果たして、猫は世界を変えられるのか

ももがいた2019年と、ももがいない2020年の間にはとてつもなく大きな隔たりがある。
まぁ、ももがいてもいなくても、2020年現在において世界は非常に稀有な事態に陥っているし、少なくとも2019年以前の常識がひっくり返されてしまったように感じている人は少なくないだろう。
それはそれとして、やはり僕にとって、ももがいなくなったことで世界は別物に変わってしまったということはここに記しておきたい。
そして今回は「果たして、猫は世界を変えてしまうほどの存在なのか」というテーマで筆を進めていく。

個人的な見解を述べるなら、猫は間違いなく世界を変えられる生き物だと思っている。
世界から戦争や飢餓がなくなるといった変革をもたらすような奇跡の存在ではないが、少なくとも一個人の価値観を変えてしまうほどの存在感を、猫は間違いなく持っている。

僕の姉は犬派だった。
犬派だったというか、猫派ではなかったと言った方が適当かもしれない。
少なくとも、初めて対面した時に姉はもものことを毛嫌いしていた。
なぜ猫が嫌いだったかということはお酒の席でなんだかんだと言っていたが、そんなに大した理由ではなかった気がするので失念してしまった。とにかく、姉は猫が嫌いだったらしい。
それが一緒に生活していく内に何かとももに構うようになった。
しかし悲しいかな、ももは僕以外にはまったく懐かない猫であり、姉の顔を見れば耳をたたみ込んでシャーシャーと威嚇する猫になってしまっていた。
仕方なく、姉はももと触れ合えない埋め合わせも兼ねて猫カフェにまで足を運ぶようになってしまった。(姉曰く「お金を払えば遊んでくれる愛想の良い猫がいるから」とのことだ。)
今では保護猫活動団体のホームページをマメにチェックしているようで、里親を募集している猫の写真を見ては、やれ「あの子が美人だ」とか「あの猫が新しい家族の所にいった」とか、ももとの初対面の様子が不思議なくらい猫に熱中している。

それにしても、懐かない猫でも可愛いと思うものなのだろうか。
先程も述べたように、ももは僕以外に懐かなかったし、むしろ僕にべったりな猫だった。
僕が昼寝をしていれば、自分も昼寝せねばならんといった風に体を寄せて寝入ったものだし、残業で帰りが遅くなれば僕の顔を見るなりニャーニャーといかにも不満げな声を上げたものだ。
それなのに、姉に対しては顔を見ればシャーと言い、撫でようとすれば手を引っかくという有様なので、本当にありがたいことではあるが僕には姉がももを可愛がる感覚というのが今でも少し不思議に思える。
今でも実家に遊びに来ると、ももの骨壷にそっと手を添えてしばらくじっと動かなくなる。
そうした様子を見るにつけ、少なくともももは姉の人生において「猫」という生き物に対する価値観を大きく変えていったのだなぁと思う。

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