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その6 一番多い神社「八幡様」何でこんなに多いのか?

こんにちは!吉次きちじです。

「神社好きだけど、神道ってよくわからない…」という方に向けて、
神道のいろはをお伝えするシリーズです。

今回は、日本で最も数多い神社「八幡様」を取り上げます。
あちこちにある〇〇八幡社・〇〇八幡宮・〇〇八幡神社…これはどーゆー繋がりなのでしょうか?
なんでこんなに多いのか?
ご説明申し上げましょう!


御祭神は超絶スーパーな母とその息子


全国に4万社以上あるといわれる八幡様の御祭神は応神天皇なのですが、誉田別尊ほんだわけのみことというお名前で祀られています。

お父様は仲哀天皇ちゅうあいてんのう、お母様は神功皇后じんぐうこうごうです。

このお母様がもの凄いスーパーウーマンで、大変な霊能力のあるシャーマンだった。
皇后になる以前のお名前は、息長帯日売命おきながたらしひめのみこともうお名前からしてタダモノデハナイ…。

古代の人々は、「息」は生命力や霊力が宿るとても神聖なものだと考えていた。その証拠が「いのち」という言葉。
「い」=これは息の意味
「ち」=これは霊力の意味
つまり、命とは霊力ある息のことなのです。
だから、今でも人が亡くなることを<息をひきとる>というのですね。

その息が帯のように長いってんだから、もう大霊能者なんですよ。

更にこの皇后は尋常じゃない、ジャンヌダルクも真っ青になる戦う女神なんですね。
だって、神のお告げに従ってお腹に誉田別尊《ほんだわけのみこと》を宿した臨月の時に、朝鮮半島に出陣して征服しちゃうんだから!
出産を遅らせるために、股に石をはさんだ!という逸話もある。

この超絶なお母様も、八幡様には祀られております。
母と息子がセットになった御祭神なのですね。


神仏習合のトップランナー神社・東大寺大仏建立をバックアップ


全国の八幡様の総本宮は、大分県の宇佐神宮うさじんぐうです。

この宇佐は、出雲と並んでかなり早くから文明が開けた土地だった。
大陸からの文化や新技術を持った人々もバンバンやって来た。
だから、日本で一番早くに仏教と混ざり合った神社だと言われております。

今でも、仏教色の強い放生会ほうじょうえの祭祀がある。
これは捕まえた魚とか貝を海に放す儀式なんだけど、始まりは八幡の神様のお告げなのね。
「昔に制圧した九州蛮族の霊をなぐさめなさい!」という託宣たくせんがあったんだって。

殺生を戒める仏教の思想だよね。

神仏習合発祥 六郷満山
八幡神の化身が開山した伝えられるお寺
お坊さんと神主さんの素敵なfote


神社だけど仏教思想。
神道だけど、神様は仏様が姿をかえたもの。

いわゆる神仏習合しんぶつしゅうごうです。

だもんで、奈良の東大寺大仏建立を強力にバックアップした。
宇佐八幡神は「絶対成功させてあげるからねー」と約束したのだ。

これが、八幡信仰が中央政権に進出するきっかけになった。

その後、和気清麻呂わけのきよまろ宇佐八幡託宣事件というセンセーショナルな事件があって、八幡神は皇室の守護神という圧倒的な地位を確立するのですね。
朝廷・皇室の守護として宇佐から山科(京都)に、分霊をした神社が石清水八幡宮いわしみずはちまんぐうですね。

「えー、何その事件?興味ある―!」

はいはい、ご説明申し上げましょう。


和気清麻呂わけのきよまろ託宣事件の真相


和気清麻呂って誰?

この男性は7世紀の大和朝廷の役人です。
で、この清麻呂が何をやったかっていうと…。

当時の大和朝廷は|称徳天皇《しょうとくてんのう》という女帝が治めていた。この女帝、|道鏡《どうきょう》という怪僧にメロメロだった。
いい男だったらしい…。

ところがこの道鏡は野心家で、自分が天皇になることを目論んで、
「<道鏡が天皇になれば天下泰平なる>って、宇佐の神様のお告げがあった!」というウソの情報を朝廷に流した。
この情報の真偽を確かめるために、宇佐まで行って八幡神の託宣を受けたのが清麻呂なの。

清麻呂もシャーマンの素質があったのだろう。
宇佐八幡神は、天津日嗣あまつひつぎ皇緒こうちょを立てよ」と託宣した。
つまり、
「天皇の血筋じゃないやつが、天皇になる?ありえないでしょう!」と告げたのね。
で、道鏡は失脚して皇統は守られたわけ。
めでたしめでたし…。

えっ?称徳天皇《しょうとくてんのう》はどうしたかって?
うーん…道ならぬ恋だもん、諦めたんじゃないかな?


快進撃はとまらない!武士の時代


さて、朝廷・皇室の守護神として、伊勢神宮に次ぐ絶対の地位を確立した八幡宮ですが、やがて朝廷の力は衰え武士の時代がやってくる。

天皇による祭政一致の政治がぐらぐらしてきた時に、次の武士の時代にも圧倒的な支持と崇敬を集めることができるイベントがあった。

これが、源義家みなもとのよしいえの元服なんです。
義家って、歴史上そんなに偉業を残したわけじゃない。
でも、石清水八幡宮で元服をした義家は、
八幡太郎義家はちまんたろうよしいえと名乗った。

この八幡太郎が清和源氏の氏神となっていって、
鎌倉幕府の守護神として、鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうが建てられることになる。
鎌倉幕府がつぶれたのちも、武士の守護神として八幡信仰は全国各地に広まっていくんですね。

だから、もとは土着の土地神や氏神を祀っていた神社も、殿様の命令で八幡信仰に塗り替えられて、御祭神が替えられた!なんてことはざらにあった。

これが、八幡様が日本で一番たくさんある神社となった理由です。


最初は海の女神を崇めた八幡信仰


ということで、八幡様の数が多い理由を説明してまいりましたが…。
ホントはここからが一番面白いところなんだけど…。

八幡信仰の由来はケッコウ謎に包まれているのです。

八幡信仰は、宇佐地方の海域を守護する女神を祀ったのが始まりです。
その女神は、宗像三女神むなかたさんじょしん
今でも、宇佐八幡宮では比売大神ひめおおがみをお祀りしています。

ところが、これが応仁天皇になる…。
6世紀あたりに出現した八幡神が「俺は応神天皇だ」と名乗ったらしい…。
何で姫が男になるの?
何があったの?
わからないのですよ…

まあ応仁天皇だとしても、
なんでお母さんが祀られるわけ?
わからないのですよ…

さらに、八幡とは「ヤハタ」とも読む。
これ絶対、秦氏はたし一族なんだよね。
だから、渡来系なんだよね。
日本古代史に燦然と輝く「秦氏の謎」

この謎にはまると、やっかいだ…。
でも、もんのすごく面白い。

てなわけで、神社は現在の姿だけではわからない、
古代の思想や歴史が隠れているのです。

そんなところにも興味をもってもらえると嬉しいです!

では、また!


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最後までお読みいただきありがとうございました。



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