見出し画像

広い場所でお考えください。


2020/6/30

.
.
.
.

こんにちは🍃kichikichiです。


さて、緊急事態宣言が解除されてから私の学校では段階的に対面授業が始まり、今は実技科目のみ学校で行っています。

つまり座学はオンデマンド。
学校行かなくてもいい。

しかし私は週5日全部、その日1日が実技授業から始まります、皮肉なことに。

\おはよう 大学/ \いらっしゃい 5時起き/



そんなこと言ってね、本当は学校大好きだし友人に会って言葉を交わすことがいかに幸せか!コロナ、おまえのおかげで思い出させてもらったよ!
ということで、とてもありがたく思っています。

とは言え私はなまけものです。
家でうまく授業が受けられない〜ひぇ〜〜😭😭

嘆きの日々。

今日もひとしきり実技で動いた後は、怠けないよう図書館へ直行。家に帰ったら意識が飛んでしまうであろう科目を、先に受ける。

学校にいながら、パソコン越しに授業を受ける。

不思議な状況。
新しい当たり前。
もう慣れちゃいました。
嫌な慣れです。


そんな感じで今日受けた授業に、とあるシンガーソングライターさんが引用されたんです。

それは、私の知っている方でした。

CD持ってるわけでもないし、ファンでもない。曲もほとんど知らない。それに今はもう活動もされていませんが、私はその方がとても好きでした。

なにも知らないのに、なぜ好きなのかって?

3年前、今日と同じように
授業で見ていたからです。





私が高校生の時、国語の授業。

担当の先生は若かったけど読書好きで頭も良くて何より生徒のことを一番に考えた授業をしてくれる人だったから、私は毎週その授業が楽しみでした。

ある日の授業で、先生の好きなアーティストの1人であるシンガーソングライターさんが取り上げられた、ドキュメンタリー映像を見ました。

その人はとっても細くてとっても華奢で、
なんだか弱そうに見えました。

彼女は海が好きで、海を愛していました。
海に住む生き物を大切にし、
海と人間の共存に喜びを語っていました。

だから彼女は海が汚れることが許せなくて、海をわざと汚すような人間を悲しく思っていました。

だから彼女は毎日1人、海に落ちているゴミを拾います。

誰にも見られなくとも、誰にも知られなくとも、自分の大好きな海を守るためにゴミを拾います。

いつか彼女は得意な歌を通じてその気持ちを、若いひとたちを巻き込んで、世の中に発信しようとします。

彼女の姿に感銘を受けた地元の子どもたちが
全員精一杯に彼女の歌を歌いました。

そして彼女と共に、海のゴミを拾うのです。

その海は知らぬ間に、
涙が溢れるほど
美しい場所になりました。




とても素敵な映像で、わたしは心が震えました。

彼女の生き様に、
なんて素敵なんだろう
なんて強いんだろう
と思いました。

あんなに弱そうに見えたのに、全然そんなことなかった。

自分を叱りました。







そんな彼女が今日、
拒食と自傷の例となる人物として
授業に出てきました。







私は、なんだかとても悲しかった。

授業がいけないわけでも先生がいけないわけでも、拒食や自傷の行為がいけないわけでもありません。

ただ、私の知っている彼女が、
この授業を受けた誰かの中で拒食と自傷の人物として生き続けることになるかもしれない

その事実が、とても悲しかった。



重ねてになりますが、決して授業が悪いわけでも、先生が悪いわけでもありません。

ただ「教育」って、本当に難しいものだと思うんです。

きっと高校の時の先生は、彼女が実はこんな一面を持っていることをもちろん知っていたでしょう。
わかったうえで、あえてあの映像を私たちに見せることを選んだのでしょう。

当時の私はただの感動的なエピソードストーリーとして映像を見ていました。

それが今日別の形で扱われている彼女の姿を目にして、なぜ当時の先生があの映像を私たちに与えたのか、その意味にようやく気づきました。



学びは、とても素晴らしいことです。

学ぶことは喜びですし、学ぶことで勇気が出ます。

自分がもっと自分らしく生きることができるようにもなるでしょう。


しかしその学びが、
終わるところはどこでしょうか。

終わらせるべきところはどこでしょうか。


それに答えはないのだと思います。
自分で決めるべきなのかもしれません。

ただ今日私が感じたのは、


"それ以上"を自分から求めようとしない限り、
いま学んでいるものは
"いま学んだこと"以上のものとして自分の中で存在することはない


ということです。

今言ったのは当たり前のことかもしれませんが、

何かを学んでいる最中ってそれだけで自分にとっては革命的な大発見で、それを知れていることに喜びを感じて、
今与えられたものに疑いをかけようとするなんてことはなかなかしないはずです。

もちろん、それで良いのだと思います。

でもそれだけで終わらせてしまうことが、場合によってはどれだけ怖いものになり得るのか。

その恐怖を感じることは、滅多にない気がします。

私は今日初めて感じました。







これから私が知るもの
見つけるもの
感じるもの
学ぶもの

もっと広い場所から眺めることが必要かも知れません。






なんで思った今日でした。

読んでくれてありがとう!

.
.
.
.

 kichikichi






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?