ワクワクする方を選びなさい
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なにをして、どのように生きていくか。
その形は様々。
しかしながら、"自分が心から納得できる道"を選び続けることが最も重要であると、私は信じている。
それは言葉を変えてみれば
「ワクワクする方を選びなさい」
という、私の尊敬する先生にかけていただいた言葉に通ずることでもある。
ワクワクするという心は、人間の本質的な場所に深く通じていると思う。
楽しみでワクワクする
とはよく見聞きし使う表現だが、
不安でワクワクする
怖くてワクワクする
緊張でワクワクする
未知でワクワクする
と言った使い方は、あまりされてきていない。
ワクワクは、肯定的な意味を持つ言葉だろう。人はなぜか性質のちがうもの同士がくっつくことを嫌う。
ワクワクする肯定感と不安に思う否定感が共存することはないとでもいうのだろうか。
ましてや不安という感覚からワクワクが生み出されることなど無い話だと。
しかしどうだろう、ワクワクする高揚感期待感、そういったものの基には少なからず不安や恐怖などの対極な存在が隣り合っているではないか。
不安や恐怖や焦りや未知が全くなく、そこにはただ高揚感と期待心しか生きていないのであれば、それはもうワクワクではなく、純粋に幸福である。
涙はなぜ出るのか。
かつてこう問われたことがある。
「心が震えるほど衝撃的な出来事に触れたから」
「言葉にならない感情に襲われたから」
安直な答えを述べることしかできない私に、相手はこう答えた。
「期待を裏切られたからだよ」
何か行動を起こす時、
失敗するかもしれない
上手くいかないかもしれない
練習通りできるだろうか
などの感情、あるいは、
この程度だろう
きっとこれくらいのものだろう
という自己の経験や価値観から無意識に導き出した線引き、
こういったものが覆された時、人は涙を流すのだと。
なんという素晴らしい解釈!
もちろんそれがすべてではないが、確かにそうである。
全く不安が存在していない場所で何かを成し遂げるというのは、それができて当たり前なのだ。
だって不安に思う要素が存在しないのだから。
だとしたら、それで完璧にこなしたことに対して涙を流せるか?
きっと難しいだろう。
逆に、こんなにも不安なくできることが当たり前と思っていたものが、できなかったら。
期待を裏切られた悔しさから涙を流すかもしれない。
ワクワクする気持ちも、きっとこれに似ている。
「ワクワクする方を選びなさい。」
納得のいく、ワクワクする、そういった気持ちにすら気づけなくなる前に。
本を忘れて手持ち無沙汰な電車での文章でした。
読んでくれてありがとう☺️
🍃kichikichi🍃
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