりどりになると良いですね。

このロクでもなくやはりロクでもない世界の目を瞑ってはいけない部分を目を見開いて見た結果を記してゆきます。