神道は宗教なのか?宗教ではないのか?
こんにちは。橘きちじです。
私は神職です。
なので、みなさんに神道をおすすめしたくて、
「何故きちじが神道という宗教をお勧めするのか」について、お話しようと思いました。
早速、おすすめの理由を書いていきたいのですが…。
でも、その前に…。
触れなければならない大きな課題があるのです。
それは、神道は宗教なのか?宗教ではないのか?という根本的な疑問をクリアにすることです。
正直に申し上げますと、この課題には取り組みたくないです。
嫌です。
めちゃくちゃ嫌です!
なぜなら、「神道とは具体的に何を指すのか?」という更に上位の疑問を論じることになりますし(色々あるからね)
「宗教とは何か?」という定義もからみますし、歴史・政治にも触れなきゃならないし、日本人論とか民族文化とかも考えなきゃいけないし…犯罪もあるし…。
と、ちょっと想像しただけで、もー面倒くさいし、厄介だし、色々デリケートなものをとりあげなくちゃならない危険もあるし…。
でも、避けて通れないよなぁ…。
というワケで、今回は「神道は宗教か?宗教ではなのか?」について、きちじの立場をハッキリさせておこうと思います。
法律的には宗教です。
全国に11万以上あるといわれる神社のほとんどは宗教法人です。
民法33条に定められた「宗教法人法」によって、都道府県知事か文部科学大臣の認証を得た法人になっているはずです
(すんません、ちゃんと調べたわけじゃないので…)
宗教法人法施行は昭和26年です。
きちじがサラリーマンをしていた頃、当時30代の部下に
「私、神職資格をとるために、今勉強中なの」と打ち明けた時の話です。
「わぁスゴイ!橘さん、国家資格目指してるんだぁ!」
「…」
まだ、ありますよ。
「神職になりますので、退社いたします」
「えっ?!公務員になるの?」これは40代男性の返答です。
お前ら、何年前の話をしてるんじゃぁ!そりゃ戦前の話だ!
笑い話ではありません。
また、きちじが勤務していた企業の従業員知的レベルが著しく低いわけでもありません。
それほど、それほど、知らない人が多いのです。
神社は国が運営していると思っている人は沢山います。
戦後生まれの私たちは、神道や宗教について全く教育を受けずに育ちました。
憲法20条 政教分離
話は、敗戦直後に遡ります。
アメリカの連合国最高司令部(GHQ)の、神道・神社を国家より分離することを指令した覚書(いわゆる神道指令)によって、国家と神道は切り離されました。
そして、憲法20条で政教分離は定められました。
その時に「わぁーこれから神社界どーしーよー!」と真剣に考えた人々が集まって出来上がった団体が、神社本庁です。
神社本庁は全国の神社を統括する上部団体です。
ですが、「絶対に神社本庁の傘下にいなければならない!」という決まりはないので、本庁傘下ではない神社もあります。
ちなみに、きちじが持つ神職資格は神社本庁が認定したものです。
神社本庁も、もちろん宗教法人です。
なので、法律的には神社神道は「宗教」だと明言できます。
実は「神道」の中には色々あって、神社だけではありません。
神道系宗教とか、教派神道とか、皇室神道とか…いやもっと細かく言えば、白川神道・吉田神道・伊勢神道など、諸派はあるのですが、こんなん説明してもしょーもないから、割愛します!
神道は宗教じゃない!という意見もある
ところで、皆さん。
皆さんは、法律(宗教法人法)が定めた宗教の定義をご存じでしょうか?
