♪ ロンドンにおけるセミナーにて 日本における「盲人と芸術」

 日本における「盲人と芸術」の歴史-記憶する力と触る力-2014年

 日本の古都、京都から来ました。この場に立てて、喜んでいます。私の発言原稿を英訳した印刷物とその点字版をお配りしています。半田こずえさんに全文を読んでいただき、私は要旨だけを日本語で述べます。パワポ画像も用います。
 私は、京都の盲学校で働いていて、今年、41年目を迎えました。1昨年、パリで開催された国際セミナーHistoire de la cécité et des aveuglesで、「日本盲教育の独自性と普遍性」と題して、日本に於ける盲人の職業と視覚障害教育の歴史を報告しました。
 今回は、<記憶する力と触る力>を軸に「日本の盲人と芸術」についてお話しします。日本の盲人を語ろうとする場合、ヘレン・ケラーが敬愛した塙保己一(1746-1821)がまず思い浮かびます。日本の古書を収録した叢書『群書類従』を編纂しました。彼は、ずば抜けた頭脳を持ち、テキストの<記憶と再録>に驚異的な力を示したのです。他にも、優れた文学作品を残した盲人が少なくありませんが、今回は立ち入りません。

  1 盲人と医療
 まず、<手で診る技>という角度から「盲人と医療」に関する歴史を紹介します。そこにも<記憶する力>や<触る力>を見出せるからです。
日本の多くの盲人が従事してきた職としては鍼・灸・按摩の業が筆頭に挙げられます。杉山和一(1610-1694)という盲人が、鍼を扱いやすくする管を発明し、鍼による治療を自分たちの適職として定着させることに成功しました。彼は、後進に鍼治療を教える学校も作りました。「鍼治講習所」と呼ばれるそれは、驚くべきことに、「世界初の盲学校」とされているパリ訓盲院よりも約100年早く、1683年に創立されたのです!外からは見ることができない体内を手で触診し、揉んだり刺鍼したりして病を治す技は、目の見えない人々にとって<特性を発揮しやすい>領域です。近・現代にも、マッサージや理学療法を取り込んで、比較的安定した職業として大切に扱われ、日本人の健康増進や疾病治療に貢献しています。
 なお、2001年に行われた、障害者等に係る欠格事由の適正化を図るための「医師法等の一部改正」によって,視覚障害者等についても医師国家試験等を受験する機会が認められるようになり、その後、実際に精神科の医師として活動する盲人が生まれています。ちなみに、弁護士資格を獲得して活躍する盲人も複数いらっしゃいます。

  2 盲人と音楽
 古代に、仏教の僧侶となった盲人がいたようです。目は見えなくても、耳を通して長大な経典を覚え、解釈し、他者に伝えたり説教したりすることができたのでしょう。宗教家とミュージシャンを同一視するのは正しくないとしても、記憶力と表現力を必要とする点には共通性を見出すことができるでしょう。
 中世期になると、琵琶を演奏しながら歴史叙事詩『平家物語』を語り聞かせることを職とする琵琶法師が現れました。琵琶は、その共鳴胴が梨の形に似る弦楽器であり、撥で打って音を出します。「平家物語」は、12世紀後半に日本の支配をめぐって覇を競った平氏と源氏の争い、中でも平氏の興亡をドラマチックに描いた長い物語です。琵琶法師たちは、おびただしい数の登場人物と事件、さらに心理の描写を覚え尽くし、みごとな撥さばきによるダイナミックな演奏に載せて、生きいきと歌いました。聴衆は、歴史上のエピソードや過去を生きた人々の喜怒哀楽を想像して、感動に浸りました。盲人たちは、現前にない過去を言葉によって形象化するという方法で、自らの<特性を豊かに発揮できる>芸術を創出し、確立したと言えます。ちなみに、ロレンソ了斎(1536‐1592)は、視覚に障害があり、琵琶法師として働いていた日本人ですが、来日したフランシスコ・ザビエルによって受洗し、キリスト教の布教に身を捧げました。
 近世期以降、琴や三味線の演奏家などとして活躍する盲人も多数輩出しました。近世の日本音楽は盲人が担ったと言っても過言ではありません。耳と手による記憶と創造のための厳しい修行に耐えて、作曲家や演奏家になりました。女性の場合、三味線を背負って遠い山村まで歩き、その音に載せて瞽女唄を歌い上げる瞽女と呼ばれる集団も登場し、たくましく生きぬきました。現在は、盲目のミュージシャンは、邦楽だけでなく、声楽・ピアノ・バイオリンなどの分野でも国の内外で活躍しています。

  3 盲人と美術
 日本では、現在も盲学校の「美術科」教科書は点字化されていません。視覚に依拠するものと考えられがちであった絵画は、盲目の生徒にはなじみにくいと思われてきたのです。二次元の絵画を、盲児のためにアレンジする技法も未開発でした。
 日本で最初に作られた京都盲唖院では、こよりを編んで容器をつくる仕事の教授も試みられましたが、長続きせず、その後の盲学校における美術教育は粘土造形に時間を注ぐのが一般的でした。ユニークで熱心な教員の指導を受けて、優れた作品を仕上げる子が現れ、いくつかの盲学校の生徒の粘土作品写真集が出版されています。
 表現の分野で、近年、描画に挑む視覚障害児・者も現れています。盲目の画家やアニメーターも存在します。立体コピー、厚みのあるテープ、3D描画プリンタや3Dペンなど立体的に線描できるツールも多彩に製品化されつつあります。鑑賞の分野では、紙や布を貼りつけた立体絵本も多く作られ、1983年以来、『手で見る学習絵本テルミ』が10才ぐらいの盲児を対象に定期発行されています。1984年に東京で開館した美術館「視覚障害者のための手で見るギャラリーTOM」は、創立者が自分の子の「ぼくたち盲人もロダンを見る権利がある」という発言に突き動かされて建設しました。触って鑑賞できる企画やコーナーを持つ博物館が増え、既存絵画の立体化も広がっています。 
 目の見えない人たちが博物館や美術作品を心行くまで味わうための営みが、試みのレベルから『触り方』に関する理論に裏付けられた水準へと進化しつつあります。見ることを偏重してきた近代文明を、<触る>営みを通して問い直す新しい思潮や実践が起こっていいます。<触察>は、単に表面をなでることではなく、<モノやヒトの本質や美を察知>することを意味します。世界には、見ただけでは分からないことがまちがいなく存在します。「見えない」ことをネガティブにのみ捉える時代は過去のものとなるべきです。
 ご清聴に感謝します。ありがとう!

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