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ジブリってコンテンポラリー

2020/6/29
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こんにちは☀️kichikichi(キチキチ)です🍃
ようやくのスタートなので、まずはちょっとの自己紹介を。


私は 大学生です。
ちょっと珍しい、舞踊を学ぶ学校に通っています。今はミュージカルをやっていて、ちょこちょこ舞台に立たせてもらったりもしています(トップ画像は本人です、ひゃあ)。

私は小さい頃から バレエをやらされていました。
(アタックナンバーワンではない、踊る方の、バレエ)。
でもやっていた、なんてカッコいいもんじゃなく
ただただ やらされてました。
なぜなら私はものすごーーーく猫背だったから。
あまりに姿勢の悪い私の姿を見かねた母は、地元のバレエスタジオに私を通わせました。

3歳でした。
でも私はバレエなんかこれっぽっちもやりたくなくって、別に楽しくもなくって、ただ仲良しのお友達に会えるから〜っていうので通ってました。

それが気づいたら、ダンスで大学受けてました。

まぁこのお話はまた、いつか別の時に書けたらなぁと思います。




そんなこんなで十数年 踊りやらミュージカルやら舞台やらを中心に置いた生活をしてきたもんですから、私の感覚はどうも周りと少しずれているようで。
よく会う人会う人に「新しいタイプだ〜」と言われます。新しいタイプとは??笑

でもそれは ある意味私の強みです。

なもんですから 何かを表現したり
他人と気持ちを共有したい時、
それをするための最も最適な手段は私にとって
言葉ではなく、身体でした。
それはきっと今でもそうで、もしかしたら今の方がもっと強くそう感じているのかもしれません。

なので、noteを利用されている多くの方が持っている"言葉"のイメージと、私の思う"言葉"とは、少し形が違うのかもしれません。

でも、そこに魅力を感じました。


私には、言葉って
限りなく明確ではっきりとしたものなのに、
その枠の内側にいてさえ 何かを訴えかけんとする
それぞれの心の奥底で燻るなにかを
私たちに浴びせかけるもの、のように思えてならないのです。

なにを語るか、人間ってそればかりに気が向いてしまいがちだけれど、本当はなにを語るかなんて大したことじゃないのかなぁ
なんて風に思います。




今日学校から駅へと向かう途中、友達と千と千尋の話で盛り上がりました。
先週の金曜日から全国の映画館で放映されていたなんて…全くしらなんだ😂
びっくりです。

なんて話をしてたら、友達がこう言うんです。


「ジブリってさぁ、コンテンポラリーだよね。」


……なんてことを言うやつなんだ…!!


……その通りだぜ…!!!!!!!!!!!!




コンテンポラリーといわれても、ダンスでもやってなければなかなか聴き馴染みのない言葉かもしれません。
コンテンポラリーとは、

現代的なさま。当世風なさま。

Google先生いわく、こういう意味らしいです(本当インターネットってすごい)。


でも友達が言っているのは きっとそんなことではなくって、
コンテンポラリーって、ダンスなんか見るとすごく感じるんですが、とにかく曖昧です。
曖昧の極みです。もう、意味不明です。笑
そんな作品がたーーっくさんあります。

もちろんコンテンポラリーなものも、その根本には作者さんの意図や筋書きが存在します。
ですが、それは私たちにとっては、どうでもいいんです。意味なんて、いらないんです。
丸投げです。
意味丸投げです🏈💨(ポーン)

コンテンポラリーって、
作品が観客に対して意味を強要してこないんです。見ている側が、自由に意味を決められます。

私はこう作ったよ!あなたならどう解釈する?

そんな感じです。



友達いわく、ジブリはそんな要素が詰まっているとか。
人はみんな何かをみたり何かに触れたりした時、

「で、結局なんなの?」

と答えを求めようとする。


でもそれが、本当に大切なことなのでしょうか。

胸の中の混沌とした感情
捉えようのない曖昧模糊な感覚

そういうものが、本当の答えなのじゃないか。
そこを、映画という表現の1ツールを通して、あえて投げかけてくれているのに。
なんでみんな、そのことに気がつかないんだろう?



そう言われました。



そうだね、そうだよね。

そんなこと、心でわかってた。わかっていたつもりだった。そういうものを捉えていたからこそ、言葉が好きだったはずなのに。
気づいた時には、私も失っていたのかもしれません。


また大切なことを思い出させてもらいました。
友達って、大切!



以上、今日の出来事でした☀️
読んでくれてありがとう!

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kichikichi




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