簡単に言うと
➊ 教義を広める活動をしていること
➋ 儀式行事を行っていること
➌ 信者を教化育成していること
❹ 礼拝の施設を有していること
なのです。
でもさ…。
神道ってさ…。
「教義!?キョウギ!? 教義ないですーぅぅぅ!!」
と、いきなりつまずくわけですよ。
更に、神社神道では、
「信者?教化?育成? 教化してないですーぅぅぅ!!」
(あっ、熱心に育成している神社もあるよ)
となるわけです。
神社の神主さんの中には、「宗教だといいたくない」とハッキリいう人もいます。
「別に教義がなくたって、積極的に教化しなくたって、信心深い人格を育てることはできるでしょ!だって今までずー―――つとそうしてきたんだから、神道は!」
確かにそうだ。
国家権力によって教化が暴走したのが、国家神道なわけだからね。
そもそも、宗教という日本語ができたのは、明治文明開化の時です。
当時、大量の西洋概念を必死に日本語に置き換えた。
英語のReligionを「宗教」と訳したわけです。
他に宗門とか、法教・教門・聖道なんて言葉の候補があったらしいですが、「宗の教え」に落ち着いた。
「聖道」のほうがしっくりくる気がするけど…。
とにかく明治政府のエリートたちは、海外留学して西洋文化をまるごと導入した。
でも、この文化を支えるキリスト教だけは排除した。
この辺の矛盾が、いまでも影響しているんだよなぁ…ときちじは考えております。
更に、明治政府はそれまで仲良くやっていた仏教と神道を切り離した(神仏分離令)。
これによって、それまで日本人が生き生きと使用していた「信心」という言葉が宙に浮いちまった…。
だって、庶民はみんな「神様仏様…」と祈っていたのだから。
「あの娘はねぇ、ホントに信心深い、いい娘だよー」なんて、もう誰も言わなくなった。
日本人の信心は消えたのか?
少なくとも「宗教」という定義での信仰心は消えたのだろう。
だって、7割以上が「無宗教です」って答えるのだから。
神道=国家神道=戦争=悪 この思考回路はまだ残っている。
さらに、戦後は
宗教=カルト=洗脳=犯罪=悪 これが加わった。
だから、二つの回路をあわせて神道を宗教だとしたくないのだと思う。
でも、日本人は初詣とか、初宮参りとかで神社行くよね。
パワースポットとかも流行ったし…。
「宗教じゃないです。霊的な直観です。この神聖な場所に来れば神をかんじます」
スピリチュアルブームで信心は復活しているのか?
「なんか神道ってさ、宗教っていうより精神文化ってかんじ」
と、いう意見もあるし、
「私、神社大好き!心がすーっとするもん。えっ宗教?うちは浄土真宗だと思うけど…」
と、いう日本人は大勢いるし…。
「行ったわよ。初宮参り。1万円もかかったのよ。一応ね、やっとかないとね…信仰心?あるわけないじゃない」
と、オラクルカード講師をしている友人は話してくれた…。
かわいそうな「宗教くん」
で、きちじはどう思うのか?
神道は宗教なのか?宗教ではないのか?
どっちでもいいんですよ。私は。
宗教でもいいし…、事実宗教だし。
宗教じゃないと言ってもいい。だって、宗教っぽくないから。
でもね。
ちょっと思うのはね…、
「どっちでもいいけど、こんなに『宗教』という言葉を貶めていいのか?」ということ。
これは主張したい。
宗教を持たない民族は存在しません。
人類はその黎明期から、宗教的な行為を行ってきました。
そこまで大きく考えなくても
「私は自分の命を存続させるために、他の生き物(動物や植物)を殺して食べている」
この事実を知っているから、
「(命を)いただきます」と言って、食べているんだよね。
これ宗教的行為じゃん。
「今年も家族が健康で過ごせますように…」って祈るよね。
これ宗教的行為でしょ?
『宗教』ってWordがでる度に、「それ怪しい悪いものだよね」と直結させる前にちょっと考えてほしいんだよね。
「宗教」的 ということを。
宗教的であることは、人間的であることだと思うのですよ。
かわいそうなのは『宗教』という言葉です。
日本で生まれた時から、なんか風土に合わず、文明が進むほどに邪見に扱われ、今じゃ「宗教=悪」のレッテルを貼られてしまった…。
かわいそうな宗教くん。
君が悪いわけじゃないのに…。
今きちじは神職です。
「ご職業は?」と聞かれて
「宗教関係で働いています」と答えると
眉をひそめられます。
でも
「神職です」と答えると
「まあ、神主さんですか!」と喜ばれます。
へんなの。
へんだけど…。
きっとみんな知らないんだよ、宗教を。
知らないから怖いんじゃないかな?
免疫がないってやつじゃないかしら?
宗教は怖いよ。とても恐ろしい面がある。
でも宗教は素晴らしいよ。生きていくうえで絶対必要なものなんだ。
その両面合わせて知っていくことが大切なことなんじゃないかな?
神道は宗教なのか?宗教ではないのか?
結論、どっちでもいい。
それより大事なのは「宗教的であること」を見直すことじゃないでしょうか?
どうか、「宗教」というWordにとらわれないで、宗教的な自分を発見してください。
それは、とても大切な、生きる力につながるものだから。
きちじ、精一杯お手伝いいたします!
長くなりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
では、さようなら。
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では、さようなら
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