新年早々、京都へお茶の先生のところにご挨拶に行って来ました。
お正月の室礼の中で
自分を迎えてくださるために用意してくださった口取りと
お屠蘇とお酒をいただきました。
そもそも仏教用語だった「馳走」という言葉は、
他人のために奔走して、功徳を施して救うこと
奔走して材料を集め、食事を出してもてなすことという意味。
手間がかかっているのはもちろんですが
その場にふさわしく、一品一品思いが込められており
だからといって決して華美な品々ではないのです。
こういうのをご馳走っていうんだなあと
しみじみ味わいながらいただきました。
黒豆一つ、当たり前ですが売っているものとも
自分で作ったものとは違うんです。
やはり、自分のために
その時間に準備して待っていてくださるという行為は嬉しいものです。
そして室礼の話やら器の話やら料理の話やら
お茶をいただきながらお話をして・・
お茶にはご馳走、もてなしの原点がありますね。
さりげなくご馳走が振る舞えるように
気の利いた「もてなし」ができるようになりたいものです。
またお稽古が楽しみになりました。
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