FUKAIPRODUCE羽衣 稽古場レポート最終回

『女装、男装、冬支度』は、2014年初演のFUKAIPRODUCE羽衣の代表作です。
降り続ける雪が印象的な、真冬の愛の“妙―ジカル”。
生と死、生そして性、それらすべてを丸ごと肯定するような、悲哀と歓びに満ちた人間讃歌を、有り余る熱量で歌い踊り、どうしようもなくみじめでちっぽけな人間たちを大きな愛で包み込みます。

こちらのnoteでは、稽古の模様を全五回に分けてレポートします。

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『女装、男装、冬支度』
7月17日(月)11:30~20:00(16:30より合流)

この日は『女装、男装、冬支度』の最終稽古。
本レポートのまとめとして、通し稽古を見ながら思ったこと、最後に皆さまにお伝えしたいことを書いていきたいと思います。

いや、そういうんじゃない。もっとなんかこう、普遍的な、人類愛的な、僧侶のようなお坊さんのような、そんな気持ちだ。そんな気持ちで、

  『女装、男装、冬支度』より

①     私がFUKAIPRODUCE羽衣を推す理由

FUKAIPRODUCE羽衣は演劇界で唯一無二の存在である。
その事実は今や疑いようもないほど、FUKAIPRODUCE羽衣はこれまで独自の道を切り拓き、その地位を確固たるものとしてきました。
恐らくこの記事を読んでいる方々は、すでに“妙―ジカル”とは何たるかをある程度は御存知のことでしょう。
私自身、いち観客として「FUKAIPRODUCE羽衣の“妙-ジカル”」と聞くと、だいたいどんなことが行われるのかを想像することができます。

しかし、「そこで何が行われているか」という事実のみで“妙―ジカル”の魅力のすべてを表現することはできません。
“妙-ジカル”と「妙なミュージカル」は似て非なるもので、“妙-ジカル”を「妙なミュージカル」と簡単に説明してしまうことで削がれてしまう部分に、“妙-ジカル”の本質は宿るのではないでしょうか。
それは、生のきらめきであり、ほとばしる熱量であり、いまを生きることの尊さであり、命を燃やし尽くすことの美しさであり、それらすべては、目の前で繰り広げられる人間たちのいとなみによってしか得られることのできない、舞台芸術にしか起こすことのできない奇跡的な瞬間のあつまりなのだと私は思います。

いまこの時代に舞台芸術を鑑賞することの意味とは。
いまこの時代に生きた人間にこだわることの価値とは。
その場所、その瞬間にしか存在しえないもの。
「劇場」という特殊な空間でしか味わうことのできないその場限りの体験を、FUKAIPRODUCE羽衣はいつなんどきでも約束してくれるのです。

俺はただ、真面目に生きていたいだけなんだ。真面目に生きるためだったらなんだってするよ。この雪の粒を、一粒一粒、数えたっていいよ。

『女装、男装、冬支度』より

②     私が『女装、男装、冬支度』を推す理由

そんなFUKAIPRODUCE羽衣が今作で描き出すものとは。

『女装、男装、冬支度』は、「愛」を描いた作品です。
一言で表現するには憚られるような、一筋縄ではいかぬ魅力の詰まったFUKAIPRODUCE羽衣の作品たちですが、ひとつ今作において確かなのは、『女装、男装、冬支度』はどうしようもなく真正面から愛と向き合った作品だということです。
では、FUKAIPRODUCE羽衣にしか描き出すことのできない愛とは何なのでしょうか。

愛にまつわる、いくつもの人間らしさ。
美しさや尊さではひとくくりにできないような、不純さやみにくさ。
ときに良し悪しでは語ることのできない、肯定することも否定することもできないわだかまりと付き合いながら生きていくこと。

それでもFUKAIPRODUCE羽衣は、愛というものの愛おしさと全力で向き合い、どうしようもなくみじめでちっぽけな人間たちを大きな愛で包み込むのです。

白い息を吐いて 冷たい空気を吸い 胸の奥が熱くなり 愛の言葉を喋る若者

『女装、男装、冬支度』より

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FUKAIPRODUCE羽衣第28回公演
『女装、男装、冬支度』

2023年7月21日(金)- 7月30日(日)
吉祥寺シアター

〇公演詳細
https://www.musashino.or.jp/k_theatre/1002050/1003231/1004908.html

(担当:小西力矢)


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