【チェルフィッチュ『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』に迫る┊︎前編】

日本語を母語としない俳優との創作がひらく「演劇と言語」の未来

いくつものリアリティが交差する、まだ見ぬSF演劇

 

チェルフィッチュはノン・ネイティブ日本語話者との演劇プロジェクトとして、2021年よりワークショップやトークイベントを開催しています。

これらのイベントを経て、上演される今作。出演者のうち4人はこのプロジェクトを通して出会った人物です。ノン・ネイティブの人が出演する舞台、どういう作品になるのでしょうか。本作で作・演出を務める岡田利規さんは、「ネイティブじゃない日本語ももっと演劇にあればいいと思う」と話しています。ここにある問題意識を、多くの人が自分の中で発見できたらいいなと私は思います。

この作品への足がかりになるよう、前後編に分けてレポートをお届けします。今回は、このプロジェクトについてざっくりお届けします。

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この作品には、前述の通り日本語が母語ではない人も出演します。普段、日本で演じられる演劇は、ほとんどが日本語を母語とする俳優によって構成されています。そして、流暢な日本語で、流暢に話します。もし、ネイティブでない人が、とくに断りもなく出演していれば、ネイティブの私たちは、「え」と思うかもしれません。何か演出的に重大な意味があるのかも!と勘繰り、深読みしたりするかもしれない。でも、ネイティブでないことに意味はなくとも、ネイティブでない人がとくに断りもなく普通に出演していても、良いかもしれない。

チェルフィッチュでは、リアリズムの手法をとっていません。リアリズムとは、平たく、大変ざっくりいうと「リアルな」演劇のことです。ドラマや映画のように、普段私たちがしゃべるように、自然な話し方で話す。演じている俳優と、キャラクターがイコールで結ばれる演劇。でもチェルフィッチュはそうではありません。

演劇というのは本来、役と本人のアイデンティティが一致しなくてもよいのではないでしょうか。例えばシェイクスピアの作品を日本語で日本人が演じることに対し、私たちは何の違和感も持たずに鑑賞することができます。だとすれば、日本語が母語ではない俳優が日本語で演技をし、日本人役として出演をしてもいいはずです。

 岡田さんは出演者の話す言葉について、こう話しています。

「日本語が聞こえてくるんですよね。むしろ舞台上でしゃべられるネイティブの日本語がそういう風に聞こえてくるのはすごく難しい。聞いてて、すごく素直にそこで話されている言葉が聞こえてくる。頭の中に入ってくる、それってすごく新鮮なんですよね。」

その言葉は、純粋にポジティブな「良い」という感情を含んでいたように思えます。

ネイティブでない日本語は、「流暢」ではないのかもしれません。ですが、そうでなくとも、言葉から「わかる」ことはたくさんあるのではないかと私は思いました。

この作品の舞台は前述の通り『宇宙船』です。岡田さんはタイトルにもある『窓』というモチーフについて、「俳優の想像力やテキストによって促されることにより、観客の想像力が働いて、そこに何かを見るということを実現させるための装置」だと話しています。この宇宙船の窓からは、一体どんなものが見えるのでしょうか。

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後編は、出演者による座談会インタビューです。宇宙船に乗る6人に、クローズアップしていきます。お楽しみに。

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